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「武道ガールズ」12 大山花の初恋

12 大山花の初恋

 初恋は人生に一度だけだ。幸薄く、若くしてこの世を去ろうとも、100歳を越えて大往生しようとも、初恋は、人生に、ただ一度きりだ。

 大山花の初恋は小3の夏だった。そして未だに、もう高校も卒業しようというのに、その恋は終わらない。もうかれこれ十年近く、たった一人のあいつに恋をし続けている。

 福井大輔は弱っちい男の子だった。初めて道場に来た日、彼は最初から最後までほぼずっと泣いていた。泣きわめくのではなく、しくしくと、声にださずに泣いていた。小さくてやせっぽちで、心も弱そうだった。多分ひ弱だから無理矢理親に連れてこられたのだろう。
 花は兄の影響で小1から柔道を習い、小3の頃には同じ学年の子には負けなくなっていた。体は小さかったけど、3つ上の兄貴と遊びのように、しかし本気で戦っていたから、小さくても勝つ自分なりの術を自然と身につけていた。今思えば、天才だった。いやそこまではいかないにしても、確かに柔道の才はあったのだと思う。
 初日の体験入会ということもあり、大輔は個別に道場の隅のほうで、構えや受け身を教えてもらっていた。教えているのは若い見習いの岡田先生。みんなからは岡田先生ではなく岡田くんと呼ばれているけど、ジャニーズの岡田くんとは全然似ていない。でも爽やかな好青年ではあった。練習も後半になった頃、岡田くんが花のところにきた。
「花ちゃん、ちょっと手伝って」
 岡田くんに手招きされ、花だけが練習の集団から抜けた。あいつの練習相手になって投げられるのか。やだなあ、と思いながら道場の隅までついていく。大輔はまだしくしくと泣いていた。
「こちら大山花さん。君と同じ小3だけど、今ここにいるなかでは一番強い。構えと受け身はとても大切だけど、それだけではつまらないと思うので、最後に技を少しやります」
岡田くんは大輔と花を交互に見て、ニッと笑った。
「じゃあ花ちゃん、僕を投げてみて」
「えっ、私が先生を?」
 てっきり、最初はお手本として私が先生に投げられるか、あるいは大輔の組手相手として投げられるか、と思っていたからちょっと意外だった。
「うん、何でもいいよ。本気で投げて」
 9歳、120センチ、体重30キロ。同学年のなかでも花は小さい。
 岡田くんとの身長差は50センチ、体重差40キロ。花が襟を持ちやすいように岡田くんは軽く腰を落としてくれている。
 何でもいいと言われたって、花のだす技は決まっている。
 ガッチリと襟を握り、絞り上げるように力を込め、ぐっと引き寄せる。右に左に揺さぶり、今度は後ろに押す。練習だからと言って岡田くんも簡単には投げさせてくれない。さっきよりも強く後ろに押す。岡田くんが押し返してくる。その瞬間、ふっと力を抜き、半転しながら懐に入り込む。腕力ではなく、下半身に力を込め、相手の勢いにタイミングをあわせ、背負う。そのまま頭が畳につくかというくらい深くお辞儀をする。岡田くんの体が宙をきれいに一回転し、道場にダーン!!!!という音が響き渡った。
 一瞬道場がシーンとなる。練習していた連中が動きを止め、皆こっちを見ている。
 さすが岡田くん。受けがうまい。受けがうまいとこんなにも技がひきたつのか。大輔は口を「お」の形にしたまま固まっていた。
「見たか!!!!」
 と叫びそうになる花の心の声を引き継ぐように岡田くんが言う。
「見た? 見た? ちゃんと見てた?」
 大輔はうんうんうんと三度うなづいた。岡田くんは興奮を抑えるようにふーっと大きく息をはきだした。
「今のが背負い投げ。柔道のもっとも代表的な技のひとつ。一応言っとくけど、こんなに見事な背負い投げはそうそう見れないからね。いやー、花ちゃん、ナイス背負いだ」
 柔よく剛を制す。
 柔道は最強だ。
 投げられた岡田くんが一番興奮している。

「じゃあ大輔君、今のやってみよう」
 と、岡田くんは背負い投げの基本を教え始める。花が受け役になり、大輔と組む。
「襟をギュッと引き寄せて。そう。で、自分から相手の懐に飛び込む。そう。そこで反転! 背負う!!」
 花は力を抜いて、おんぶされるように大輔の背中に身を委ねる。
「そこで、投げる!!」
 花を背負ったまま、大輔の動きが止まった。
 沈黙。
「お辞儀をするように! 前に飛び込むように!! 投げる!!」
 岡田くんが、檄を飛ばす。 
 口をギュっとすぼめ、顔を紅潮させ、大輔の足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震えている。花を背負ったまま、右に左にと小さくふらつく。
「投げる!!」と岡田くん。
「投げる!!」花も背中から声を出す。
「投げる!!」大輔は力をふりしぼり、前に飛び込んだ。

 つぶれた。ペチャンコに。

 花を背負ったまま畳に倒れこんだので、うつ伏せの大輔の背中に、花がピタッと貼り付いた形となった。後ろから抱き抱えている形で、畳の上で重なる小学三年生の男の子と女の子。
 固まった。
 長い沈黙。
「大丈夫か?」
 と、岡田くんが二人をのぞきこむ。
 花はハッと我に返り、跳び跳ねて立ち上がった。そして、背中を丸めてうずくまっている大輔に、「ん」と手を差し出した。倒れた者に手を差し出す、普段からしている条件反射。何も考えず、何のためらいもなく、手を差し出す。
 大輔は複雑な表情で、花を下から見つめる。泣きたいような、笑いたいような、ばつの悪いような、格好悪いところを見られて恥ずかしいような。
「ん」もう一度手を差し出す。
 大輔が花の手を握り、立ち上がる。
「よく飛び込んだ。ナイストライだ」
 岡田くんが大輔の背中を嬉しそうにたたく。
「いつか……」
 大輔は花の目を見て言った。
「いつか、お前を投げ飛ばす。絶対に」
 半分涙目の、ひ弱な男の子。
 ちっとも格好よくない。
 というか、とても格好悪い。
 なのに花は急にドキドキしてきた。心臓がバクバクと早鐘を鳴らす。
「私、30キロないよ。相当軽いよ」
「体重なんて関係ない。いつか強くなって、絶対投げる」
 顔や体が急に熱くなり、自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
 涙目なのに強く睨みつけてくる目。
 花は思わず目をそらした。
「分かった」
 目をそらしたまま、なぜか心にもない言葉が口をついてでる。
「やれるもんなら、やってみな」
  
 花の初恋は、ここから始まった。

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。