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はてしない石の物語#15~お義父さんの石たち「天の石」~

新たな年が明け、2024年が始まりました。この「はじまりの日」に、私がこれまで出会った石の中で、最もエネルギーと次元が高いと言われた石についてお話したいと思います。『はてしない石の物語#12~お義父さんの石たち「水晶と浄化」~』でお伝えしたように、地質学者であったお義父さんのものと思われる石です。

その「水晶」のお話はこちら。


 
今回お伝えする石に関しては、エピソードがたくさんあるので長くなりますがお付き合いいただけたら嬉しいです。
 
なぜ「お義父さんのものと思われる」という表現になるかというと、石の勉強をするようになって、浄化されずに辛い想いをしている石がたくさんあることを知り、主人の実家にある石たちが気になって家族の承諾を得て持ってきたものだから。もはや誰もその石の由来を知らないから。でもきっとお義父さんがどこからか持ってきたものなのだろうと思います。
 
その石はわりと大きくてオレンジ色をしていました。K先生にはじめて見ていただいたのは2023年9月25日。その時、先生はしばらく石からメッセージを得ようとしていましたが諦めたように「これは情報が入りすぎていて、どれを受け取っていいかわからない。整理してきて」とおっしゃいました。今から思えは「浄化」ではなく「整理」と言われたのはその時が初めてで、その後もまだありません。整理のために白檀のお香の「粉」ではなく「角材」が適している、ということだったのでそれをしばらく石の上に置いておきました。
 
次にその石を見て頂いたのは2023年10月12日。その時、先生は不思議なことをおっしゃいました。いつも石の勉強の時に持っていく2つの水晶(これもかなりエネルギーが高い石だといわれています)を見ながら「この水晶の隣の山の頂上にある石だ」と。私も同行していた次女も「は?」となってしまいました。先生自身も「どういう意味だろうね・・・」とおっしゃるので笑ってしまいました。
 
よくよくメッセージの意味を読み取っていただいたところ「まず、水晶とは役割が違う、だから「隣の山」という表現になるようだ。そしてその山の頂上にあるようなすごい石で、どこか山の上に置いてきたら、天のエネルギーを吸収し四方八方にそのエネルギーを広げる力がある。個人で持つレベルの石ではない」とのこと。その言葉にびっくりしました。
 
「それならばどこか山の上に置いてこなくては」と思い、近隣の思いつく山を伝えても「そこではない」という答えばかり返ってきます。内心ドキドキしながら「まさか、富士山ということはないですよね?」と聞いてみたら「富士山でもない」と。ホッとしました。どこならいいのだろう・・・と行き詰ってしまった時「あ、山でなくてもいいようだ」と先生がおっしゃいました。その瞬間パッと浮かんだ場所がありました。その場所を伝えたら「いいかもしれない」と、先生は娘に「その場所のグーグルマップだして」と頼み、スマホで確認して「うん、ここがいいね」ということになりました。
 
それほど遠くはないところだったので、その後娘と確認に行きました。候補となる場所を3枚ほど撮影し先生に送ったところ、その中の1枚に「その場所がすごく良いですね!」という返信が届きました。そう、娘とも「ここがいいよね」と話した場所でした。
 
そうこうしているある日、娘が「オレンジの石が欠けたの?」と聞いてきました。「欠けてないよ」と答えたら「じゃあ、これを置いたのはお母さんではないの?」と言うのでどういうことかわからず石のところに行ってみたところ、石のちょうど真ん中にかけらが乗っていたのです。誰もそこに置いた人はいません。不思議だな、と思って先生にお聞きしようと思っていました。

こちらがそのかけら(写真は発見当時を再現したものです)。わかるかしら?真ん中に小さなかけらが乗っています。

真ん中に「かけら」が見えるでしょうか?


 
ここでちょっと話がそれます。石の話をいつも楽しみにしてくれている友人にその石を見せたところ、見た途端ぐらりとめまいがしたそうなのです。たぶんエネルギーが強すぎて、だったのではないかと思います。スピリチュアルな感覚を持ち合わせている人なので。
 
前述の「かけら」の件や「ぐらりとめまいがした」件について、K先生にあらためて見ていただいたのが2023年10月20日。「かけら」については「『ありがとう』『あなたたちを守ります』というメッセージがある」とK先生はおっしゃいました。「これはプレゼントです。これからもあなたたちを守ります。もしこのかけらがなくなっても大丈夫、それでも守ります。」とのこと。私も娘もそのメッセージを聞いてうまく言葉になりませんでした。石はなんと律儀で誠実で愛が深いのでしょうか・・・
 
石からはちょっと変わったメッセージも受け取りました。「いずれ別の地域にも行きたい」と。「別の地域・・・?」と娘と戸惑っていると、先生は「そのめまいがしたという友達の生まれ故郷がいい」とおっしゃいました。それは私たちが住むところからはかなり遠く離れた場所。「どれくらい経ったら移す時なのでしょう?」とお聞きしたら「一度こんな話があったことを忘れ去って、再び思い出した時がその時」とも・・・「だからけっこう長い年月経ってからだね」と。
 
そんなわけで、その友人も一緒に石を「ある場所」に置きにいくことになりました。他にも時々その場所を訪れるという友人、娘たち(たまたま長女も帰省していたので一緒に)私の5人で。
 
その時のお話をする前に、この石の不思議をもう少しお伝えします。石の勉強に同行した次女の体調が悪い時がありました。先生が「顔色が悪いね、この石を持っているといいよ」と言ってくださったので、娘はそれを胸に抱えていました。勉強も終わるころになって「どう?」と聞かれた娘は「なんだか途中から持っている気がしないほど石が軽くなりました」と答えていました。「そう、その石は今あなたの中に入り込んでいる。だから重さを感じないんだよ」と。娘の身体はポカポカと温かくなったそうで、顔色も良くなっていました。
 
また、帰省した長女と石の勉強会に行った時にも「この石をお腹に当ててみて」とか「胸にあててみて」などと先生が指示され、その通りにしていたところ「あなたは喉とお腹。どういうことかと言うと『心と言葉の整合性をとることが大事』ということ。考えすぎて気を使いすぎて、思っていることを素直に言葉にできなくなっているから、できるだけ心と言葉を一致させるように心がけるといいよ」と言われていました。長女が幼いころからその点がとても気になっていて、でもどう伝えていいかわからずにいたので、石からのメッセージに深い感謝の気持ちがこみあげてきました。石はなんとすごいのでしょう!(それを読み取ってくださるK先生も)
 
そうこうしているうちに、石を置きに行く日がやってきました。その日に決めたのは同行するメンバーの都合が合う日、ということだったのですが、長女も帰省していたために一緒に行けたことは「はからい」だったと思います。
 
いよいよ、という時、「最後にみんなこの石を持ってあげて」と石を渡しました。最初に持った次女が「重い!」と言いました。「こんなに重い石ではなかった」と・・・何度も触ってきたのでよくわかっている娘。その次に持った長女も「本当だ!おもーい!」と。私も持ってみたところ「ズシッ」と重みを感じてびっくり!瞬間的に「石の想いの重さ」と感じました。友人たちもその重みを感じたようでした。
 
こうして無事に石を置いてくることができました。私は寂しい気持ちもありましたが、肩の荷が降りたようなホッとした気持ちも強くありました。
 
先生に報告メールをして石が重くなったこともお伝えしたら「ズシっと重くなったのは、あなたへの感謝だそうです。とても喜んでおられます。この石様も、心置きなく全力を出せるかと思います。」と返信をいただきました。
 
最後まで本当に律儀な石でした。ずっと「オレンジの石」と呼んでいたのですが、「天の石」とあらためたいと思います。
 
「天の石」をふさわしい場所にお届けしたのは2023年11月7日のことでした。
 
2024年の初めに、素晴らしい石のお話をお届けできたことをとても嬉しく思います。きっと写真にもパワーがあると思います。みなさんのこの1年が、素晴らしいものとなりますよう祈りを込めて・・・

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