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「東京都同情塔」(九段理江 著)

ようやくサンデル教授の哲学書も読み終わったので、小説の読書を再開です。あぁなんて小説は読みやすいのだろう・・・笑 芥川賞のレビューを読んですぐに書店から買ってきて、ずっと見えるところに置いてあるくらいには楽しみにしていました。

ただこの装丁、書店に積まれたたくさんの本の中にあるとちょっと見つけづらいんですよね。「東京都同情塔」という字が見えにくいフォントで書かれているせいなのか、水色という色が他の本と比べて地味なのか・・・けっこう目立つところに置かれていたにもかかわらず、書店の中をぐるぐると15分くらい探し回ってしまいました。笑

初めて読む作家さんの作品を読む時って、その人の根底に流れる世界観とか、文章のスタイルとかが自分と合うかどうか、慎重に間合いを取っているような感じになりますよね。最初の一冊を読むときにしか味わえないこの緊張感、私はけっこう好きです。この作品も、まだ私は心を許してないぞと思いながら読んでいたはずなのですが、気がつくとストーリーに引き込まれていました。

前半のほうで、ザハ設計の国立競技場が実現された外苑の描写があるのですが、見たことのない風景であるにもかかわらず眼の前に迫ってくるようなリアリティがあって凄いなあと思いました。ちょっと異性に関する妄想が暴走しがちなのは気になりましたけど、それは何十年も前から村上春樹さんとかもやってたことなので、まあ別にいいのかなと笑

さて本題に戻ると、この作品で一貫して問題にされている言葉、特に日本語の問題って、正直私はあまり深く考えたことがなかったんです。多様性とか寛容さはそれら自体で完結するもので、あくまで理念とか考え方の問題と思っていた節があります。でも一方で、ポリティカル・コレクトネスという名の言葉狩りが増長するなかで、誰も自分の言葉で話せなくなってきている、それって多様性とか寛容さと逆の方向を行ってるんじゃない?という違和感を感じていたのも事実です。

彼女の積み上げる言葉が何かに似ているような気がして記憶を辿ると、それがAIの構築する文章であることに思い当たった。いかにも世の中の人々の平均的な望みを集約させた、かつ批判を最小限に留める模範的回答。平和。平等。尊厳。尊重。共感。共生。

東京都同情塔(九段理江)

私がこの文章を読んだとき、それこそ言葉にならないくらいの衝撃を受けました。自分の言葉で語られない文章が、生成AIがつくる文章にそっくりであるという発見。個人的には、これは大袈裟ではなく後世に語り継がれても良いものだと思っています。Twitter のような空間でさえも、誰も傷つけないように言葉を選ぶことが求められる時代が行きつく先は、意味のある言葉とコミュニケーションが失われた世界、この作品の表現で言うなら「大独り言時代」なのかもしれないと思うと、少し背筋が寒くなるような気持ちになりました。

そんなディストピアのような世界でも、自分の言葉を失わない人間たちがしぶとく生き残り、一人は伝記を、一人は取材記事を、もう一人は新たな建築を残そうとしているのには勇気づけられます。こちらの世界にザハのスタジアムはないけれど、自分の言葉を守り続けるには何をすべきなのか、考えさせられる作品でした。



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