自己紹介的な

自己紹介を忘れていました。
よくわからない人に興味持てなんてそんな難しいことないですよね。

宮下一心(みやしたいっしん)、石川県出身の23歳です。

元々心身共に強くはなく、小学生になるのを機に柔道を始めました。
中学3年まで続け、最終成績は北信越でベスト8でした。

柔道をしていた時は指導に忠実に取り組むこと、そして馬鹿の一つ覚えのように黙々と練習する強さを身に付けることができました。決して技術が高いわけでもなく、得意技がある訳でもありませんでしたが、ここまで強くなることができたのは柔道のおかげだと思っています。

今から考えれば、ウエイトリフティングを始めてすぐ結果を残せたのも柔道で身体のベースがある程度できていたからだと思います。小さい頃に運動習慣をつけることの重要性を身をもって感じました。

柔道では沢山の怪我も経験してきました。1番大きかったのは中学1年のときの背骨の椎間板の怪我です。
背負い投げを潰され、倒れたところに相手がのしかかり怪我をしました。不運だったのは衝撃を一点に受けてしまったことと相手が(確か)100キロ近い巨漢だったこと。
ご存じの方もいると思いますが、ヘルニアは椎間板が押し出され神経に触れることで痛みます。しかし私の場合、衝撃が強すぎて椎間板が砕け散ってしまいました。どこか忘れましたが、背骨と背骨の間にあるはずの椎間板が一つ無くなっています。
しばらくはまともに動くこともできず、授業で座れば終わる頃には立てなくなっており、練習に復帰できたのは1年以上経ってからのことでした。

怪我に関する知識、リハビリに関する知識、そして怪我をしないことの重要性を学びました。

高校はパンフレットに書いてあったウエイトリフティングの情報だけで金沢学院高校に決めました。

「できるだろう」
ただただ根拠の無い自信で始め、今に至ります。

高校での結果としてはインターハイで団体優勝、個人では3位になることができました。全国の舞台で戦い、そして勝つことはやはり経験しないとわからないことばかりだと思います。色々あるなかで個人としても団体としても強くなるためには、最短で強くなるために行動するのが必ずしも良い訳ではありません。いつでもその時のベストを尽くすこと。その重要性を学びました。

その後、早稲田大学 社会科学部に進学。
ウエイトリフティング部で競技を続けました。

大学スポーツは他と異なる点があり、その違和感に慣れることや意味を見出して努力することに戸惑いました。
結果として、4年生では主将になり活動してきましたが大学でスポーツを行う意味を自覚して突き進むことができた自信はありません。しかし、悩みながら競技を続けてきたことで得られた経験は価値のあるものだったと感じています。


コロナ禍によって大学1年の冬から様々な制限があり、心残りだったことや正解を見つけられなかったことが沢山ありました。
今まで自分が積み重ねてきたこと、支えられてきたことの正解を出すために進んでいます。その1つがパーソナルジムです。


色々省略しましたが、それはまた次の機会に。
今日はこれで終わります。



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