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アメリカ文学 研究室 1/26

2024/1/26  18:00~19:30

今週
  (1)ロリータが届く。全360ページ
   読み切った。

  
  (2)感想
   
   ・そういえば、映画は一人の男を殺すところから始まった。
   ・実際は、クライマックスのシーン。
   ・2章は、アメリカの車社会を旅するような話。旅行記みたいなもの
   ・二人が積極的に愛し合うような描写はみられず、
            終始一貫して、中年おじさんの片思い。
   ・ずっと一緒にいるということが叶わなかった。
   ・教訓である。
   ・経済力はあったかもしれないが・・・・
   ・自分がやっていたテニスを習わせたが、確かに、
             共通の趣味があれば、、、
    しかし体力的にマッチしない。葛藤
   ・後半は性的な描写があまりなく、期待とはうらはら。

 ※確かにやすっぽい ロードトリップ

 ※なんで感動したのか  フィードバック
  (1)文学的な技法が試みられていた
   やすっぽさ、この技法的に、うまくかみ合っていた。
   技術的に優れた技法を持っている。
   話題性を確認した。よみであった。
   最初読んだときは、がっかりした。

   いろんなジャンル性が混ざっている。
   探偵もの、殺人事件、愛憎劇、恋のもつれ、典型的なパターン
   道中、ロードトリップもヨーロッパ小説であれば、
   勇者、ドラゴン、ファンタジーにいけば
   ロマンスにいけば戦争の話。
   これは、現実的な安っぽい アメリカを皮肉っている感じはある

   話として盛り上げる時に、いろんなジャンルの小説をつかいつつ
   お手玉のようにつかいつつ、
   しかしながら、全体的なやすっぽさで作っている
   最後まで、だらだらと中だるみ感はあるが、
   フィナーレまで、このように終わらせるのかとういうこと
   技巧的に、かなり知ってないと書けない小説だと思った。

   そいういう意味で、作り方に感動した。
   すごい人かもしれないない
 
   いろいろなモチーフを繰り返して、
   いろんな説明ができるのかもしれない
   レポートを書くにも、ほじくり返して論文
   ネタはいろいろ転がっている気がしている。

   面白かったです。

   構造的にはかなり工夫されているのではないか、
   告白の語りで、罪を犯した罪人
   ポーみたいな語り口、ポーより安っぽいところが興味深い。

   あとは、ロリータ自身の残念感、
   アメリカにでてくるヒロインは残念感
   完全無垢の女性はなかなかでてこない、

   ロリータの最後の残念感は、さらっとしかかいていないが、
   アメリカ的であると感じた。

   現実的に、もう少しちゃんとしろよ、つかれたおっさん。
   アメリカにいそうな、アメリカに、いるだろう。 
   この設定はエリートである。

   そういうリアリズムというか、中年のおっさんの
   性をねらったのかわからない。

   
   建築ネタは、ライバルが、なんとかホテルに
   ホテルハンターズホテルくらい
   ローの旦那のDickさんがリチャードがディックだったりする。
   よくある。
   隠喩として小細工はありそうだ。

   
   テーマと構造は必ずしも一致していない、
   分けて考えるのではないか。
   読み返しも必要なのではないか。
   うまいなという印象である。
   
   1956年の小説。

   上品さはテニスなどで世俗性で打ち消されている。
   中年のおっさんの残念感。
   最後牢屋で死ぬというのも、あるいみ典型的なエンディングである。
   

   小説の意図で、前書きは、ナブコフの意図か、
   小説の作りとしての意図か
   どちらの意図かわからない。
   残念なアメリカを意図的に描いたのか、
   別の意図で、この小説を自分の望んだように書けなかった小説なのか
   読み方によって変わってくる気がしている。

   そこは難しいだろう。
   この小説の価値が賛否両論、わかれるのではないか。

   文章も、後半が前半よりも、読みやすい気がする。
   パート1とパート2、構造と話の流れが対応している。

   話として分けるのではないかという視点で読むと、必然性が無い。
   後半は、飽きたのかなという、やるきなくしたのかという
   読み方も可能なのではないか。

   その読み方も可能なのではないか。

   別の作りとして体裁は見ることはできるのではないか。

  今後、論文などを読んで自分の読みを検証する。
   もう一度映画を見てみる。何か気づくことがあるのではないか。
   蓮頼愛小説、一般的なジャンルを壊しているのではないか。
   構造的には、探偵的な、怪しい人物、殺人事件に発展する。
   恋愛という関係性。
   恋愛小説はだいたい成就しない。そのかたちを守っている。

   告白する、円環。これまである技巧。構造的は可能である

   ラブストーリー、アドベンチャーもの、
   ロードトリップとしてなりたっている。
   冒険小説。
   すべてが、そのすじのジャンルとしては、いまいち、
   B級感まるだし、
   コメディーとして現代ではカテゴライズされるだろう。

   ホラームービーであれば、怖いシーンになるだれが殺されるのか
   お決まりのルールがある。
   ホラームービーのパターン、あらゆる要素を組み合わせながら、 
   作る。
   ポストモダニズムの、ひっくり化したり、転覆させることで、
   民主主義、ひっくりかえす、人権とは何か、近代では作り上げたが、
   20世紀的な概念が転覆されている それがポストモダニズム
   1955年だとすると、緩やかに重なる、ポストモダニズムの雰囲気で、
   それまでの形を崩したちゃかした小説であったのではないか。
   ナブコフ自身の思想を確認する必要もあるが、
   いままでの定石を壊す小説であったのではないか。
   
   ホラー性はないだろう。
   比較対象としてポーを挙げるとすれば、
   長編の中に、すべてを含めているので、技巧的である。

   笑いとしては読み方がわかれてくるのではないか。
   もしかしたら論文であるかもしれない。

   ポストモダン系の小説として論文があるかもしれない。

   なんとなく、読みとしては、エロティシズムは最初は
    期待感があったが、
   もしかしたらそういう小説なのか、期待する読者が探すような
   読みを、いざなっている気がします。

   投げ捨てたくなる、読者の期待をひっくり返すような、
   手法がとられている。

   論文を読んでみると他の皆さんがどういう読みをしているのか、
   そのほかの、読みたくなった。
   環境もやっているので、ちょうちょうやっているのでれば、
   環境文学でちょうちょうは
   重要なファクターである。
   不思議な作家である。
  
   普遍的なエロさを説明するのは、難しいのではないか。
   だから面白いテーマである。
   
   どっちなのか、分ける必要があるのか。どっちの声。
   疑似的に体験するしかない。
   感覚的で肉体的なもの。

   目線がイメージが説明するのが難しく、
   エロさ説明できたとしても無味乾燥な
   それが果たして、難しいことになるとして、
   エロさはないという事になるはずである。究極的には。

 
   一般社会的には、これはダメだ、それを期待しながら
    読むのがエロ小説であるとすれば、
   
   そのほかの小説とは違う点が明確になるだろう。

   恋愛関係を具体的に追体験しているだけ、エロとは別である、
   恋愛小説。

   エロは具体的に求めるだろう、小説である。

   芸術論にはグロテスクの概念が似たような文脈で議論されいた。
   それは、定義上は、みんなの欲望の現われとされている。
   見たいんだけど、一般的に隠されているモノ。
   こわれたもの、視覚的にタブーなもの、人間性が壊れるもの、
   恐怖感がグロテスクの根源である。

   単純な話、エロティシズムはそうはいかない。

   発禁処分になった作品は、肩書の、
   チャタレー婦人はそんな大したことない。

   ヘンリーミラー、トロピック of キャンサー
   女性作家:ケイト ショパン  / アナイスニーン 大衆小説?
 
   
   エンターテイメント 大統領制 その時代の作品に投影されている。
   ぶち壊す、アメリカ、本はあまり売れることは関係ない。

   欧米の方が文学には日常である。日本では、文学は、
   個人活動である。
   アメリカは、地元の作家がいる。イベント毎週ある。
   朗読会がある。書くことを教えるサークルがある。
   サイン会がある。作家と読者の距離が近い。

   大手出版のPR活動の一環として
   そういうイベントに作家が来る
   身近なサークルが無い。

   エンターテイメントの分断しているのが日本の状況である。
   日常的に生活の一部としてある。

   朝活みたいなもの。みんなで勉強しよう。
   文化として楽しむのは、ゆるくもっとだらだらしている。

   ポエムの朗読会。日常的なポエム、詩を聴いてうなずけるか。

   芥川賞受賞作はわかる。

   どこにでもあるのが、どの州に行ってもそいう州がある。

   貧困の格差が激しい。ストリートギャング、
   売春とかが怪しい空間がある。

   一方で、学校が集中している。文化的な土壌がある。
   まんべんなくどの州に行ってもある。

   ハーバード行っていた時には、ハイカルチャーは
   レベルが違うイベントがある。
   質が違う。
   映画俳優、有名な研究者、ジェット機でやってきて、すごいね。

   東海岸は、大金持ちが普通にいる。

   たまにいくといいだろう。
   本屋も大きい本屋もたくさんある。


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