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【Commitment】 コミットメントとお稲荷さんのあるアパートの話

今人生初の出版翻訳に取り組んでいます。リプロダクティブヘルスライツ(性と生殖に関する健康と権利)にまつわるノンフィクションです。この冬出版予定です。

翻訳は黒子作業ですが、自分の中から出る自分だけの言葉をメモがわりに再び書いていきたいと思い、ブログを再開します。ちょっと書きたくなった理由を少し説明します。

自分だけの辞書を心の中に作りたい

この記事のタイトルにあるコミットメントのように、英語圏から入ってくる概念で、なんとなくカタカナでヌルッと定着しているけど意味を聞かれると答えづらい言葉だったり、またインクルージョン=包摂性のように、和訳があっても広い世間一般ではいまだにいまいちイメージ沸きづらい言葉ってありませんか?

そうした新しい概念のカタカナ語や日本語たちの、イメージが浮かびやすくなるような言葉を見つけたいな、と思いました。すっきり四文字とか二次熟語に収まらなくても、自分なりにその言葉をスクラップブックのように整理したいな、と思うのです。
何故か?
それは多分私が普段暮らしていて、雑に語られる言葉に傷ついてしまうから。反対に、私が何気なく放った言葉で、誰かを傷つけちゃうこともあると思うのだ。丁寧に言葉の定義を自分の中で探すことで、自分が優しくあれたらいいな、と願いを込めつつ、週一くらいで記事書いていきたいと思います。どうぞお付き合いください。

久々の東京暮らし

去年の夏に離婚をして、去年の秋から久々に東京で一人暮らしをはじめた。家探しをはじめたのと同じ頃、お客さんの会社の入社試験受けないかと誘われて、願掛けで会社に通いやすい地域で家探しをすることにした。知り合いが営む不動産屋さんのスタッフさんが、辛抱強く内見に付き合ってくれて、物件ウェブサイトをリサーチしては、いろんな家を見に行った。当時まだフリーランサーだったにもかかわらず、公園が目の前の最高のロケーションのマンションの審査にすんなり通ったのに、「やっぱり部屋暗いから」と土壇場でやめたり、かなり優柔不断そうなお客さんだったと思う。自分のこだわりが強くて、あまりになかなか家が決まらないので、一回よその不動産会社さんが独占で抱えている物件も見にいったりもした。悪い奴でしたわ。

コミットメントとはお稲荷さんを背負って暮らしていくこと

くだんの別の不動産会社が載せていた物件は、個人商店の二階で、定期借家で契約更新できないとかで、地域の平均家賃よりとても安かった。何より、「占有の屋上あり」と言う謳い文句に惹かれて、内見することに決めたのだった。

現地に到着して早速室内を見ると、とても明るくていい部屋だった。ただ、ずっと在宅で仕事するには少し空間が狭いかな...と言う感じだった。せっかく来たので屋上も見せてもらおうと、階段を登り、屋上のドアを開け、足を踏み入れた。

すると、手すりと柵で囲まれたその正方形の屋上は、日差しも明るく、大家さんがメンテナンスされているであろう元気そうな植木鉢がたくさんおいてあった。この時点で、「部屋は狭くてもここに住んでもいいかな」と言う気持ちが高まった。部屋が狭ければ屋上にテント張ればいいじゃないと言う気持ちに急になったのだ。高揚しながら植栽たちを検分し、再び屋上のドアの方を振り返ると、そこにはお稲荷さんがいらっしゃった。郊外の一軒家のお庭にいらっしゃるような、コンパクトだけど立派な祠があったのだ。

「おおお.....」

私はもとより地域の歴史や地形に興味があり、その土地に祀られた神社や神様にとても興味があるし、ちゃんと一日にお参りもするし、神社に厄払いも毎年行ってるし、どっちかと言うとめちゃくちゃ迷信深いやつなのですが、その時思ったのはこんなことでした。

「俺にはお稲荷さんを背負って暮らしていく自信がない...」

お稲荷さんにもお詣り行くけど、雨の日も風の日も、屋上のおいなりさんにお水やお米をあげて、出ていくまで世話をし続ける自信、つまり、お稲荷さんにコミットメントを果たし続ける自信がどうしても持てなかった。(不動産屋さんは、「ここに住む人はお稲荷さんのお世話をしなきゃいけません」とは一言も言ってなかったのに、自分が勝手に神社大好きすぎて背負い込みすぎたのだと思う。)思わずお稲荷さんに心の中で「素敵なお家だけど私はここには住めません。が、これも何かの縁だからどうぞよろしく!」みたいなことをむにゃむにゃ呟いて、そのアパートを後にしたのだった。


その日の午後、お稲荷さんのあるアパートから歩いて行ける距離で、ずっとお世話になってきた不動産屋さんと落ち合った。そして、今住んでいる家の内見にきて、その日のうちに審査を申し込んだ。そこから今の家の暮らしが始まったのだった。

家なんて決まるときは一瞬、と言う話かもしれない。

けれど、何となくお稲荷さんに恩義を感じている。今もその建物の前を自転車で通るときは、お稲荷さんに「その節はどうも〜」と心の中で話しかけてしまう。
クレイジーと言われたら、返す言葉がないのだけど、お礼を言いたい存在が目に見えなくてもあるって、何かいいじゃん。と思っている。

そして同時に、コミットメントについていつも考える。私は次に何にコミットメントを果たしていこうかな。

先はまだ長そうだ。



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