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韓国文学読書記録【2】 20231224-1231

サンタクロースはいると思ったことがない。「うちは仏教だから関係ない」と言われて育ったので。クリスマスは父の取引先の会社にノルマとして買わされるケーキを食べる日だった。プレゼントもないのが当たり前で、一度だけ酔っ払った父が斉藤由貴のCDを買ってきてくれたことがあるくらい。大人になった今は、食事に行くこともあれば何もしないこともあるし、好き勝手に過ごしています。

今回読んだ韓国文学は以下のとおり。

表題作の「唾がたまる」。大手の進学塾で講師をつとめている主人公が、大学の後輩と同居する。一緒に暮らし始めて三ヶ月経ったときの心境の変化がリアル。生活力を手放したくないために自分を圧し殺して働く人の絶望的な〈疲れ〉にも共鳴してしまう。「堂々たる生活」に〈透明な不幸〉という言葉が出てきたけれども、住処を失って親しくもない先輩を頼ってきた後輩も〈透明な表情〉をしている。残酷で悲しい別れの思い出と結びつく唾も透明。

偶然だけどぴったりのタイミングになった「クリスマス特選」を読む。クリスマスの日、ひとりインスタントのピビン麺を食べながらクリスマス特選映画を観る兄と、念願叶って恋人とデートに出かける妹の話。幸せな時間を過ごしたい若者たちの前に立ちはだかるのは、ソウルの厳しすぎる不動産事情だ。せつない。

求職中の女性が浪人生活を回想する。予備校のある鷺梁津(ノリャンジン)は、あらゆるものが〈通過する〉場所だと思っていた。でも、過酷な受験戦争を乗り越えて7年経った今も自分はどこにもたどり着いていない。〈どうして私は相変わらず通過中なのだろうか〉と思うくだりがつらい。

田舎の働き者のお母さんの謎。冒頭にある〈母の包丁の刃先には、死ぬまで誰かの面倒をみて食べさせてきた人間の無心が宿っている。〉〈私は母が作ってくれる料理だけでなく、その材料についた包丁の跡も一緒に飲み下した。真っ暗な体内には、じつに無数の包丁の跡が刻まれている。〉という記述が、印象的なラストシーンにつながっている。

『唾がたまる』をまだ読み終えてないけど少し寄り道。

あなたも、わたしの話をとおして、自身の話ができるようになりますように。傷のない明るい顔ではなく、傷を耐えぬいた明るい顔で生きてゆけますように。

『奥歯を噛みしめる』「日本の読者へ」

ここでバンタンの”LOVE YOURSELF: SPEAK YOURSELF”(2019年のツアータイトル)を思い出した。

「祈り」は考試院に住んで公務員を目指す姉と、化粧品会社を辞めてから職を転々として今は家庭教師で生計を立てる妹の話。妹は姉のために買った枕を抱いて漢江を渡る。

川向こうにビルが林立する都市が見える。透明な肌で全身に日差しを浴びている。綿雲のあいだにちらりと映る、ソウルの午後一時の表情。ソウル午後一時のきらめき。世界に窓が多すぎるから人間は暗い。

『唾がたまる』「祈り」

「四角い場所」は、主人公が生まれ育った急斜面の貧民街(タルトンネ)の部屋と、好きだった先輩が住んでいた部屋の話。先輩と一緒に道に迷うくだりが好き。

「フライデータレコーダ」は、ある島の話。「訳者あとがき」に〈この作品にかんしては情報のない状態で堪能していただけたらと思う〉と書いてあったけれどもそのとおり。不思議な味わいでよかった。

新しい形態で他人に接するこの方式にも慣れた今、わたしたちの「愛好」と「選択」がどのような形で決定されるのか、もはや知らないふりをすることができなくなってしまった。他者からの感染という方式で自分に近づいてくる「愛好」の世界に積極的に自身を”露出”し、「愛好」の世界にみずから”収斂”することによって得られる、情報弱者でも流行遅れでもないという安堵感が、所属感にすりかわる。自身の独創性によってのみ見いだされる、少しちがう楽しさを、置き去りにしたまま。

『奥歯を噛みしめる』「少しちがうこと」

「間隙の卑しさの中で」は詩作について書いた文章。

単語ではなく文章が、文章ではなく文脈が、文脈ではなく歌と似たようなものが、歌ではなく滲む涙が、滲む涙ではなく炎が、炎ではなく灰の山が、最後に白紙の上に積もる。詩は、すべての失意と失敗を経たすえに決着を見る、一握りの灰なのだ。

『奥歯を噛みしめる』「間隙の卑しさの中で」

読了。「儚い喜び」は好きな詩人の話。最近読んだばかりのシンボルスカ『終わりと始まり』が出てきて嬉しい。〈差し迫った問いの前にみずからが立っている〉〈飾らない詩の真価〉。

「奥歯を噛みしめる」は、著者がある飲み会で女性詩人に〈歯をぎりぎり食いしばりながら誰かのことを耐えようとすることも、人間に対する最大の愛情表現じゃないかしら〉と話しかけられる。その具体例として見せられるドキュメンタリーが怖い。怪談のような味わい。

著者はいろんな場所で詩を書く。「楯突く時間」はバリ島。〈わたしを包みこむわたしの人生に、どうにかして楯突くために、リュックを背負って旅を続けてきたのだ〉と思う。

わたしは詩にも楯突きたい。わたしが書いた詩も含むあらゆる詩に、そしてみなが信じる詩に。楯突くのが詩であるというのなら、その言葉にも楯突きたい。詩に関するある種の知ったかぶりや信念にも楯突きたい。

『奥歯を噛みしめる』「楯突く時間」

今年はここまで。さて来年は何から読もう?

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