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韓国文学読書記録【3】 20240101-0107

ほぼ布団にいる正月。能登半島で大地震が…なんという始まりだ。しばらくファン・ジョンウンを集中的に読む予定。

斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』によれば、ファン・ジョンウンは〈文学の背骨に溶け込んだ朝鮮戦争を最も雄弁に描いている〉作家で、『年年歳歳』は〈若い世代が朝鮮戦争に向き合った小説の決定版ともいえそうな作品〉。イ・スンイルとふたりの娘を中心にした連作。

「廃墓」
71歳のイ・スンイルは、毎年鎌で道を作りながら行っていた山中の墓を廃墓することに決める。次女のハン・セジンが最後の祭祀に付き合う。

イ・スンイルの長女ハン・ヨンジンは、ものを売るのが上手で、その才能で家族の生活費を稼いできた。例えば、デパートで高価な布団を受験生の母親に売るのが得意だった。

何が違うのかは実はハン・ヨンジンにもよくわからなかったが、いったい秘訣は何なのと聞かれるとハン・ヨンジンは、私は母親の気持ちがよくわかる娘だったんだと答えた。長女だからね、私。貧乏な家の大黒柱だから、お母さんとは特別な仲だったんだよ。

『年年歳歳』「言いたい言葉」

母親の気持ちがよくわかる娘だからこそ我慢してしまったこと。我慢しなくても許される弟。言いたいけど言えない言葉。〈嘘、と思うたびにどうして血の味がするのか、わかりはしない〉というラストがつらい。

ハン・セジンがドイツに行くと言ったとき、イ・スンイルは自分がかつてスンジャと呼ばれていたこと、そしてもうひとりのスンジャのことを思い出す。

従順の順(スン)に、子供の子(ジャ)。順子、おとなしい子。私はそれが自分の名前だと思ってた。だから、私もスンジャだった。私の友達もスンジャだった。

『年年歳歳』「無名」

なぜ「ドイツ」といえばスンジャなのか、スンジャはどんな経緯でイ・スンイルになったのか。「廃墓」「言いたい言葉」に描かれた現在のイ・スンイルと結びついて、なんともいえない気持ちになる。イ・スンイルが誰にも手渡すつもりがなかったこと、誰にも話さなかったことが、朝鮮戦争と家族にまつわる記憶。

ジェイミーが祖母(=イ・スンイルの叔母)についていう〈アンナはアンナの人生を生きたの、ここで〉が記憶に残る。言えないことはあるし、わかりあえないこともあるけど、それぞれが自分の人生を生きて、お互いの人生を労ることはできるのだと思う。

あと、作中に出てきた映画「近づくものたち」を観たくなった。邦題は「未来よ こんにちは」。

『韓国の小説家たちⅠ』のファン・ジョンウンのインタビューと、『目の眩んだ者たちの国家』のファン・ジョンウンの文章にも目を通した。次は『ディディの傘』を読む。

ddと一緒に住んでいた半地下の部屋の窓の前で、老婆たちがケシの花を見ながらおしゃべりをする。子供や天気や健康、そして戦争の話。

……若いときに最初の戦争を体験した彼女らは、人生の中でいつ何時でも二度目の戦争が起こりうると思い、それは思うというよりほとんど無意識の確信と予感であり、それを抱えて生きてきたため、ときおり、知らず知らずのうちに同じようにして過去が今でもここに現存していると認めるしかないことがあり、そう考えると自分たちの人生の内側では……つまり心の中では……戦争が完全に中断されたことはないみたいだ、と言った。

『ディディの傘』「d」

そのあとに続く漢江の橋が落ちたときの出来事、生きていることを実感した〈恥ずかしさ〉。dが〈人間の心はあごにある〉と思った理由。衰退していく世運商街と「ラブ・ミー・テンダー」のレコードにまつわる思い出。光化門で行われたセウォル号の追悼行事とデモ。どの場面も忘れがたい。

彼らは愛する者を失い、僕も恋人をなくした。彼らが戦っているということをdは考えた。あの人たちは何に抗っているのだ。取るに足りなさに 取るに足りなさに。

『ディディの傘』「d」

「私」と一緒に暮らしているソ・スギョンの関係、1987年と1996年のデモ、セウォル号沈没事故とキャンドル革命のことが語られる。「私」が大学をやめた経緯、会社の同僚にされたハラスメント、妹が結婚するときの父の〈勝者の微笑〉という言葉、20年前に「私」とソ・スギョンが初めて借りた家で体験した嫌がらせ。権威とか常識って何なのか。自分はどのように今日を記憶するのか。考えてしまう。

作中で言及される作品:シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』、ロラン・バルト『小説の準備』、ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』、プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』、サン=テグジュペリ『人間の土地』、劇場版『エンド・オブ・エヴァンゲリオン』、アニメ『スカイ・クロラ』など。

語り手の「わたし」、ウンギョさんは森で影を見かける。影の後をついて歩いていると、ムジェさんに声をかけられる。ふたりは道に迷ったようだ。歩きながら、ムジェさんはウンギョさんに影法師の話をする。

どこかではっきりと自分の姿を目撃したのだとしたら、それは影法師なんだ、影法師というのは一度立ち上がったらどこまでも執拗につきまとう、そうなったら本体の体はいっかんの終わり

『百の影』

怪談みたいな始まり。ウンギョさんはムジェさんのおかげで助かったのかもしれない。読み進めていくうちに、ふたりは電子機器類を専門に扱う雑居ビルで働いていることがわかる。ウンギョさんは修理屋のヨさんの作業室で店番とかちょっとしたお手伝いをしていて、ムジェさんはトランスをつくる工房の見習い。ヨさんも影法師が立ち上がるところを見たことがあるという。

8日に続く。


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