さや

絵を描いています www.instagram.com/sayakaisozumi/

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最近の記事

展覧会のお知らせ

いつも読んでくださりありがとうございます。 この頃はなかなか更新ができていませんが、つねにnoteのことは心にあります。 まもなく1年1ヶ月ぶりの個展です。 今回は初めて銀座・京橋を離れ、早稲田にある煉瓦造りの建物、スコットホールのギャラリーで展示をします。 こどもの頃から親く仰ぎ見ていた建物に、自分の絵を並べて何が見えてくるのか、半ばひとごとのように想像しています。 日々は心波立つことが多く、あとほんの数日で初日とは思えないほど仕度はできていないのですが、 あなたに 観

    • 庭のこと

      庭師さんが来てくれた。 今年はもう決まっちゃってて無理ですね、来年、と言っていたのに、キャンセルでも入ったのものか、2023年もあと3日という日に来てくれた。 庭の手入れに来ていただくのは3度目だ。この方にお願いしてから、庭が広くなった。家の歴史とともに半世紀近くを経た、小さな庭。 なにしろきれいになる。木々は姿を整えて、落ち葉や雑草の降り積もった地面は履き清められ、どちらも嬉しそうに見える。その状態をキープできれば、いいなあ。そのままとはいかなくとも、まだ草の生えぬこの時季

      • 揺れるな、ゆれるな、心。 ふとしたことで感情がすぐに揺さぶられてしまう。 なぜ私にはこうも自由がないのか、と、 人との何気ない会話をきっかけに一度そう思ってしまうともう駄目だ。自由がない?ならば今のわたしはどうなのだ、自由だからこそこうして一人でいる。今日の仕事は終わった。まだ親のご飯の仕度をするには間がある。であるのに、一度胸を突いた悲しみは深く疼いて、わたしは涙ぐまんばかりになっている。 そんな時には、走る。これから授業、などという時にはそれはできないけれど、条件が許せ

        • 11月22日

          疲れすぎて、何か喋っていないとだめで、わたしは母を責め立て続ける。あらゆる方向から責める。なぜ私はこう口ばかりたつようになったのだろう。 父のベッドサイドに立ったまま、父の足の先に佇む母に向かって、私は半ば叫ぶように言う。 もう無理だ、お父さんをプロに託したい 私身体中が痛いんだよ 精神も壊れてしまうよ と、父が そうか、それはいかんな と言った。 父は、もうこの頃はほとんど喋らない。時折、何か話していることもあるのだが、うまく聞き取れないし、会話として言葉のやりとりが

        展覧会のお知らせ

          10月20日ごろ

          ヘルパーさんの手を借りないと、父をベッドからおろすことはできない。ヘルパーさんは夕刻に帰るから、それ以降の夕食はテーブルではなく、ベッドサイドに小さな机を置き、そこにお膳を据えて父に食べさせる。 私は椅子に腰掛けて、父はベッドを起こして、私たちは斜めに対峙しながら食事をする。 母が突然入院して父と二人暮らしとなった期間も、それは同じだった。 夜、父はお膳を挟んで私と向かい合いながら、時々わたしの背後に視線をやることがあった。私の背中側には扉がある。その開いているドアの辺りを覗

          10月20日ごろ

          10月7日

          これはビーグルか?いやダルメシアン。 101匹ワンちゃんのあの犬の置き物、それもかなり精悍な風貌のそれ二頭が、仮面をつけてポーズを決めている。例の黒く先端の尖った帽子を被って、念入りなことにはオレンジ色のマントを着せられている。 ここは父のいる老人保健施設だ。今わたしは父の出迎えにここにやってきた。母が退院してきて24日目の今日、父も家に戻る。 初めてここにきた時には、夏祭りの飾り付けがしてあった。それがお月見の設えに変わり、今はハロウィン。 仮装した犬をぼんやりと眺めなが

          10月7日

          9月8日

          何から書けばいいのだろう。 いま、私は医師の話を聞きに病院へ向かうところだ。19日前の日曜日に、母は都内の大学病院に入院した。前々日、否、そのさらに前の日から、母の様子はおかしかった。ヘルパーさんに同行してもらって父を別の医大附属病院へ連れていき、暑さの中の帰り道、最寄り駅に着くと母は歩けないと言い出したのだ。 父を伴っての外出は、(いや私やヘルパーさんを伴っての父の外出、だが)いつも大変なストレスで、今回はそれが2日続くとあって、既に私はかなり参っていた。もっと言うならば、

          たしかまだ梅雨明け前だが、夕空には夏の終わりのような雲が浮かんでいる。こまごまとした鱗雲のような、澄んだ水底でさっと魚が砂を撒き立てた一瞬のような、ふわふわとした雲だ。 わたしは畳んだ日傘をゆらゆらと振りながら、その空を眺めて駅までの道を歩く。 この雲と類似する自然現象は何か。 大学のとき、自然科学概論という授業をとっていた。先生は、うつり気な美大生たちを授業に集中させるべく、ややこしい解説はせずに次々と自然の中を切り取った画像を見せた。いや、解説もなさっていたのだろうけれ

          背広

          歯医者に行かなくちゃいけないんだ、と少し不安そうな様子に、大丈夫、いっしょに行くよ、と言ってわたしは父と出かける。新幹線のような、列車で行く。 父は背広姿で、まだそれが似合う年頃だ。背広というのは働く人の衣装だから、リタイアして時の経つような人にはもう似合わない。 わたしは父が40代の時に生まれた。わたしにとっての父は常に壮年というような年頃で、贔屓目でもあろうがわりと若く見える人ではあったけれど、若いパパ、という記憶はない。そのかわり、いつもスーツ姿のしゅっとした人だった。

          細い指

          洗面所と脱衣室が工事中だから、洗濯機をガレージに置いて洗濯している。 工事業者からそれを提案された時には、そんなことできる訳ないと思っていたのに、外に置いた洗濯機を使うのは、なんだかそういう国の人になったみたいで思いの外愉しい。ご近所の方は、玄関からガレージへ洗濯物を運ぶわたしや、白いホースの伸びたガレージスペースを不審に思っているのか知ら。いや、きっとたいして気にも留めていないだろう。今朝も洗濯カゴを持って玄関先を行き来した。 洗面台を替えるのが、今回のリフォームの一番の

          細い指

          展覧会のお知らせ

          いつも読んでくださりありがとうございます。 空気の揺らぎや潤いの中に、微かな春の兆しを感じられるようになってきました。  東京、銀座で個展をします。 月光荘という画材店の左手から、階段を降りたところがギャラリーです。 今回はこれまで以上に、noteに載せてきた文章と、絵とが強くリンクしているのを感じながら展示の準備をしています。 観に来ていただけましたら幸せです。 お目にかかれますことを、楽しみにしております。 【展覧会のお知らせ】 五十棲さやか 墨絵展 昼も光りぬ

          展覧会のお知らせ

          野うさぎ髪

          髪の色が日に日に明るくなっていく。 2週間ぶりにお会いした方に、あら、髪色を変えたんですねと驚かれたけれど、わたしは何もしてはいないのだ。髪を染めたり、脱色したり、マニキュアしたり、はしていない。むしろこれ以上の褪色をくいとどめようと、カラートリートメントなるものをせっせと使っている。これは髪がアッシュカラー、言うなれば灰色になるというものだけれど、私の髪は落ち着いたグレーなどにはならずに、どんどん明るい褐色に変じていく。 「パーマはかかりやすいんですけどね」 美容師さんは

          野うさぎ髪

          りんごと修道士

          自分は今、人生のどのあたりにいるのだろうと考える。こんな考え自体が、今はまだ中間地点だという前提に基づくもので、そもそも無意味であるかも知れない。今はまだ給水ポイント手前の上り坂に差し掛かったところで、まだまだ先がある。だから今はこんなスピードでしか走れなくても大丈夫。そう自分に思わせるためにそんなことを考える。 本当にそう?と問いかける声も、窓の向こうから聞こえてくる。 昨年末、りんごを沢山送っていただいた。部屋に飾るように置く。 北から到来した実の赤さは、冷え切った心に

          りんごと修道士

          火星の人

          火星の人 朝の寒さと呼応するように庭の満天星が色づいていく。 織部色の葉は柳色になり、蒲公英色から鬱金色となって、徐々に朱みを帯びていく。発光するようなイエローにバーミリオンが少しずつ加わり、やがてスカーレットになりローズマダーになる。 植木屋さんを頼むタイミングを間違えたせいか、今年は千両に全く実がつかないから、満天星の橙色はよけいに眩しく暖かい。 火星の人、という本を読んでいる。 ひとり火星に取り残された宇宙船クルーの、日々の記録という体裁の本だ。次の探査船の到着する

          火星の人

          ピアノ

          最寄駅にストリートピアノが置かれてしばらくになる。 ほの暗い地下鉄駅の構内に、象牙色のグランドピアノは突如として現れた。それがその場所に似つかわしいかどうかなどを考えさせる間も与えないまま、それは生の音色を深く響かせて、心を揺さぶりはじめた。 朝も夕も、ほぼ途絶えることなくピアノを弾く人がいる。そのいずれもが玄人はだしの演奏を聞かせ、こんなにもピアノを弾けるひとがこの町にいたのかと驚かされる。足を止めて旋律に聴き入る人も少なくない。わたしはといえば、いつもいつも先を急いでい

          ピアノ

          つらい顔

          以前はつらくてもつらい顔などしなかった。 誰が見ていなくても、顔を歪めたりはしなかった。口角を上げて、瞼を開いて。母は幼いわたしに言ったのだ。「いいお顔しなさい」 いまは簡単に顔がゆがむ。つらい時、しんどい時、誰も見ていないのに、わたしはこんなに苦しいですよとアピールするかのように、容易に口角は下がり、眉間は縮む。たぶんここ半年くらいで、わたしの顔はかなり険しくなった。いやだなあ。もう戻らないかしら。 子どもであった頃、周りの大人たちはなぜこうも簡単につらそうな顔をするの

          つらい顔