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デザインを科目に例えるなら。

絵が描ければデザインはできるのか

大人になると、学校の勉強なんて何か役に立っているのかな、と思うことばかりですが、仕事としてデザインをやっていると、それなりに役立つこともあったりします。

デザインというものは、学校で習う科目では「美術」に分類されますが、実際にはそれだけを勉強していても、できるものではありません。

当然、デザインをやる上では絵を描けるに越したことはありません。それは単純に「画力」ということだけではなく、「自分の中でOKの線」や「美しいプロポーション」などを見極めることができる審美眼を養うために、様々な経験を通して「美術的な」勉強が必要であるとは思います。

ただし、ここでよく誤解されがちなのがアートとの違いです。これは以前に「デザインとは、関係の構築であるという話。」の中でも書きましたが、アートとデザインは似ているようで、まったく違うものなのです。

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アートが自分の内面から湧き出る衝動によって作られるもの、それに対してデザインは他者からの依頼(=課題)があって初めて成立するものだとすると、美術というやや感覚的な学問を学ぶだけでは、クライアントの課題を解決するには不十分であると考えられます。

そして、アートとデザインを一緒くたに考えてしまうと、どうしても「美的センス」が必要と思われがちです。実際に、仕事の場でも「私はセンスがないから分からないんだけど…」とか「これはもうクリエイターのセンスにお任せします」といった発言をよく耳にします。

しかし個人的には、センスなんていうものは初めから存在しないと思っています。それはあくまでも「経験からくる判断力」であって、持って生まれた特殊能力などではない、というのが私の持論です。

もちろん、そう思っているのは私にセンスというものがないからなのであって、世の中には天才的なセンスとしか説明しようがない才能を持った人も、存在するとは思います。ただそれはもうレアケースであって、持って生まれたセンスがなければデザイナーはできない、ということではないでしょうし、センスというものが「経験からくる判断力」であるとするならば、それは後天的に身につけることのできるスキルであるはずです。

デザインの魅力は、数学的な美しさによるところが大きい

では、デザインにおいて美しさを司るものは何かというと、ほとんどの場合において「幾何学的な美しさ」だったりします。単純に考えても、デザインを構成する要素(幾何形態のサイズや文字の級数など)は数字で示されるものですし、デザインの基本原則とされる「近接」「整列」「反復」「コントラスト」なども、数学的な理解があった方が、より使いこなすことができるはずです。

デザイナーの中には数学が苦手という人も多いかもしれませんが、実際の作業では、思いのほか数字を使うものです。例えば、要素の配置を決めるときには「全体左右幅の70%にしよう」とか、「この字間であれば、行間は級数に対して1.8倍は必要だな」とか、「12角形の頂点を真上に持ってくるには、15度回転すればいいな」といった計算を、毎日のようにしています。Webやアプリなどのレイアウトでは特に、「全ての数値を8の倍数で揃えるといい」なんてことも有名な話ですね。

とはいえ、単純なデザイン作業においては、それほど高度な数学的知識は必要ありません。言うなれば小学校の四則演算を基本とした「算数」の延長で事足りるレベルかと思います。

実はいちばん重要なのは国語かもしれない

ここまでの話で、デザインには少なくとも「美術」「数学」が必要であると説明してきました。ただ美しいデザインを作るだけであれば、たしかにそれだけでも事足りるかもしれません。

しかし、デザインの考え方を人に伝えたり、デザインする上で何かメッセージを持ってコミュニケーションすることが目的であるなら、「国語」は絶対に必須科目です。

そもそも大抵の場合、オリエンテーションというものは「言葉」で書かれているものです。まずはその言葉を正しく解釈し、よりわかりやすく、より魅力的にユーザーに伝わるように「可視化する」のがデザイナーの仕事です。

その伝え方において、どういう文法で並べた方が効果的に伝わるか、適正に判断した上で「情報の整理」をするのもまたデザイナーの役割なのです。

言葉を蔑ろにして極端に文字を小さく配置したり、装飾性を優先して可読性の低い文字を選んだりしたようなデザインを見かけることもよくあります。ケースバイケースではありますが、「伝わりやすさ」という観点では、そのようなデザインはあまり得策ではないように思えます。

ほとんどの場合において、言葉が必要ないデザインはありません。伝えたいことを正しく伝えるためには、言葉は絶対に必要不可欠なものであり、言葉がなかったら、それはただの絵です。絵のない広告はあっても、言葉のない広告はほとんど存在しないことが、それを証明しています。

むしろ、グラフィックデザインやWebデザインのように「コミュニケーション」を主目的とする情報デザインにおいては、美術よりも国語の方が重要なのかもしれません。

しかしながら、文章が苦手というデザイナーは、意外なほど多いです。そういう人には、簡単な小説などを読むことをオススメするようにしています。

マンガや映画などを観ることも大切なのですが、これらは既に絵があるものなので、答えが見えてしまっているのです。小説であれば、登場人物の姿形やシーンのアングルなどを頭の中で想像しながら読むことができます。これが「言葉をビジュアル化する」訓練になるのです。

デザインを科目に例えるなら、(国語+数学+美術)÷3

以上のことから、デザインを科目に例えるなら、「国語」と「数学」と「美術」を足して3で割ったような存在なのではないかと、私は常々思っています。別に3で割る必要もないのかもしれませんが(笑)。

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どの教科も同じくらい大事であり、本来であれば「デザイン」という教科を中学生くらいから授業に組み込んだ方がいいのではないかとすら思っています。誰もがプロのデザイナーになるわけではなくても、デザインの基礎知識を少し持っているだけで、日々の生活は大きく変わってくるはずです。

例えばデスクワークをしている人はほとんどの場合、何らかの書類や企画書を毎日のように扱っているはずです。それらを作成する際にも、デザイン的な「情報の整理」をうまくできるようになれば、内容の伝わり方が格段に良くなるでしょう。

また、デザインを発注する側になる場合もそうです。デザインをただ感性だけで見るのではなく、論理的に解釈することができれば、デザイナーと円滑にコミュニケーションすることが可能になり、よりスムーズに課題の解決に近づけるはずです。

デザインというものが単純に「センス」によるものではなく、「国語=文系脳」と「数学=理系脳」両方のバランスをとりながら、そこに少しの美術的感性が加わることで成せるものであるという理解が、世の中にもっと広がればいいのに、と私は考えています。

もっと大袈裟にいうなら、これからの教育として「読み・書き・デザイン」が重要視されるぐらいになって欲しいとすら願っています。

私も微力ながら、今後ますますデザイン教育に力を入れて、デザインに対する理解をもっと広げていきたいと考えています。





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