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7+ 番外編【シチズン ホーマー】

以前書いたnoteの下にくっつけていた文章が、
読み返すとけっこう好きだったので別記事でアップし直します。

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文字通り、愛用している腕時計がある。
シチズンのホーマー。
旧国鉄時代に駅員さんに貸与されていた手巻きの腕時計。
本体裏側には、年号や使われていた駅名が刻印されている。

※ただいま修理中につき、良い写真がないのが残念。

大きな文字盤と、視認性の高い数字。
針と12個の数字部分には蓄光塗料がついていて、トンネルなど暗いところでも時間が確認できるようになっている。

時間を確認する以外には、カレンダーもないしストップウォッチがあるわけでもない。
けれど、チッチッチッと確実に時間を刻んでいく。
なんども眺めたくなる美しい時計だ。

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手巻きの腕時計が好きだ。
もちろん、10代の頃なんかは電池式の時計を使っていて、電池が切れたら別の腕時計に変えるようなこともしていた。

20代になり、大学に進学し、いろんな世界を知るなかで、世界には魅力的な時計のデザインがあることを知った。
一番初めに時計の存在を意識したのは、アルネヤコブセンの”ステーション”。
数字の視認性、余白の美しさ、親しみやすさ。
不朽の名作だと思う。
わたし自身が「ある分野に特化した道具の魅力」に目覚めた最初のきっかけかもしれない。

小泉誠の”kehai”には、時間という概念を認識する面白さを考えさせられたし

nendoの”draftsman 01.scale”の美しいフォルムとスマートさには心を奪われた。
たまたま近所のショップでこれをつけている店員さんがいて、
つけている姿を見るためだけに、口実に全く別のものを買って、レジを打つ手を近くでジロジロみてたっけ。(!)

結局選んだのは現行のプロダクトではなく、シチズンのアンティークホーマーだったわけだけれども、何年経っても私の判断は間違っていなかったと思っている。

一日一回、朝。
腕に時計を巻きつけ、キリキリとネジを回す。
この作業がとても好きだ。

時間は絶えず流れていく。
正直時計さえなければ、時間厳守の窮屈さから解放されるんじゃないかとも思う。
わたしは花が咲いていたら寄り道して鼻を近づけたいし、
太陽にキラキラと反射する水が美しければいつまでも眺めていたい。
けれど、社会生活を営んでいくためにはそんなことも言ってられない。
だからわたしは、毎朝自分で時間を合わせる。
キリキリと小さなリューズを巻いて、今日一日の時間をスタートさせる。

時間に支配されるのではなくて、
わたしが、今日生きる時間を始めるのだ。

まるで何か尊い儀式のように、
うやうやしくネジを巻く。
キリキリキリ。

わたしは手巻きの腕時計が好きだ。
(しばらくはフォルコンと一緒だけど)

2019.6.27

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