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エッセイ | ありふれた声にあふれたり

よく作業中にラジオを聞いているのだけれど、これが作業の邪魔になっているのはよく分かっている。

掃除中や、洗濯物を干したり畳んだりしている時に聞くのにはちょうどいい。頭はラジオに集中し、手だけを機械的に動かし続ければいいのだから。

ただ、noteの記事を書いているときにラジオを聞くのは難しい。頭は記事を書くのに集中したいのに、ラジオの方に持っていかれてしまう。おもしろい話がラジオから聞こえると、自然に手が止まってしまう。


私はradikoでTokyo FMやJ-WAVEを聞いている日もあれば、GERAでお笑い芸人のネットラジオを聞いている日もある。

特にGERAで聞けるラジオが私は好きで、好きなお笑い芸人のラジオを初回から最新回に向けどんどん聞いてきている。

ラランドの「声溜めラジオ」と、春とヒコーキの「グピ☆グパ☆グポ」がお気に入りだ。

この2組はYouTubeの公式チャンネルをもともと好きで見ていたのだが、動画の中でよくネットラジオについて触れられていたため、そこから派生してラジオも聞くようになった。

さすがお笑い芸人ということだけあり、映像がなくて声だけでも十分におもしろい。radikoで聞く番組は電車移動中でも聞けるのだが、GERAの番組は絶対に聞けないなと思う。


ラジオは声と音楽だけで楽しませてくれる。視覚も感触も必要とせず、聴覚だけが働いていればなんとかなる。ぼーっとしていられるからすごく好きだ。

昔はドラマやアニメが好きで作業中はBGMのようにして流していた。作業中はパソコンの画面や手元に集中しているが、耳だけは登場人物の言葉を追っている。

そんなことをしていたせいか、声を知っているのに顔を知らない俳優や、セリフはそらんじられるのに映像を見たことないCMがあったくらいだ。今になって思い返すとそんなことをできていた時期を羨ましく思う。

その頃にもラジオは聞いていたが、見ていたアニメに登場するキャラクターの声優がやるようなラジオだった。これでラジオにハマったのかもしれない。


声優のみで収録されるラジオは聞きやすかった。声優が「声の仕事」といわれるだけあり、ラジオになってもその能力を遺憾なく発揮している。むしろ映像がない分、聞き手の想像力も相まって、より面白くなっていたのかもしれない。

また、放送されているラジオのほとんどがネットラジオだったこともあり、発言に対する規制も相当緩かった。なんでもかんでも赤裸々に語るラジオは私の気持ちを代弁してくれているかのようで、「そうなんだよ!」と心の中で叫んでいた。


ネットラジオのゆるさがたまらない。やっている人たちは大変なんだろうけれど、友だちの会話を聞いているみたいで安心する。

私はもっぱら聞き役の性分であるため、今日もそんな感覚でラジオを聞く。



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