恐怖心とは何だ

ここ数日、俺の中で”恐怖心”がトレンドなので思ったこと書く。


俺は不安は良く感じるけど、恐怖心を感じた記憶がない。
というより俺はこの不安の感情を恐怖心だと思っていたが、どうやらそうではないのかもしれないと思い始めてきた。

俺にとっての不安は”分からないこと”なので、分かれば不安にはならない。俺の場合、”分からないことが分かった”でも不安は解消される。

俺はこの”分からない状態(不安な状態)”を恐怖心だと思っているので、他人の恐怖心を取り除くには、”分からせればいい”と考えてしまう。しかし、分からせても恐怖心が消えない人種もいる(というよりその類の方が多い)ので、どうしたらいいのか”分からない”。

現状、俺にとっての一番の恐怖は「他人の恐怖心が分からないこと」だ。恐怖心は人を狂気にする。人の狂気は何をしでかすか分からないので本当に怖い。人を狂気にさせないために、あの手この手で丸め込み相手の恐怖心を排除しようと思うが、本質的に他人の恐怖心が理解できないと最近感じており、”恐怖心”を感じている。


最近、恐怖対抗と言う言葉を知った。自ら恐れにつっこみ力づくで恐怖を克服しようとする性質らしい。俺は正にこの恐怖対抗するタイプだと思った。

怖いとか不安は”敵”の能力値が分からず、戦略や対策が考えられないから感じる。なので、俺は威力偵察ということでその”敵”に対してとりあえずつっこんで力量を掴むということをする。威力偵察の結果、痛い目みることもあるけれど、いつまでも”力量差不明”で地団駄踏むよりはマシと言う考え。

周りからは度胸があると言われることもあるが、俺からしたら怖いので動くという感じ。寧ろ自分はチキンだと思っている。


サイコパスは心拍数が低いらしい。

実は俺も安静時心拍数が50~52で割と低め(中華スマートウォッチでの計測なので正確性は分からんが)。瞑想とかやっている時は37~39くらいまで落ちる(こっちは鼓動に意識を向けてカウントしてみたのでたぶんあっている)。

サイコパスは恐怖心を感じないというが実際どうなのだろうか。俺は結構恐怖心や不安に駆られて何かしていないと落ち着かないということがあるので、恐怖心を感じないサイコパスではないと思っている。恐怖心を感じずにいられたらのんびりできて良いのになあなんて思うのだが。


不安や恐怖心は他人と共有することで和らぐというのはあると思う。自分が恐怖していることを他人視点から見るとどう感じるのかを知ることで、実は大したことがなかったということが分かるからだ。

俺が良く不安を覚えるのは「対話や意志疎通ができない相手だったらどうしよう」の類。知能差とか価値観の差とか情報格差みたいなので、意思疎通できないのは本当に不安になる。

他人の思考パターンを知ることが出来れば多少は対策がとれるので不安が和らぐ。

自分より上の立場の相手をする時は本当に不安だ。

俺より賢い相手なら俺の言っている理屈が通じるのでいいがそうでない場合、どう丸め込むかを考えないといけない。俺の言っている理屈を理解できても価値観の違いから受け入れられないとなると、権力に屈する形になるので不快。そもそも本能や感覚で生きているようなタイプを相手にするのは最悪だ。ただでさえ他人の考えや感情なんか分からないのに獣のそれが何か理解出来る気がしない。

社会的信用とか成功は全く興味わかないけど、こういう面倒事を楽に解決できるものとして権力や権威があるので、そういった力が欲しいなと思ってしまう。それかそういった環境から逃れてアウトサイダーになる力か。後者の方が人と関わらなくて済みそうなので理想だな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?