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東 京 よ り (三)

大へんごぶさたして申譯ござ

いません。不相變御壯健で結構

です。タイムスも益々御盛で、

毎號愛讀して居ます。

 私は心身共に硬化して、感受

性が鈍り、何か書かうとしても

筆が動きません。誠に哀しむべ

き狀態であります。タイムスに

每號書かして頂いてゐた頃から

今日迄十數年の星霜を消費しま

したが、その間私の心は種いろ

に變化しました。生活に對する

態度や思想、それから趣味など

も目まぐるしく變つて行きまし

た。或る時代には三度の飯を節

約し乍ら買ひためた本を十把一

からげに賣却して、サバサバし

た氣持になつたこともありまし

たが、直ぐその後で妙に本に對

する愛着がつのつて來て、今日

では又もとのやうな愛書家とな

りました。どうも私は本だけは

一生離せないやうに思ひます。

最近讀んだ本では小宮豊隆氏の

「黄金虫」、内田魯庵氏の「續紙

魚繁昌記」など内容、装釘共に

好きです。

 私の本に對する愛は趣味とい

ふやうな、生やさしいものでは

なく、生活の必需品に近い氣持

であります。何かしら良い本を

座右に備へて置かなければ物足

らないのです。これが昂じると

ブックマニアになるのでせうが

そこ迄行きますかどうか。

 近頃私は出來るだけ暇をつく

つて釣魚に行くやうにしてゐま

す。タイムスにも近來釣魚の

記事が出るやうになりましたな

一竿子氏の書かれるものは、私

だち東京に住む者にとつて地理

的に距離があるのですが、それ

でも釣魚好きの私には親しめま

す。その他どなたでしたかお名

前を忘れましたが、最近鮒釣り

のことをお書きになつた方があ

りましたね。愛讀しました。全

國的に釣趣味の人が多くなつて

この頃では新聞でも雜誌でも、

釣魚に關する記事を載せないも

のはないといふ程の盛大さです

釣魚の本も澤山出版されました

が、松岡文翁氏の「釣狂五十年」

「續釣狂五十年」はいい本です。

第一書房から出た佐藤惣之助氏

の「釣心魚心」は釣魚の専門書で

はありませんが、随筆として面

白いものです。寫眞版が拙いの

が疵ですが、装幀は仲なか澁い

ものです。

 私の勤先王子製紙會社で「王

友」といふ雜誌を出して居ます

私だち六人の委員が編輯してゐ

るのですが、素人の集りですか

ら思ふやうに氣の利いたものが

出來ません。第八號が出來上り

ましたから一部別送致します。

この雜誌は會社内丈けの讀者し

か持たず、又寄稿家も社員だけ

ですから、到つて範圍が狹いの

です。今の處春秋二回に出し

て居ます。

 あなたのやうな専門家に見て

頂いて、惡るい處を御注意願ひ

追ひおひと良くして行くつもり

ですから、御氣づきの點は御敎

示下さるやう特にお願ひ致しま

す。私も昔のやうな元氣を出し

て大いに文筆を研磨しやうと思

ひます。どうせろくなものは書

けませんが、そのうち何か書か

せて頂きたいと思ひます。

    (昭和九年六月六日)

 中 村 葉 月 樣

(越後タイムス 昭和九年六月十日 
   第一千百六十七號 一面より)


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