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肉の昂り…狙われた美魔女

 広末洋子(41)は専業主婦である。
 今年に入ってから大学生の息子が一人暮らしをはじめ、旦那は多忙な毎日を過ごし、孤独な時間を持て余している。
 そんな洋子にはヒミツがあった……。

 洋子は買い物メモを頭の中で反芻しながら家の鍵をかける。いつも多忙な旦那に少しでも精の付くものを食べて欲しい。そんな想いから、ささやかにも今夜は好物のモツ鍋をご馳走してあげようと考えていた。
 そんな洋子の背後から忍び寄る不穏な影。
「これはこれは」
 背中越しにかけられた野太い声に、洋子はびくりと肩を振るわせる。
「奇遇ですな。奥さん……」
 恐る恐る首を巡らせる。だが、振り返る前から声の主が誰だか洋子はわかっていた。
「ア、アナタは……」
 声の主は、縦縞のスーツにゴールドチェーンを首から下げた、角刈りの中年男性。
「鯨井さん……!」
 鯨井と呼ばれた男はニタリと金歯を光らせた。
「どうも、ご無沙汰」
「……何の用ですか?」
 洋子はギュッとエコバックを握りしめる。エコバックの内側には「かあさんへ」と刺繍がしてある。息子が小学生の時、授業の課題で洋子へ送った手作りのエコバックだ。
「アナタとはもう終わったはずです」
 そのまま足早に鯨井の脇を通り抜けようとする洋子。しかし……。
「そうはいかねえだろ奥さん!」
「ああっ!」
 強引に肩を捕まれた洋子は、思わずエコバックを取り落としてしまう。
「俺はな、あんたのヒミツ、知ってんだぜ」
「な、なにを……」
 鯨井は懐か一枚の写真を取り出す。
 そこには、空中で魔法ステッキを振り回すフリフリのミニスカートを身につけた洋子に似た女性が写っていた。
「あ、ああ……」
「あんたが巷で活躍している正義の味方、マジカル美魔女ピンキー洋子だってな……!」
 そう、洋子のヒミツ。誰にも知られてはいけない彼女のヒミツ。
 洋子は人知れず悪と戦う使命を持つ、美魔女洋子だったのだ。

 洋子は寝室のベッドに半ば押し出されるように倒れこむ。
 天井ではシーリングファンが回っている。
 夫の香りが残る寝室に、今や鯨井という別の男が我が物顔で陣取っていた。
 どこで間違えてしまったのだろうか。
 旅行先でのほんの一夜の過ち……。
 もう終わったと思っていた。
「や、やめて……」
 ベッドに身をゆだねながら声を震わせる。
「あれは間違いだったのよ……」
「間違い?」
 鯨井は笑い飛ばす。
「その割には随分激しかったじゃねえか」
「違う、あれは本当の私じゃあ……!」
「なら、このピンキー洋子が本当のアンタだってのか?!」
 鯨井はピンキー・洋子の写真を部屋中にばら撒く。あられもない恰好をした自分の姿がみぞれ雪の如く降り注ぐ。
「クク、旦那が知ったらさぞ失望するだろうな……40代のオバハンがこんなフリフリのドレスを着て悪と戦っているなんて」
「お願い、常夫さんには言わないで……!」
「なら、わかっているよな……」
「……っ!」
 洋子は頬を羞恥に染め、熟れた身体をよじりながら歯を食いしばる。
「好きにして」
「違うだろ」
 鯨井の強い声に、洋子は肩を震わせる。
「好きに……してください」
 鯨井は満足げににたついた笑みを浮かべる。
「そう言われちゃあ、クク……しょうがねえなァ……」
 表情だけでも敵愾心を剥きだする洋子。彼女はエコバッグを路上に置き去りにしたままであることを、未だ気づいていなかった。
 鯨井は突如、スーツケースを取り出し中を漁り始めた。
「……?」
 すぐさまベッドで情事に至るものだと考えていた洋子は、焦らされているようで体の奥がジンと熱くなった。
「なんだ、物欲しそうな目をしやがって」
「そんなこと、ない……!」
「クク、まァそう焦んなさんな。これは俺から奥さんへのスペシャルサプライズよォ!」
 鯨井はスーツケースから布製のものを引っ張り出した。
 まず目に飛び込んだのは、陽の光を吸い込んだような白と、穏やかな濃紺。純潔とノスタルジーの象徴、セーラー服である。
「そんな、これは……!」 
 だがそれだけではなかった。鯨井は、徹底的に洋子の心を嬲り蹂躙しつくすつもりであった。
 鯨井のとりだしたセーラー服。それはかつて洋子が青春の日々を過ごした聖桐女学院のセーラー服だった。

 洋子は洗面所で小さく息を吐く。鯨井は下衆だが手順を踏む男だ。目の前で着替えさせるのは、鯨井にとって無粋なことであった。
 セーラー服に裾を通す。柔らかな布地が火照った肌にこすれて心臓が微かに跳ね上がる。昂っているのだろうか。この状況に。
 鏡を覗くと、そこにはセーラー服を着た肉付きのいい40代の女がいた。
 あの頃とは何もかもが違う。肌も水餅のような透明感があったし、腹回りの肉も無かった。
 輝かしい日々の記憶が、鯨井の手によって羞恥と淫靡に上塗りされていく。
 セーラー服に着替えた洋子をカメラのフラッシュが出迎えた。
「なかなか似合っているじゃねえか」
 鯨井は一眼レフカメラを携えていた。
「ちょ、ちょっと……やめて……」
「いいじぇねえか。別に減るもんじゃねえし」
「う……」
 彼には弱みを握られている。だから仕方ない。仕方ないことなのだ。自分に言い聞かせる。
「ねえ、これちょっと……短すぎないかしら?」
 洋子はスカートの裾を手で押さえる。そうしないと下着が見えてしまいそうな心許ない短さだった。
「知らないのか? イマドキの若者はそれくらいの短さなんだぜ」
「……恥ずかしいわ」
 こうして、鯨井による背徳な撮影会がはじまった。
「いいぞ、尻を突きだせ。こっちを見ろ」
 フラッシュが瞬く度、カメラのファインダーに「申し訳ないと思わないのか」「年増のくせに」「恥ずかしくないのか」と責められているような気がし、それがお腹の内側に熱を与え肌をひりつかせる。
「どうした? 息が荒いぜ」
「……っ!」
 恥も外聞もない情けない自分の姿が情報として記録に残っていくことを想像すると、否応なく体が昂った。
「……んっ……!」
 どれくらい経っただろうか。撮影会の間。鯨井は決して洋子に触れようとしなかった。玄関先で鯨井が肩を掴んだ時の力強い腕を思い出す。常夫の優しい手とは違う、毛むくじゃらの粗々しい手。
 ああ、常夫さん。ごめんなさい。
 洋子は心の中で夫に謝罪する。
 そんな浅薄な罪悪感さえも、肉の昂ぶりに消えてゆく。
「……お、お願い……っ」
 洋子は豊満な肉体を震わせ、下唇を噛みながら懇願する。
「触って……っ」
 鯨井は口の端を歪ませ、洋子の丸く豊かな乳房を鷲掴みにした。
「ああっ……あああああああああ……っ!」
 ビリビリと稲妻のような快楽が皮膚を走り脳天を衝く。
 焦れに焦らされた洋子の肉体は、まるで鈴のように軽く触れただけで良く鳴った。
 鯨井は首にむしゃぶりつきながら、熟れて零れ落ちそうな乳房を揉みしだく。鯨井の熱と洋子の熱が溶け合い、一つになろうとした。
 ──その時。
「そこまでだ!」
 何者かが笑いながら窓ガラスを突き破って転がり込んできた。
「な、何奴……!」
 尻もちを突きながら鯨井は問う。
 窓ガラスを突き破った男を見て洋子は目を見開いた。
「我が名は……ビジネススーツ仮面!」
「ビジネススーツ仮面……?」
「ビジネススーツ仮面だと?!」
 男はその名の如くビジネススーツに身を包み、目元をお覆う仮面をしている。
 どこか常夫に似た雰囲気をしているが、仮面をしているので定かではない。
「洋子くん!」
 ビジネススーツ仮面は洋子に声をかける。
「その男から離れるんだ。そいつの正体はマジカル美魔女から性を絞りつくして殺すインキュバス・アサシンだ!」
「何ですって……!」
「ちぃ……っ!」
 鯨井はバク転してビジネススーツ仮面から距離をとる。
「ばれちまったなら仕方ねえ……」
 鯨井は首に下げたゴールドチェーンを引き抜くと、光に包まれた。
 ビジネススーツ仮面は洋子をかばうかのように前へ立つ。
 光が収まると、そこには角の生えた角刈りの中年男性がいた。その姿は間違いなく、インキュバス。
「そんな」
 洋子は唇を震わせる。
「私がこんなになったのは、インキュバスの力で私を操ったからなのね……!」
「それは……………ふん、その通りよ」
 インキュバス鯨井が唇の端を歪ませる。その笑みがいつもと違い寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「ばれちまえば仕方ねえ。ビジネススーツ仮面ともども皆殺しだ!」
 鯨井は大きく跳躍する。
「危ない洋子くん!」
 ビジネススーツ仮面は懐から名刺を取り出し、それを投擲した。
「ビジネス・シューティングスター!」
 名刺は光を伴って高速回転する。
「効くかァ!」
 インキュバス鯨井は太い腕で名刺を払う。名刺は明後日のほうへと飛んで行った。
「死ね! 仇敵ピンキー洋子! ビジネススーツ仮面!」
 あわやインキュバス鯨井の腕力で洋子ともども薙ぎ払われんとしたその時。ビジネススーツ仮面は笑みを浮かべた。
「ギャッ!」
 突如、天井からファンが落ちてくる。シーリングファンだ。大きなシーリングファンはインキュバス鯨井の肉体を落し潰した。
「ば、馬鹿な……!」
「フッ、私はサラリーマンだ。名刺はいつだって複数は持ち歩くもの。この部屋へ入った時既にもう一枚の名刺を放っていたのさ」
 そう、ビジネススーツ仮面は空中で旋回していた名刺に鯨井が払った名刺をぶつけ、軌道を変えさせシーリングファンを天井から切り離したのだ。
 まるで間取りを知っているかのような知略。流石はビジネススーツ仮面。
「ぐ……おおおっ!」
 しかし、鯨井は床を殴りつけて跳ね起きる。
「なにっ!」
「へ、このくらい大したことねえ……な!」
 インキュバス鯨井のローリングソバットがビジネススーツ仮面を撃ち抜く。バネのように吹き飛んだビジネススーツ仮面はタンスへ叩きつけられる。
「グハッ……!」
 ビジネススーツ仮面は口から血を吐き出す。インキュバス鯨井は目にもとまらぬ速さでビジネススーツ仮面に近づき、その首を掴み上げる。
「ぐあああああ……っ!」
 ビジネススーツ仮面は苦悶に悶える声をあげる。
「その力……貴様ただのインキュバスではないな……!」
「ただのインキュバスだぜ。つい先刻まではなァ」
「……! まさか!」
 そう、インキュバス鯨井はピンキー洋子の性をある程度吸い取ったことで妖魔クラスCからSSSクラスへ進化していたのだ。
 このままでは、ビジネススーツ仮面が危ない。
「洋子くん!」
 洋子はびくりと肩を震わせる。
「ピンキー洋子に変身(メタボルフォーゼ)するんだ! このままでは、君だけじゃなく君の家族にまで危険が及んでしまう!」
 そうだ。もし自分が負けたら、インキュバス鯨井が私の家族を見逃すはずがない。だけど。
「できない……」
「何っ?!」
「だって弱みを握られているもの。私がピンキー洋子という弱みを握られているのだもの!」
「洋子くん……!」
 あの破廉恥な自分の姿がばら撒かれたらと考えたら。それを考えるだけで体の芯が熱くなった。
「洋子くん……君にとってピンキー洋子は恥ずかしいものなのかい?」
「そうよ! だってあんなフリフリな恰好!」
「私はそうは思わない」
「えっ……」
 洋子は顔をあげる。
「私はピンキー洋子が恥ずかしいだなんて思わない。だって君は戦っているじゃないか。平和を守るため、必死に……!」
「ビジネススーツ仮面……」
「正義の味方。ピンキー洋子は本当に恥ずかしいものなのかい?」
「……」
 いつだってマジカル美魔女の姿で外を出あるくのは恥ずかしい。戦いだって怖いし疲れる。妖魔の返り血はシャワーを浴びても中々落ちない。飛んでる姿を下から撮られてパンツの柄を拡散されたこともある。本当に嫌な仕事……。
 でも、あのタンスの奥底にしまってある手紙。助けた少女からもらった感謝の手紙。あれを受け取った時の思い。あれだけは胸を張って本物だと言える。
「……くない」
 洋子は声を絞り出す。
「恥ずかしくないわ! だって私、正義の味方、マジカル美魔女ピンキー洋子だもん!」
 洋子は跳躍し、腕をクロスさせる。
「メタ・ボルフォーゼ! ルンルンルンルン……!」
 セーラー服が弾け、洋子の豊満な裸体があらわになる。すると、どこからともなくピンク色のリボンが現れ、洋子の身体をギュッと締め上げる。リボンの隙間から零れ落ちそうな贅肉がはみ出る。そのまま洋子は光に包まれ、
「トキメキを届けるルンルンチャージ! マジカル美魔女、ピンキー洋子参上!」
 光が弾けた。フリルのスカートを身に着けたピンキー洋子。だがリボンの意匠が従来のピンク色から変化し虹色に輝いている。
 そう、彼女はただのピンキー洋子ではない。羞恥と性欲を乗り越えたマジカル美魔女ピンキー洋子NEOなのだ。
「ば、馬鹿な! こんなことが……!」
「ふんッ」
 呆気にとられたインキュバス鯨井の隙をつきビジネススーツ仮面は拘束を抜け出し、マジカルネクタイを投擲する。
「なにーッ?!」
 長く伸びたネクタイがインキュバス鯨井の身体に纏わりつき、拘束する。
「今だ! ピンキー洋子!」
「覚悟なさい!」
 ピンキー洋子は美魔女ステッキを突き出す。
 ステッキの先端に不可思議な光が渦巻き、空間を震わせる。
「な、なんだこれは……!」
「これが愛の魔法です。食らいなさい! ピンキーレボリューション!!!」
 光の濁流が迸る。それはピンキー洋子がマジカルイーハトーブから引き出した魔力の奔流。、それがNEO化したことによって空間を歪ませるほどの力を持ち、禁忌のエネルギーを発揮した。
「お、おお……洋子……!」
 鯨井は光の奔流を浴びる。
「洋子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 ジャイロ回転する破壊的魔力の渦はインキュバス鯨井の身体を突き抜け、壁を破壊し、そのまま大空へと吸い込まれていった。
 遠くの空が煌めき、爆発が起きる。
 ──さよなら、鯨井さん。
 洋子は心の中でつぶやき、残心する。
「やれやれ、派手にやらかしたな」
 一匹の犬がよたよたと部屋の中に入ってくる。
「あなたは……!」
「そうだ、スプーキードッグ様だぜ 」
 スプーキードッグ。それは一見犬だが実はマジカルイーハトーブ王国の西海岸から来たマジカルビーストで、ピンキー洋子の力を媒介する役目を持っている。
「安心しろ。この後始末は俺たちイーハトーブのマジカル・ロウが担当するぜ」
「ありがとうね。スプーキードッグちゃん」
 ピンキー洋子はスプーキードッグの頭をなでる。スプーキードッグは満更でもない。その目は大麻で充血していた。
「さて、私はそろそおお暇させてもらおう」
 ビジネススーツ仮面は寝室の窓枠に足を掛ける。
「ま、待って……!」
 洋子は咄嗟に呼び止める。しかし、何も考えていなかったので二の句が継げない。
 ビジネススーツ仮面は洋子の言葉を静かに待っている。
「あの、えっと……ありがとう。それから、あなたのお名前は……」
「私はただのビジネススーツ仮面。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「……また、会えるかしら」
 ビジネススーツ仮面はふっと破顔する。
「君が助けを求めるとき。そこに悪があるとき。私は現れるだろう! さらば!」
 窓枠を蹴り、ビジネススーツ仮面は飛び立った。あの特徴的な高笑いを残して。
 洋子はビジネススーツ仮面が飛び立った空をいつまでも見つめていた。その瞳はどこか熱っぽかった。
 そんな洋子の背中を見て、スプーキードッグは思わず嘆息する。
「やれやれ、懲りないやつだぜ。こりゃまた不倫するつもりだ」

おわり

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