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悪魔崇拝につながるクリスマス

コックリさんとか、やったことはありません。おどろおどろしくて、近寄りがたいものを感じます。けっして、興味本位でやるようなものでもないと思います。

そうした超常現象的なものを、すべてオカルトとして切り捨てることもできるでしょう。しかし、本当にそれで大丈夫でしょうか

例えば、日本中の神社を燃やしてしまっても、なんてことはない??祟りなんて超常現象は、ありえない?

いや・・・私はどんなことが起こるのか、やはり心配になってしまいます

悪魔的儀式というものだって、完全に否定しきれません。もしかしたら、悪魔との交信というのも、成立する可能性を考えておく必要があります。

先日、こんな記事を書きました。

この記事で取り上げたナポレオン・ヒルという人物が、本当に悪魔と対話をしたのかどうか分かりません。しかし、その会話の内容をみると、実際に悪魔との交信がなされたのかもしれないと思わせるものがあります。

仮にそんなことが可能だとしたら、世界の支配者層(超エリート)たちが、悪魔崇拝をしていても、何の不思議はありません。「彼ら」は、私たちのような一般庶民とは比較にならないほどの情報、知識を持っています。

「イルミナティ」とは「光」に由来するんだ。
自分達は「光を授かったもの」と言う。
何故なら、光の者「ルシファー」を信奉するから。
だから「イルミナティ」とは、「ルシファーから光を授かったもの」という意味なんだ。

「彼ら」が、悪魔に指示されたとおりの儀式を通じて、悪魔に力を与えるようなことだってあるかもしれません。悪魔の協力を得られれば、「彼ら」の世界支配という一大事業だって、難なく進められる可能性があります。


この時期に関して言うと、クリスマスが悪魔崇拝に利用されているという話があります。

この動画によると、クリスマスというのは、起源が古代バビロンにあり、それは元々、キリストとは関係なかったそうです。古代ローマには、12月にサートゥルナーリア祭というプレゼントを交換したり、乱交にふけるというお祭りがありました。そのときの崇拝対象が「悪魔」であったものの、それを古代ローマが、増加していたキリスト教徒を取り込むために「キリストの生誕を祝う」というお題目に仕立て上げ、キリスト教を融合させて、悪魔崇拝をさせるようになったということのようです。

非常にざっくり書きましたが、いずれにしても、クリスマスがキリストの誕生日を祝うというのは違うようですし、異教徒のお祭りの日であったというのも事実のようです。

結局のところ、「イエスが生まれた日」については諸説ありながら確証はなく、正確なことは「わからない」ということのようです。
イエス​の​死後​何百​年​か​たっ​て​から,イエス​の生誕​を祝う日​と​し​て​12​月​25​日​が​選ば​れ​まし​た
でも、12​月​25​日に選ば​れのはなぜ​でしょ​う​か。多く​の​歴史​家​に​よれ​ば、​異教​の​祭り​が​その​時期​に​祝わ​れ​て​い​た​ため​。
「冬至」の時期であるこの日前後には異教の祭りが重なっており、当時の教会が布教拡大を狙って、この日をイエス誕生を祝う日としたものと思われます。

tenki.jp
「クリスマスはイエス・キリストの誕生日だと思っていませんか?」より引用

クリスマスは、キリストの誕生日ではないけれども、キリスト教を広めるために、そのように喧伝されたのではないかということです。

したがって、キリスト教徒であっても、意外とクリスマスに対する理解度は低いようです。実際、上に紹介した動画では、冒頭、クリスマスについて、いくつかの問いかけがなされています。

なぜ、クリスマスツリーを家に持ち込むのか?
なぜ、クリスマスツリーに飾り付けをするのか?
なぜ、クリスマスツリーのてっぺんに星を付けるのか?
なぜ、やどりぎの下でキスをするのか?

これらの質問に、多くのキリスト教徒まともに答えられない模様です。それくらい、「クリスマス=キリストの生誕を祝う」という根拠や背景が、あいまいだということです。

そして、動画中、このようにも語られています。

もし、この世のシステムが、あなたを自動的に「クリスマス」を祝うように仕向けており、サタンを崇拝する「クリスマス」という行事に参加させ、あなたは悪魔に強固な力を貸していたとしたら?無知のままに。

無知で無思考の人間が、「ただ、そうしろと言われたからしている」くらいのイベントが、クリスマスだとしたら、世界を支配している超エリートからすると、愚かな大衆たちが、そんなものに踊らされている姿は、滑稽でたまらないかもしれません。

いやそれ以上に、もしそれが無思考な人間たちを大量に生み出し、それを悪魔に捧げるような儀式を意味しており、それが悪魔に力を与えるような超常現象的な役割を果たすとしたら、とんでもないことです。

彼ら」からしてみたら、宗教だってツールのひとつに過ぎません。宗教が扱う「イエス・キリスト」や「」などというものは、崇める対象でもなければ、怖れる存在でもないでしょう。

「彼ら」にとっての宗教は、多くの人々が信じてくれればくれるほど、大勢の人々をコントロールするためのツールとして機能するわけで、大変便利な道具であると言えます。

これは、国家やお金についても同じです。多くの人が国家やお金を信じれば信じるほど、それを操ることで、「彼ら」は大衆を制御することができるようになるのです。


そんなわけで、結局、クリスマスなどというものも、その一環としての位置づけに過ぎないかもしれないということです。

そして今、あらためて考えてみると、この多くの人々が無思考にクリスマスを祝うという行為が、何も考えずに注射を打っている行為に重なってみえて仕方ありません。ちょっと気持ち悪いです。

こうした現状は、イエス・キリストさんにしたって、不本意極まりないのではないでしょうか。彼のためにも、クリスマスを祝うなんて行為は、やめてあげた方がいいのかもしれません。

去年は、こんな記事を書きましたが、さらに一歩、クリスマスからは距離をとっておきたいと思うのでした。


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