急ぎ心や心配や憂い心にとらわれないための方法ってあるのだろうか?
答えが見つからない。
そんなとき、
急ぎ心や心配や憂い心にとらわれてしまう。
私も含めて多くの人が陥りやすい心の状態の一つかもしれません。
「大丈夫ですよ」とか、「なんとかなりますから」など、周囲の人はなんとかしてあげたいと思って声を掛けるのでしょうが、その方を救うことにはならないことが多いようです。
本人からすれば「分かっていないのに」なんて感じているのかもしれませんね。
カウンセリングの基本に、「聞くだけ」ということがあります。
本人が「分かっていること」を言われると、逆にストレスになるのだとか。
分かっているなら分かっているように生きれば良いのでしょうけどできないって、人間って不思議です。
「本当のことを分かっていない」ことを分かってない。
そういう自覚が無いと悩むことになるのかもしれません。
「方法を超えた方法」みたいな覚醒が授からないからだと思うのです。
自分が声を掛ける側の時は「そんなにとらわれることはないのに」と思えるものですけど、当事者?になると自覚できないって不思議です。
とらわれていることを「自覚」できれば良い訳です。
どうすれば良いのでしょうか?
私自身、もしそういう状態になって悩んだときは、
というか、「悩んでいるな」と、気付いたときは、
「神様。私、石原清一、今、〇〇が▲▲になるのではないかと心配しています」と、小さな声で何回も呪文のように唱えるようにしているんですよ。
自分の思いの方向はなかなか変えられません。
なので、この身このまま「神様に、自分の今の気持ちを表明させていただく」感じ。
何回も何回もね。
自分の心を「言葉にして」何回でも唱える訳です。
すると、だんだん落ち着いてくるのが不思議です。
そして、「こんな思いになったって仕方が無いじゃないか」というような、自分の思いがストンと決まる感覚が授かったりするんですよね。
方法を超えた方法でしょ?
後で考えれば「当たり前?」と思ったりするような「答え?」なのですけど、自分自身が「そうだな」と思えることで、とらわれる悩みから抜け出せる感じなのだなと思うのです。
まぁ本当は、そんな悩むような生き方ではなく、明るくすっきりとした生き方をする方が良いですよね。
それには、
日ごろから、その時々に授かった「気付き」を大切にして、「心を込め心を行き届かせて美しくていねいに生きる楽しさ」を味わう生き方が良いのだろうと思うのです。
続きは教会で!