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許して欲しい。「国際トランスジェンダー可視化の日」に寄せて

急にこんな文を、私が真面目に書くとは思わなかった。
もう過ぎてしまったが、3/31は「国際トランスジェンダー可視化の日」であったという。過ぎてから書き始めていることをとても反省している。許して。
当事者でありながら、私はその存在を昨年あたりになんとなくふわっと知ったのだった。
私はそれまで知らずに生きてこれて幸せなのかもしれないし、知らずに苦しみもがいてなんとか今生きているのかもしれないし、両方なのかもしれない。ともかくそれをとやかくいう気はない。自分を許したいのだ。
今までの人生で、全てのことにおいて私は許しを求め続けてきた。そして肯定を求め続けてきた。と思う。
いきなりなんの話だと思われるかもしれないけど、そうなのである。幼い頃、トランスジェンダーという言葉を知らない中でも、私は自分が、社会の提示する形にはまることなく、このままで社会生活を送ることを許して欲しくて、一所懸命頑張っていたと思う。許して欲しかった。
20代の頃、バイトを含め中々職にありつけなかった。家族や周りの人からは、自立できないことを沢山責められた。許して欲しかった。
今思えば、面接の度にトランスであることを怪訝に思われたり、逆に自分がなんとなく騙しているような、申し訳ない気持ちになって辞退してしまったり、やっと就いた職場でもコソコソといろんなことを言われたり思われているような気がして続けられなかったりした。
そんなの気にせずに……と今なら思える。多少は図太くなったみたいだ。だけど当時私は自分にも誰にも許されていない気がしていたから、そうは思えなかった。
それはいまだに引きずっていて、現在もなんとか生計を立てられたり立てられなかったり不安定ながら生きていることにとても負い目があるし、だけど私は今やっていることで生きていけるまでやってみることを許してほしいのである。
許しなんてなくても……と思うかもしれない。だけど私には必要だった。1人だけいつでもどこか社会から浮いている気がしている。必死で社会の上に立とうとしても浮いていってしまう。そんな気がしている。せめてそこにいることをいつでも許されている実感が、私には欲しいと思ってしまうことを誰が咎められようか。

話がだいぶ逸れてしまったが、昨日の「トランスジェンダー可視化の日」に合わせて公開した動画に、7人の当事者の1人として出演した。
題して
「あの日の自分へ」7人のトランスジェンダー当事者からのメッセージ

これは、看護師で映画監督の浅沼智也さんが中心となってトランスジェンダー可視化の日に合わせ作った動画である。
スタッフと出演者は以下の通り

<出演者> (登場順/敬称略) 
西原さつき
山口颯一
イシヅカユウ
MASAKI
浅沼智也
モンキー高野&らーちゃん
ベル

<スタッフ> 
企画:浅沼智也
制作:東海林毅
         藤本加奈


どの方のメッセージも、とても素敵なのでぜひ見て頂きたい。
この時「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」という最高の映画を観た直後で、全てを祝福したい気持ちでいっぱいだった気持ちが表情に露骨に現れている上、私の動きの随所にカンフーの息吹が見て取れることはこの際スルーして頂いて結構である。
私はこの動画の中で20歳くらいの自分に向けて「楽しいよ!」と言っている。
この言葉は、私が1番これを見る皆に思っていて欲しいことで、何より自分が今こう思っていたい、という願いでもあるかもしれない。
今、とてもじゃないけど本音を言えば「楽しいよ!」だけではいかないほどボロボロだったりもするし、立っていられないような気持ちのときもある。だけど私はその上で「楽しいよ!」と言っていたいのだと思うし、「楽しいよ!」と言っていたいということを許して欲しいのだ。
それはまた皆んなが、楽しい!と思うことを許すことであると思うから。

まどろっこしい私の文を最後まで読んでくれて感謝する。

P.S. 4/2までなのだけれど、主演した「片袖の魚」が無料配信中なのでこちらも見て頂きたく、というさらなる告知で私の稚拙な筆を置きたいと思う。

https://theatreforall.net/movie/katasode-no-sakana

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