見出し画像

「共に居る」ための問い

「ねぇねぇ、○○のどこが好きなの?」
「その○○の何が好きなの?」
会話の中でよくある質問だと思います。それは趣味の話かもしれないし、旅行先のことかもしれないし、好きな人についての話かもしれません。

あなたは、そう聞かれてすぐに答えられるでしょうか?
いやぁ、どこと言われてもなぁ…
みたいに考え込んでしまうことってないでしょうか?

この問い、よぉく考えると変な問いだし、場合によっては会話をミスリードしてしまいかねないなと私は思っています。

「どこ」とは何か?

「どこが好きなの?」
と聞かれたときに、頭の中に起きることはどんなことでしょうか。
ちょっと私の例を出しながら考えてゆきますね。

先日私は、会社を休んで古民家をリノベーションしたホテルに行きました。
以下のリンク先にあるのがそこです。

このNIPPONIAのホテルに泊まるのが私は好きで、串本以外にも兵庫県の福崎の蔵書の宿函館の港町のホテルに過去に宿泊したことがあります。

さて、こちらのNIPPONIAホテルズのどこが好きなのか、と問われたら私はこんなふうに答えると思います。

・古民家の木の香りが好き…
・テレビや時計がなく静かなところが好き…
・地のもの中心のお料理が美味しくて好き…
…などなど

でも、これってNIPPONIAに滞在する楽しみの一部を切り出して並べているだけなんですよね。特定の部分が好きというのではなく、これら全てが統合された体験が好きなのですけれど、こう言うふうに答えてしまうとそれが伝わらない

さらには「え?地のものって例えばどんなお料理だったの?」みたいに、どんどんディテールに入り込んで行ってしまう…

つまり「どこが好き」と聞くと、聞かれた側は全体の「どこ」の部分かを探し始め体験の全体性を損なってしまいますし、聞いた相手もその部分については理解することができるかもしれませんけれど、それは話し手の伝えたかったことでは必ずしもないかもしれません。

どうして「どこが?」って聞いてしまうのか?

でも私たちは「どこが好きなの?」とか聞いてしまっています。
どうして、そう言う聞き方をしているのでしょうか?

相手が自分の好きなものや人やことについて話してくれている時、それについて話しているようでいて、実はそうではなく、それにまつわる体験について話しているはずだと思います。

しかし、体験や経験というものは全て言語化して伝えられるものではありません。また聞いている側も体験の中の色々な情報を洪水のように聞かされても全てを受け取ることは到底できないでしょう。
すると、全体ではなく少しチャンク(塊)として小さな話にして、話を咀嚼しやすく理解しやすくしようとしているのではないでしょうか?

NIPPONIAの話に少し戻って、このことを考えてみます。
私にとっては古民家の木の香りは、子供の頃に訪れるのが大好きだった母方の実家の匂いを思い出させ、祖父母を身近に感じられるとても懐かしいものです。
その香りの中にいると、懐かしさに包まれて穏やかな気持ちになれますし、心が静まってゆくような落ち着きが得られます。

でも、古民家の木の香りの話から、その香りに浸っているときに私の頭の中に去来する幼少期の話に入ってしまうといくら時間があっても伝えきれないと思います。でもNIPPONIAに泊まる体験というのはそのような思い出に浸る経験も含んでいます。
しかし、どんな場所かも知らない聞き手は私がどのようにして感覚を得ているのかは理解することはできないと思います。

だから、私が挙げたいくつかの好きな「部分」の中から、聞き手側にとって分かりやすいイメージを掴みやすいものを引き出し、その部分だけでも理解しようと努めているのではないでしょうか。

つまり、相手の話の全てを理解することは所詮無理だから、わかる部分を探しそれを理解しようとするために「どこが好きなの」という質問を自然にしている…
…のではないかな、と。

実際に泊まった部屋の外観です

どう問うと全体をつかめるか?

「どこが好きなの?」
から会話がディテールに入ってしまうと、相手の話の部分的な理解で止まってしまい、何を伝えたかったのかを聞き取れずに会話が終わってしまいかねません。
話し手側も、部分しか語っていないのでそれで分かったような反応をされてしまうとなんとも言えない違和感を感じてしまうでしょう。

特に人に伝えたいほど本当に好きなものというのは、好きな部分同士の組み合わせだったり、それら全体を包んでいる雰囲気や空間、あるいは一連の流れとしての体験だったりするわけです。
それをちゃんと聞いて受け取ってあげるにはどのように問うのが良いでしょうか?

私はこう考えます。
問うべきは部分的に切り出したモノやコトではなく、その人自身がどう感じていたかなのかな、と。

「好きなもの」でいうのであれば、何が好きかどこが好きかを伝えたいのではなく、自分がそれを好きであることをこそ伝えたいわけです。
例えば、
好きな人と一緒にいて楽しかったこと、
美味しいお料理を食べて幸せな気分になれたこと、
忙しい都会の喧騒から離れて心穏やかになれたこと…
などなど

問いとしては、「なぜ好きなのか」になってくるのでしょうけれど、そのまま「なぜ好きなの?」という聞き方は話の腰を折ってしまいかねないですね。
代わりに、その人にとってどのような状態が「好き」な状態であるのかを聞くことができれば、そこに対して共感をすることができるでしょう。

具体的には、
好きなことをしている、好きな物に触れているとその人はどうなるのかを、聞くのが良いのではないか、と。
「そこに居てどんな気持ちになったの?
「その時に何を感じていたの?
みたいな問いです。

もちろん、その問いに至るまでの間に部分を聞く問いを投げかけても良いと思います。大切なのはそこから細かいところに入らず、部分もできるだけ多くを聞くこと、話の各パーツにおける話し手に体験において、その人の想い・考え・感覚を丁寧に聞いてゆくことなのではないかな、と。

モノやコトを自分なりに解釈して理解するのではなく、相手のことを聞く。
それが「その人と共にいる」ための問いでもあるのではないでしょうか。

NIPPONIA串本で泊まった部屋です

最後まで読んでくださってありがとうございました ( ´ ▽ ` )/ コメント欄への感想、リクエスト、シェアによるサポートは大歓迎です。デザインの相談を希望される場合も遠慮なくお知らせくださいね!