見出し画像

釣手土器は生活と「まつり」をつなぐ縄文人のアート

長野県の御代田町にある浅間縄文ミュージアムで開催中(2019年4月21日~9月1日)の「縄文人間」展に行ってきました。

いろいろな土偶やら土面やら人面把手やらがあり、そのことは別のところに書きましたので、こちらもぜひお読みください。

それはさておき、この展示で一番惹かれたのは実は釣手土器でした。

釣手土器というのは、器の上に「釣り手」がついていて、手に持ったり吊り下げたりできるような形状の土器です。奥に写っているもののようなシンプルなものが多いのですが、中にはゴテゴテと装飾がされ、これを釣り手とよんでいいのかという形のものもあります。

この俎原遺跡出土の釣手土器(縄文中期、平出博物館蔵、長野県宝)もそんな土器の一つ。別角度から見ると顔がついています。

同じ「縄文人間」展には、こんな釣手土器(床尾東遺跡出土、縄文中期、平出博物館蔵)も。

もはや何が釣り手なのかわかりません。

なぜこのような形になったのか、なんとも不思議でいろいろ想像が膨らんでしまいます。

釣手土器は、中に油を入れて灯明として使われたとも言われています。真っ暗な縄文時代の夜、竪穴式住居の中でこの釣手土器で明かりをともしていたと想像してみましょう。そうすると、この複雑な装飾は住宅の壁や天井に影を落とします。炎が揺れ、影が揺らめき、幻想的な雰囲気に…

日常生活には向いていませんね。ということは、儀式用だったのかもしれません。皆が集まって何かを願うのか、何かに感謝するのか、宴会をするのかはわかりませんが、特別な夜に使われたのではないかと想像するのです。

同じ長野の県立歴史館にはこんな釣手土器(富士見町・札沢遺跡出土、縄文中期)もあります。

釣り手には、4匹の蛇と思われる装飾があります。蛇というよりツチノコという感じですが精巧でかつ可愛い装飾が目を引きます。

装飾が見えないと意味がないのに加え、この土器は器の部分が大きいので、灯明ではなく明るい場所で食べ物や飲み物を入れるのに使ったのではないかと思うのです。

そう考えると最初の顔がついた釣手土器もそういった使い方のほうがふさわしい気がするし、花を活けたりしてもいいかもしれないし、結局何に使ったのか…堂々巡りで結論は出ません。まあ、もともと想像でしかないので結論は出なくていいんですが。

ただ、縄文人にとってはこの装飾に意味があり、この装飾がついた土器を使うことが日常において重要なことだったことは間違いないでしょう。これらの釣手土器にはかなり手間がかかっているし、造形もこれだけ洗練されているのだから、雑に扱われたわけがありません。

縄文人の価値観は想像するしかありませんが、時間と手間をかけたものに対してはそれなりの価値を置くというのは今も昔も変わらない気がします。

縄文の遺物というと土偶や火焔土器のような派手なものに目が行きがちですが、こういった日常と非日常の境にあるような土器からこそ、縄文人の心を感じられると私は思いました。

先日、縄文人の「アート」という観点でノートを書きました。

そんなアートの視点からも、これらの釣手土器から縄文人のアートに対する姿勢が想像できる気がします。

縄文人にとっては生活と生活以外の日常(祭や遊び)が連続していて、その生活以外の日常のためにアートがある。釣手土器はその生活と生活以外をまたいで使われる道具であるように思えるのです。

私たちの今の暮らしからアートが遠くなってしまったのは、この生活と生活以外をまたぐ道具からアートが失われてしまったからなのかもしれません。

それを取り戻すにはどうしたらいいのか、それを考えるのを次の課題にしたいと思います。

奥=剣ノ宮遺跡出土、手前の2つ=俎原遺跡出土。俎原遺跡の釣手土器はすごい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?