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【レビュー】『パンプキン・シザーズ』 ~現代マンガにおける「正義」の失効、そして復興~

 『パンプキン・シザーズ』 (Pumpkin Scissors) というマンガをご存知でしょうか。2002年に雑誌『マガジンGREAT』で連載を開始し、その後『月刊少年マガジン』に移籍、現在も連載中の長編マンガです。

 先日ものすごく遅ればせながらこの作品を読んだのですが、非常に、非常によかったです。それも「感動した」といった感覚的な衝撃だけではなく、ものすごく考えさせられるお話だったので、レビューのような何かを書きます。ちょっと理屈っぽい内容ですが、本記事タイトルになんとなく興味をひかれましたならぜひぜひ。

1. 「世直し」における「正義」はどこにあるのか

 本作が描くのは、「戦争のその後」という世界です。

 物語の舞台となる「帝国」は、長年隣国と血で血を洗う戦争を行っていましたが、ついに薄氷の停戦条約を締結、戦争を終えます。しかしその後に残されるのは、戦争で荒廃した国土と、すべてを奪われた市民です。

 そこでその戦争による災害、すなわち「戦災」からの復興を進める部隊として、軍は「陸軍情報部第3課」、通称「パンプキン・シザーズ」を設置します。本作は、その実働部隊の長であるアリス少尉、そしてかつて人間兵器として戦争に身を投じていた謎の男、ランデル伍長の活躍を描くお話です。

 本作が「戦災復興」を描く以上、避けては通れない問題が一つあります。それは、「何をもって戦災復興の達成とみなすか?」という問題です。

 長い戦争が終わった今、社会は、経済は、人々の生活は混乱しています。そんな人々が、例えば満足にご飯を食べられるようになったら、戦災復興は完了なのでしょうか。あるいは、みんなが仕事にありつけたら、復興完了なのでしょうか。あるいは、社会が戦争前と全く同じ状態に戻ったら、復興完了なのでしょうか。アリス達が「戦災復興」として人々に救いの手を差し伸べるとき、手を差し伸べるだけではなく、取った人々の手をどこに引けばよいのか、その目的地もはっきりと決めておかなくてはならないのです。

 この問いは突き詰めると、「この社会における正義とは何か?」という正義論の話になっていきます。「ご飯と食べられること」と「仕事にありつけること」はどちらもよいことであり、できるならばどちらも実現すればよい話です。しかし、例えば戦争しかしてこなかった軍人たちの中には、自らの存在意義を確かめるかのように、戦いを続けようとする者がいます。戦争のせいで、戦争にしか生きる意味を見いだせなくなってしまった哀れな彼らを、「戦災復興」という看板で断罪することは、果たして正義なのでしょうか? このように、戦災復興を実現していく過程では、それが善なのか悪なのか、何が「正義」なのか、微妙な判断を迫られるケースが出てくるのです。

 何が正義なのか。これは、本作が世に出た「ゼロ年代」という時代において、マンガ・アニメの勘所となるテーゼでした。

 この時代、アニメ・マンガの世界では何が起こっていたか。一般的に言われるのは、『仮面ライダー龍騎』(2002)に代表されるバトルロワイヤルものや、『DEATH NOTE』(2003)および『コードギアス』(2006)に代表されるピカレスクもの、あるいは「世直し」系が隆盛したということです。『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)を皮切りに流行した「セカイ系」のように、自分の内面に閉じこもるだけでは、自らの苦しみの根本的解決にはなりえない。そうではなく、しっかり他者と向き合って相争う、あるいは社会自体を望ましい方向に変えてしまうことでこそ、問題は本当の意味で解決するのだ。そんな前向きなマインドが、アニメ・マンガの世界に浸透していったのです。

 しかし、その隆盛は初めからある問題を内包していました。それは、「自らの望むように他者や社会を変えることは、本当に善いことなのか?」ということです。『DEATH NOTE』は夜神月の善悪の基準で「犯罪者」を殺していく話ですが、いくら「犯罪のない世界」を目指しているといっても、彼の一存で人間の命を次々に奪っていくことは、果たして善なることなのでしょうか? あるいは、ルルーシュの「帝国打倒」という大義の前では、ギアスで人を意のままに操ることも許容されるのでしょうか? その問いに対し、容易に首を縦に振ることはできません。実際、夜神月はやがて破滅し、ルルーシュも自ら望んだとはいえ、自殺に近い最期を迎えます。

 つまり、ここには「正義」の問題があるのです。よりよい社会を作ること、それは結構なことです。しかし、その「よりよい」とは具体的に何を意味するのか、これが問題なのです。夜神月やルルーシュの「正義」は、彼ら自身にとって望ましいだけで、他人にとっても望ましいものであるとは限らないのですから。彼らがやっていることは、「世直し」ではなく、ただの「正義の押し付け」に過ぎないのです。ゆえに本当によりよい社会を実現したいならば、自分の正義をそのまま適用するのではなく、まずは「万人にとっての正義とは何か?」を問わなければならないのです。

 すると『パンプキン・シザーズ』は、夜神月やルルーシュがぶち当たるゼロ年代の問題に、初めから気づいていたことになります。アリス少尉は「戦災復興」として、未だ戦時のように民を虐げ続ける軍人を断罪したり、職を失ってしまった人々に仕事を与えたりと奔走しますが、その中で、彼女は「あるべき社会」を一人で断定せず、「何をもってすれば戦災復興はゴールなのか?」という問いに悩みます。アリスは、自らの正義を掲げて万人を救うことが、万人にとっての正義ではないことを理解しているのです。

 そして本作はそのストーリーを進めることで、「万人にとっての正義とは何か?」という難問を、誠実にひも解いていきます。自分の正義は、必ずしも他人にとっては正義ではなく、ゆえに正義というのは複数あるものとして観念されうること。しかし、それは何でもかんでも「正義」になっていいわけではなく、この世には決して正義とみなしてはならない価値もあること。逆に言えば、人によって正義が異なるとしても、誰もが「正義」と認めるような価値もありうること。あるいは、「正義」という重い看板を背負うからには、自分の「正義」を決める際には、それ相応の覚悟と、思考と、責任を伴わなければならないこと。そんな「正義」の条件を積み重ね、本作はやがて「万人にとっての正義とは何か?」という問いに、一定の答えを見出すに至るのです。

2. 「正義」の失効

 このように「世直し」の観点から正義の意味を問い直すことは、それ自体非常に意義のあることです。人々が苦しんでいるこの社会を変えたい。そのために、どう社会を変えたら皆が救われるのかを考える。これは他者への貢献を志向したものであり、道徳的に素晴らしいことであるものであるはずです。

 しかし、『パンプキン・シザーズ』連載開始から約20年。今の私たちを見渡すと、この「正義を問う」という営為は今や決定的に後退してしまっているのではないか、そんなように思われるのです。

 まずは、「世直し」、すなわち「社会を変える」ということ自体が、今の私たちにとってひどく非現実的なことのように思われること。日々Yahooトップニュースを見るだけでも、社会問題だとか、政治の腐敗とか、そんな問題はわんさか出てきます。しかし、日々耳に、目に入ってくる「問題」の洪水に対し、その一つ一つの原因を検証して、その改善のための手段を検討する時間など、私たちにはとても無いように感じられてしまう。あるいは、少しネットで政治のことを検索してみると、右に左に極端で暴論と言ってもいい主張が並び、こうした暴力的な言論の中で、「あるべき社会」を適切に議論し、落としどころに至るなんてとてもイメージができない。すなわち、この言論状況で「正義」を特定することなど、とてもできそうにない。世直し、そして正義の特定の双方の不可能性が可視化されているのです。

 そしてもっと強力な要素が、「個」の尊重が金科玉条になったことです。

 今や私たちにとって最も大事なことは、「自分らしさ」を保護し、それを最大限発揮することです。だから、例えば長時間労働や古い価値観を強いてくる社会は、積極的に排除されるべきものとして観念されます。人は仕事に時間を費やすことなく、自分の好きなこと、やりたいことに時間を注げるようになるべきだし、「女性の幸せは結婚」だとか、「男なら外向的であるべき」だとか、そんな価値はクソくらえということになる。また、自分の好きなことを発信して生きていくYouTuberやインフルエンサーが礼賛されるように、「自分らしさをどれだけ発揮しているか」が、善く生きていることのパラメータになります。だから、人々はどうにかして、人とは違う「バズる」個性を身に着けることを求めるようになる。マンガに詳しいオタクになってマンガの感想や考察をつぶやけたら望ましいでしょうし、絵が描けて「神絵師」になれたら最高です。つまり、世間に共通する価値観から決別し、「他人と違う」価値を身に着けること。これが現代の私たちにとって、何よりも大切なことなのです。
 
 そしてそんな私たちのマインドの以降の中で、アニメ・マンガも確かに変わっていきました。正義を特定すること、社会を変えることが非現実的な営為になってしまった今、『DEATH NOTE』のような「世直し」ではなく、「変えられない残酷な世界に、非力ながらいかに抗うか」を描く『進撃の巨人』(2009)『鬼滅の刃』(2016)にヒット作が移行する。「正義」という概念を否定するため、「正義」の化身である「ヒーロー」を否定するアンチヒーローものが流行する(ex.『僕のヒーローアカデミア』(2014)の反アンチヒーロー化)。共通の価値観か結婚や出産といった「一般的な幸せ」に疑問符を投げかけ、また、その人自身の性質(障がいや、ジェンダー)を何より尊重する作品が広まる。今や人々が特定の「正義」を共有できるようになるなんてありえないし、その正義を適用して社会を変えることもできないし、そもそも、「正義」が多数の人々に広く共有されるべき価値観のことを指すならば、「個」が重要な現代では、それはもはや決別の対象でしかないのです。

 私はこうした現代の趨勢を、一方的に批判したいわけではありません。むしろ私もこうした現代の価値観にどっぷり染まり切った「若者」の一人だと思いますし、そして、特に障がいやジェンダーという文脈において、「個」の尊重というのは本当に大切なことだと思います。

3. 『パンプキン・シザーズ』という、「正義」の時代と現代との橋渡し

 しかし、だからといって私は、いわゆる「世直し」や、「正義」というものの意義から、決別してしまっていいとは思えないのです。確かに「世直し」と一口に言っても、私たち一人ひとりにできることなんてちっぽけなことでしょう。力を合わせればできる!なんてきれいな言葉も、簡単に言えるようなものではありません。しかし、確かに望ましくないことが社会に、政治に起きていることは昔から変わらない事実ですし、それを放置していい理由にはならないのだと思います。

 あるいは、「個」の尊重は、本当に「正義」と両立しないのでしょうか。私たちは「個」を尊重するあまり、上記の「バズる」個性の議論のように、「他人と違う存在になること」に重きを置きすぎているきらいがある。しかし本当に大切なのは、「他人と違う存在になること」ではなく、「自分らしく生きること」ではなかったか。あなたが頑張って獲得したその個性は、目立つために無理やりこさえたものではなく、本当にあなたの中身からでた、「あなたらしい」ものなのでしょうか。だから、他人と違う存在になるかはともかく、一旦「あなたらしさ」を純粋に追ってみるといい。するとその「らしさ」は、結局他人と共通するものになるかもしれません。そして、その「あなたらしさの共通点」が、例えば社会の広い人々にひろく共有されるものであった時、それは、その社会の「正義」なのではないでしょうか。

 そんな、この現代にあってなお「世直し」、「正義」を語る途を示してくれるに最良のマンガが、この『パンプキン・シザーズ』なのだと思います。なぜなら本作は、この現代ではもはや失効してしまった「正義」のお話であると同時に、先に述べたとおり、『DEATH NOTE』や『コードギアス』と違って、「正義の押し付け」の批判から出発しているからです。

 本作は上記のように、「世直し」という観点から正義を語るお話です。「戦災復興」という世直しをするからにはその指針、方向性が必要になるわけで、すなわち何らかの形で「正義」の何たるかを特定せざる得ないわけです。しかしそれと同時に、本作は「正義」という概念に疑問を付している。特定の正義をもって世直しを図ることは、戦災に苦しむ市民の「個」を蹂躙しうる行為であるということに、本作は初めから気づいているのです。だから本作は、あくまで特定の「正義」を追求しつつも、「個」を尊重し、「個」の持つ正義がそれぞれ互いに異なるものになりうるという事実から目を背けず、物語を進めていくのです。

 そうすると、その先に『パンプキン・シザーズ』が何らかの答えを見つけるとすれば、それは、「個」が台頭し「正義」が失効してしまったこの現代に「正義」を復興するための、手がかりになるのではないでしょうか?「個」の発揮を絶対条件としつつも、その中で何らかの「正義」を見つけるためのヒントが、本作では示されているのではないでしょうか? 本作は2002年という「正義」がまだ残存していた時代に生まれ、この2021年という「正義」が失効した時代にもまだ連載を継続していることで、その全く異なる二つの時代の橋渡しとしての機能を、獲得しているのです。

 本作が進める「正義」の議論は、非常に多層的で、娯楽的で、示唆に富むものです。本作は正義の議論を理屈っぽく、退屈な言葉で進めるのではなく、その非常にエンターテインメント性の高いストーリーに調和するように、自然と「正義とは何か?」を考えさせられる仕組みになっています。また、本作にはもう一つ「SF」という重要な軸がありまして、それはランデル伍長が「人間兵器」と言われる所以の強力な肉体・武器を行使できる理由につながるとともに、「科学(Science)と正義」という、SF(Science Fiction)であるからこそ可能な、マンガではなかなかお目にかかれない議論にもつながっていきます。

現在全23巻という長さですが、間違いなく、読む価値のある作品だと思います。おすすめです。


(終わり)


 

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