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11月22日

疲れすぎて、何か喋っていないとだめで、わたしは母を責め立て続ける。あらゆる方向から責める。なぜ私はこう口ばかりたつようになったのだろう。
父のベッドサイドに立ったまま、父の足の先に佇む母に向かって、私は半ば叫ぶように言う。

もう無理だ、お父さんをプロに託したい
私身体中が痛いんだよ
精神も壊れてしまうよ

と、父が
そうか、それはいかんな
と言った。

父は、もうこの頃はほとんど喋らない。時折、何か話していることもあるのだが、うまく聞き取れないし、会話として言葉のやりとりが成立することは少なくなった。だが時として、こちらの言ったことに対してはっとするほどむかし通りの答え方をすることがある。

お父さん、手が冷たいね
と母が言うと
心が温かいからね
と返したことがあった。
母はそれが嬉しくて、うれしくて、何度か同じシチュエーションを作ろうと試みていたけれど、同じことは二度は起きなかった。
こちらの言うことは、よくわかっているように思える時もある。何を言っているのかわからず、何度も聞き返した時のこと
ノーサンキュー、という言い方があるだろう

父は言った。それがようやくわかった。食事中に私が勧めた何かを、父は断っていたのだった。

帰宅してひと月が経ち、父の表情が落ち着いてきたのを感じる。帰った直後は、どこか不安そうで落ち着かぬ様子だった。いまは、安堵しているのがわかる。特にそうとは言わないけれど、私にはわかる。
母は入院し、わたしは右往左往し、動かぬ父は施設に入った。突然環境を変えられて、一番寂しい思いをしたのは、父であるに違いなかった。

日々はなかなか思うようにはいかなくて、駄目なわたしはすぐに苛立ったり悲しんだりしてしまう。目に映る事象がすべてとなり、目には見えないものに心をやることができない。近い人にも遠い人にも、見えないその心のうちに思いをいたすことが難しい。そうなのかと話を聞いてくれる人も、内側にどんな修羅を抱えているかわからない。自由で羨ましいあの人、一人で羨ましいあの人。きっとおそらくたぶん、見えないしんどさをどこかに持っている。

喋らぬ父と、口ばかりのわたし。言葉を飲み込む母。
父と離れたくない。母と引き離したくない。母に優しくしたい。
いい年になり、おそらく全ての決定権は私に委ねられている。主語は私。わたしがやるしかない。
冬の短い日差しが、穏やかに部屋に差し込む。


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