独裁者とポップコーン

ちいさな独裁者

脱走中に軍服を見つけ、それを着てナチスドイツ軍の大尉になりすました、一人の男の話である。実話をもとに撮られたドイツの作品。

10年ぶりに再会した、早大法学部の水島朝穂先生の強い勧めにより、「これは勢いが大事」と、お会いした翌日に新宿武蔵野館を来訪。平日の昼間の時間帯だったけど、それなりに注目度があることをうかがわせる人の入りである。

席に座ると、私の前の席に、夫妻と思われる男女が、キャラメルポップコーンとビールを持ってやってきた。

かれらが席につこうとする際、夫妻の持っていたポップコーンが、それなりに派手に通路にこぼれ落ちた。当然拾うんだろうと思っていたら、かれらはまったく気にするそぶりをせず、座ってポップコーンをボリボリ食べはじめた。

「なんで拾わないのこの人たち?」

そう思っているうちに、開演のベルは鳴り、ヘラルドの脱走シーンから、ストーリーは始まった。

新宿武蔵館の上映は今週までのようなので、お時間のある方は是非観てください。

兵士も女性もユダヤ人も

乗り捨てられた車の中に軍服を見つけたヘラルドは、それをまとってドイツ軍の大尉になりすまし、架空の部隊と任務を結成。道中で出会う、行くあてのない兵士たちを仲間にしながら、部隊を拡大して行く。

立派な軍服をまとい、堂々とした立ち居振る舞いをして、周りを信頼させ、身分がバレそうになる時にはヒトラーの名前を出し、危機を乗り切る。
そして、ひょんな事からたどり着いた脱走兵の収容所で、残虐非道な行為を繰り返し続けるのだ。

彼が涼しい顔をして続ける行為は恐ろしい。

でも私が観ていてもっと身の毛がよだったのは、彼の周りにいる人々だった。権威に無条件に従う・なびく。嘘に気づいていながら、利己的な理由で配下になる。指示がなければ自分では何も考えられない。命令とあれば、なんの罪もない人に銃口を突きつけ、引き金を引く。

そうなるのは、ヘラルドの周りにいる兵隊だけではない。

女性も、弾圧されているユダヤ人も、目を覆うばかりの非道な行為に平気で加わり、その後、楽しくご飯を食べる。

この映画には道徳的な救いも、救世主も出てこない。ただただ、人がどうやって生身の身体を踏みにじる行為に手を染めるかが淡々と描かれる。

人間は権威が大好きだ。その汁を吸い続けられるなら、信念なんて簡単に捨てされる。

きっとこの映画にいまの日本の政治の状況を重ねる人も多いと思う。でも私はそれより先に、「私も彼らではないか?」という、心のうちから湧き上がる問いに、「違う」と言い切ることができなかった。

私のような分野でずっと文章を書いていると、綺麗な言葉を綴るのが上手くなる。

人間は勇気があって、世の中を少しでもよくするために動く力を持っている。そんなストーリーを容易に書けるようになってしまう。そして、あたかも自分はそのような信念を持つ人間であるかのように、周りは偽善者でも、自分だけは違うかのように“見せる”ことが得意になる。

でもそれは、私自身が、そこに描かれているような人間で“ある”ことを決して意味しない。

私が職のない大学院生から、早稲田の教員になったとき、人の見る目が突然変わった。「いつまでもお勉強していて偉いんだね」と皮肉を言われていた私が、突然、何か立派なことを知っているに違いない「先生」になったのである。

「そんなのくだらない」と言いたい。

でも先生になりたての頃、その変化に戸惑う一方で、そう言われることで気持ち良さを感じた私が確かにいる。そしてこれが権威の甘さ。

でもいまはそう呼ばれることがふつうになってしまい、それが権威ということも忘れてしまうことがある。

映画が終わると、夫妻が通路に落としたポップコーンが、いく人かに踏みつけられて粉々になって通路に広がっていた。あのとき拾えばなんのことはなかった。でもあそこまでいってしまったら掃除も大変だろう。

もしあの時、「落としましたよ」と私がかれらに言っていたら、自分が代わりに拾っていたら、こんな状態にはならなかったはずなのに。


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コメント1件

はじめまして。
「彼が涼しい顔をして続ける行為の恐ろしさ」と「落としたポップコーンを(涼しい顔をして?)拾わない」心性は通底するのかもしれません。アイデンティティも性別も人種も関係ない人間の心性。慣れか、麻痺か、順応か、いずれ自分では気づけない。似たもの同士(架空の部隊周辺もポップコーン夫婦も)で、麻痺を共有するとさらに気づかないことが固定化される。
社会で生活する自分、気づかぬなかで自分もなにをしているか解ったものではありません。これは他人事ではないですね。
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