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遺 稿

◇あのひとからさつぱり消息がなく

なつてしまつたが、ことによると去

年の地震のときに、あの人の身のう

へに、なにか異變があつたのではあ

るまいか。死んだといふこともはつ

きりきかないし、生きてどこかへ逃

れたのなら、私のところへもなにか

知らせがありさうなものだ。

◇あのひととは二三年、つひ疎隔の

まゝに打ち過ぎてきたが、あの人は

私にとつて生涯のあひだ、忘れるこ

との出來ないひとである。もつと適

切な言葉で言へば私の人生の恩人で

あるとさへ言つてもいゝひとである

◇或る晩、私はふいと、あのひとの面

影を思ひだしたが、ふいと思ひ出す

といふとどうも今まで忘れてでもゐ

たやうだが、あのひとのことと、そ

のほか、もう三人の女の面かげだけ

は、私の日頃のどんな、つまらない生

活のかた時にだつて、心のうちから

去つた覺江はない。

◇――さうすると、又妙なもので、ど

う仕様もないほどあの人が懐しくな

つて、滅多に調らべたこともない、私

の古い、塵まみれになつた手文庫を

とり出して蓋をあけてみた。中は、さ

まざまな紙片に、細ごましく書かれ

た私と親しかつた、或は今でも友情

をつないでゐる人々からの手紙でい

つぱいであつた。そのうちでもあの

ひとからきたものが、多分その三分

の二はあるであらう。それほど澤山

の手紙を私はあの人から貰つてゐる

◇私が横濱に住んでゐた頃は、あの

ひとも毎日のやうに横濱へやつてき

て、春の夕ぐれなどには、よく根岸の

高臺のあたりから、袖が浦の夕景を

眺めたり、おぼろ月がのぼる頃まで、

あのへんの草原を散歩したり、そし

てきまつて歸途を、あの崖下の海沿

ひにとつて、八幡橋の袂まで、ぶらぶ

らと歩るいたものである。

◇私が東京へ住むやうになつてから

も、もともと、あのひとの家は東京に

あるので、前よりはしげく往來をし

たものだ。そんな同じ土地に住む私

に、あの人は、こんなにも澤山の手紙

をくれたのであつた。それらの多く

は、戀に關するものであつた。あの人

の戀の話は、どんなすぐれた小說を

讀むよりも、あの頃の私にはしみじ

みと味ひ深いものであつた。

◇今はどうであらうか。私はその數

多い書きものを一いち拾ひ讀みする

だけの根氣がもうなくなつてゐる。

私は、それを無心にまぜかへしてゐ

た。すると、よほど底の方から、私の

眼にとまつたものがでてきた。それ

が次ぎに書き寫した一篇であつた。

◇私の記憶によると、あの人から貰

つたもののなかで、いくぶんかでも

文學的作品の味ひのあるものはこの

一篇の戯文よりほかないのである。

私は敢てこれをあの人の遺稿と思ひ

たい。あの人の生死にかゝはらず、こ

れは私にとつて、あの人の面かげを

忍ばせる、いちばん、ふさはしい紀念

でもあるから。


「遊 里 の 秋」


 はしがき――昨十一日と云ふに所用

 ばしありて新吉原を通りありし事ど

 も吾等不風流の者に珍らしと思ひつ

 記しおきぬ。

 萩、桔梗、薄、萱茅、女郎花、み

なうら枯れの枯れ尾花、吾が名に

なむ藤袴も、ゆりの姿あはれな

る今日此頃、せめては暮れ行く秋

に名残り惜しまばやと、唯一人我

が家を出でぬ。世に捨てられぬう

ちこそ吾身いとし、人戀しなれ。

今はいつ野邊に果つるも儘よ、吾

等如き放浪のしれものに、誠と打

明けて語う愚かなる人のあるべき

や。いづち行きても淋しく、都に

還りてもわびしきことはり、有漏

路より無漏路に通ふ一と休みなれ

ど、路ばたのむくげは馬に喰はれ

つゝ、はや十三夜ともなりぬれば

蓬草がもと、むくろ捨ててよと言

ひ遺しつる、地獄太夫のおもかげ、いま

しくるわに有りやなしや。あらば

吾れ如意の一喝訪ひもせばやなど

ふし沈みつある程に、あしはいつ

しか山谷堀より日本堤に向ひぬ。

きぬ/″\のわかれ惜しさに見返る

てふ柳あはれかたのみ。やがて大

門入れば、曇りもま晝なり、仲の

町五十間もさすかに人まばらに何

となう物靜かなり。はや化粧のし

たくして櫛巻きしたるまゝ、いと

こゝちよげなる湯がへりの女人の

異形の吾らを見て、密語がつゝも

耻し。

 とある横小路より爪彈きの音き

こへて――浮いた鴨の

イ―。こなたの茶屋の二階には、

太き絃の稽古にや、「若宮口の戰塲

より眞一文字にとつてかへす心は

矢竹、氣は張り弓」となかなかに

巧みなるぞ嗚呼おこなれ。

 ゆく手よりは一人の粹客のいた

く醉ひたるさまなるが、俥にたす

けのせられ、横さまになりていぬ

もあぶなし。やがてこの里の大籬

とやら、名さへ大文字樓と銘打ち

たる前にぞ差掛りたる。みれば晝

の姿もあさましからぬ傾城のたを

やめ、みたりよたり挿し花のなぐ

さみにや床かしと立止れば、姫た

ちも見る人ありと思ひてや、さま

ざまに意用こゝろもちひてするぞ面白し。さ

れど秋草のはや色褪せげなるは物

憂し。夜のぞめきの目にはこれに

ても過ぎつるものをなど思ひつ、

ふと思ひ出しつるは、南朝の遺臣

室町御所を窺ひつ、姿をやつして

徘徊したる時、祇園の街にはやり

歌あり。

 梅樣々さん/″\梅の花笠風流男、よしや

 おさゝを召さずとまゝよ、おか

 し袂のかげかりて、ならば一と

 夜さ・・・

 晝はくるわに世を忍び、さゝも

たべず、女人にもかまはず、夜は

室町あたりをさまよう優しく異な

る、武士もののふありたりとかや。

 あはれ、さゝもたべず、風流なら

ぬ男は今しこゝに一人あり、など

於かしく思ふ折こそ、樓の中より

美しき女人一人出で來り、ほゝ笑

みつゝいとしとやかにあがり給は

ずやと言ふ。吾れも笑みつゝ、こ

の家に地獄太夫となん呼ぶ全盛あ

りや、いまさば見參らんと云へど、

彼姫ほゝと打笑み、そのやうなる

恐ろしき名の女人はゐまさずとぞ

いらふ。さらばそもじは仲々に氣

高き人ぞ何んと名乗り給ふやと問

へば、妾は綾瀨と申しはべると答

ふ。なに、あや瀨どのとや、定む松

の位の人にやあらんやう覺江たり

またの日、宵に見參らんと言へば

いつはりぞ、いづこにか深き馴染

女のかたやあらんずらん。ありと

も今日はわらわが許にくつろがせ給へ

吾はいかにするとも今日はならじ

されどそもじ吾をよう見覺へおか

れよとにかゝれば、姫は、客人まろうど

暫しまち給へと内につとかけ入り

たるが、とある挿し花をつまみて

吾に投げかけぬ。こはなめげより

なじれば、樣は知り給はずや、其

の花樣にあたりて散りたれば――

いざに給へ――おゝここは面白し

よし、さらば、風雅の友よと、大文

字樓の前をたちぬ。散りたる花は

藤袴なるもおかし。暮れ行く秋の

くるわの晝は、品よく靜かに、意

の外に與あるものぞ。

――十三年、二月稿――(終)

(越後タイムス 大正十三年三月廿三日 
        第六百四十三號 八面より)


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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵




※サムネイルの写真は與志夫が撮影。


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