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縄文人の「アート」が教えてくれるもの

縄文にハマってしばらく経ち、なぜ縄文にハマっているのか度々考える。

けれども、答えは出ない。

答えは出ないけれど、ハマるからには、そこから私は何かを得ているのだろう。

私は縄文人が残した土器や土偶や石鏃や石斧や耳飾りや籃胎漆器を眺めることで何を得ているのか。

先ず思うのは、そこに縄文人の精神の豊かさを感じるということだ。現代から見れば「原始」の生活をしている人々が、あれだけ手間がかかる装飾を施した道具を作ることの精神性、そこに魅力を見出しているのだろう。

それは言いかえると縄文人の「アート」に惹かれているということだ。

効率だけを考えれば不必要なはずのものを時間と手間をかけて暮らしにもたらす営為、それは間違いなくアートだ。

いまアートというと、芸術であり、高尚なものだと捉えられがちだけれど、本来アートとは生活の中で心を豊かにする少しの余裕であったはずだ。

縄文人の残した遺物からはそんなアート本来の姿が見える気がする。

だから私は次から次へと埋蔵文化財センターや郷土資料館を訪れ、その土地その土地の縄文の人々が土や石から生み出した「道具」を眺めるのだ。

そしてそのアートから何かを学ぶ。それは現代においても意味があるもののはずで、その意味がわかったら、少しずつ他の人にも伝えていきたいと思う。

写真は、上=小諸市郷土遺跡出土深鉢形土器(縄文時代中期中葉・長野県立歴史館蔵)、下=小諸市石神遺跡出土顔面付き注口土器(複製、縄文晩期)

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