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1991年生まれの僕と同い年のアルバムの話②Screamadelica/Primal Scream

中学から高校にかけてブックオフの500円のCDの棚を漁るのが好きだった。
新品のアルバムを買うと2500円とか3000円とかするので、それだけで月の小遣いの大半を消費してしまう。だから当時の僕にとって500円というのは持続可能なディグの限界価格だった。

ブックオフの500円のCDの棚には独特の哀愁がある。並んでいるアルバムの大半は流通量が飽和していたり、既に「旬」を過ぎてしまった感のある作品である。
しかしブックオフにこのコーナーがあったおかげでNew Found GloryやNOFXなどのメロコアバンドや、Pulp、Octpusといったブリットポップ系のバンドには詳しくなった。(Oasisはなぜか『Standing On The Shoulder of Giants』だけがこの棚に大量に並んでいたりした)
あとJADEとかTLCみたいなR&B系のボーカルグループのアルバムもこの棚でやたら見かけた気がする。
これらの音楽には今でも根強いファンがいるとは思うが、共通して言えるのは主に90年代にブームを迎え今は下火になっているジャンルであるということだ。

しかし僕はこの哀愁の漂う棚で小遣いの許す限りにアルバムをディグっては胸をときめかせながら家に持ち帰り、勉強机に置いたCDプレイヤーにセットした。500円の宝探しが僕の青春だった。



そんな500円の棚では意外な出会いをすることもある。
2007年頃のある日、地元板橋区高島平のブックオフがCDの半額セールをしていた。
このチャンスを逃すまいといつもの棚を物色していると、有名なジャケットに500円の値札が貼られているのを見つけた。

Primal Screamの『Screamadelica』
僕が生まれた1991年に発売されたアルバムだ。
値札は500円だったので、半額の250円で購入した。並ぶ棚を間違えていたとしか思えない。

僕は当時プライマルの『Riot City Blues』(2006)をほぼリアルタイムで聴いていたが、彼らが80年代に結成されたベテランバンドだとは知らず、この頃洋楽ロックの主流だったロックンロール・リバイバルの一波なのかと思っていた。
ちなみに同じ頃、飽和気味だったシーンに彗星のごとく現れたArctic Monkeysに衝撃を受けたりもした。いずれにせよ僕はプライマルには王道のギターロックを期待してしまった。


だからこの『Screamadelica』を聴いてぶっ飛んだ。

アコースティックギターで幕を開ける1曲目『Movin' On Up』の陽気さに騙されていると、2曲目『Slip Inside This House』でいきなりサイケデリックな音がなだれ込んできた。反復するビートにうねるようなシンセベースが絡み、サンプリングされたあらゆるフレーズが縦横無尽に飛び回っている。
さらに『Higher Than the Sun』『Come Together』と陶酔感のある曲をこれでもかと放り込まれた。リバーブの海の中で刻まれるビート。「踊れ」と言われているような気もするし、「眠れ」と言われているような気もする。『Loaded』に至ってはボーカルらしいボーカルは無く、ソウルフルなトラックに人の言葉がサンプリングされている。

サイケデリックな音が加速する中で、突如アコースティックギターとピアノによるバラード『Damaged』が始まる。ボーカルのボビー・ギレスピーのヘロヘロな歌声とシンプルなギターフレーズが泣かせる。やっぱりこれはバンドの音楽なんだ。

アルバムの10曲目でリプライズされる『Higher Than The Sun』にはfeat. Jah Wobbleの表記がある。ジャー・ウォブルはPublic Image Ltd.に参加していたベーシストで、ポストパンクが好きな僕はニヤリとしてしまった。「これこれ!まさにPiLじゃん!」というベースリフに心拍数が上がる。
そして最後の曲『Shine Like Stars』はドラッギーな子守唄のように、このアルバムをやさしく締めくくった。

最新作の『Riot  City Blues』から15年も遡っているはずなのに、今より何十年も未来に進化しているような不思議な音楽だった。だけどその本質は確かにロックだった。だからこそ僕は胸が熱くなった。



改めて『Screamadelica』は1991年発売のアルバムだ。
日本がジュリアナ東京などディスコブームに舞い上がっていたこの時代、イギリスをはじめヨーロッパではクラブカルチャーはもちろん屋外でゲリラ的にDJイベントを開催するレイブパーティが盛り上がり、ドラッグをやって踊るという危ないカルチャーが蔓延していたらしい。
このカルチャーに影響されたプライマルはダンスミュージックとバンドサウンドを掛け合わせようと試み、この奇妙なアルバムが生まれたという。

当時のカルチャーのことを文字で読んでもよくわからないし、レイブだのクラブだのは行ってみたいとも思わない。薬物をやってキマった人たちが踊り狂っているなんて想像するだけで恐ろしい。

だけど、これはつまり人を酔わせて踊らせるための音楽なのだ。
酒も飲んだことがなかった高校生の僕は、遠い国のなにやら危険なモノに触れてしまった気がした。僕が生まれた年にイギリスのイケイケな若者たちはこの音楽を聴いて薬をやって踊り狂っていたのだろうか。


そんな想像をしながら『Screamadelica』と出会った高島平のだだっ広い道路を自転車で走った。
そして巨大な団地と倉庫が立ち並ぶ無機質な景色を眺めながら、MP3プレイヤーに落とした『Screamadelica』をイヤホンで聴き、イギリスのクラブで踊り狂った若者たちに思いを馳せた。

というのも、当時『24アワー・パーティ・ピープル』という映画を観て、マンチェスターは無機質で荒涼とした街であることを知ったのだ。あとSex Pistolsの映画に出てくるロンドンの街もどことなく寂しげだった。
だからきっとイギリスという国は思ったよりも華やかではなくて、わりと高島平みたいな場所が多いんじゃないかと決めつけてみたのだ。

そうするとこの高島平で『Screamadelica』と出会ったのは必然であるように思えた。薬物は何があっても肯定したくないけど、日常の中で踊りたくなる気持ちは僕にもよくわかった。
人生の全てを置き去りにして踊りたい。イギリスで作られたこの危険な音楽が僕の見ている高島平の景色とリンクして、これは僕のための音楽なんだと信じた。



その後、2011年のソニックマニアでプライマルがScreamadelicaの再現ライブをやるというので幕張メッセに観に行った。このアルバムをライブで再現するにはある程度のテクノロジーの進歩を待たなければいけなかったのかもしれない。
艶やかな光線で彩られたホールの中であの不思議な音楽が鳴り続いていた。ボビーは本当に見た目が細くて声もヘロヘロで、思い描いた通りのロックヒーローという感じだった。
大学生になった僕は酒を飲みながら踊った。それが1991年のイギリスに一番近づいた気がした時間だった。



だけど、僕にとっての『Screamadelica』はやっぱり高島平の音楽なのだ。
殺伐とした板橋区の風景に呼応して、10代の青臭い気持ちを解き放ってくれた250円の宝物。僕はこれからもこのアルバムを聴き続けると思う。

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