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コミュニティと欲求階層論

最近の私が大きな関心を持っていることの一つに「コミュニティ」があります。
オンラインで人と繋がることが人々の日常になってきた現代で、簡単に遠くの人と繋がれるがゆえに、共通の目的や趣味、嗜好のもとに人が集まってコミュニティを作り出している様子があちこちで観察できます。

この動きは、会社組織にも影響を少なからず影響を与えています。
一人一人が会社以外のコミュニティと繋がる様になってきたり、会社の中にコミュニティを置くことで社員同士の繋がりを強化しようとしていたり…

そんな中でふと気づくのは、コミュニティに参加するモチベーションは人それぞれですし、一つのコミュニティに参加する人たちが共通のモチベーションを持っているわけでもないことです。
それを整理するフレームとしてマズローの欲求階層論が使えるかもしれません。

マズローの欲求階層論

モチベーションを語る時に必ずと言っても良いほど取り上げられる理論が、心理学者のアブラハム・マズローが提唱した「欲求階層論(欲求階層説と呼ぶ人もいます)」です。

マズローの欲求階層論の優れたところは、単に人間を欲求を分類するのではなく、それらは階層構造になっていて、低位の欲求が満たされていないと高次の欲求は湧かないという仮説に組み上げたところだと思います。

生きてゆくことができると、次は安全が続くことを求め、それも保障されると人とのつながりを求める…そのうちにその人と人との繋がりの中で認めてもらえたり愛を受けるとることを欲し、最終的には自分の力を最大限開放できる境地を求める…
この考え方には異論を唱える人も少なくないですが、一般的にはほぼこの通りになるのではないかなと私は考えます。(特殊なケースではもちろん階層の逆転は起きるでしょうけれど)

人間は一人では生きてゆくことは難しい生き物です。
そこで何らかのコミュニティや、他者との社会的関係性を構築するわけなのですが、その動機は必ずしも「所属の欲求(社会的欲求)」ばかりではありません

参加者にとってコミュニティがどの様な意味を持ちうるのかを考えてみます。

生存のためのコミュニティ

欲求階層論の第一階層は「生理的欲求」です。
呼吸、食欲、睡眠といった生命活動を維持する上での最低限の欲求であり、ある意味本能に近いところにある欲求です。

この欲求は原則的には自分自身で生きることを維持するためになんとかしてゆくものなのかもしれませんけれど、そんなことばかりではないかもしれません。

例えば、自分の力では食事を取ることができなくなってしまった場合、誰か自分に食べ物を運んで食べさせてくれる人が必要となってくることがあるかもしれません。その時その人は、自分を助けてくれる誰かのいるコミュニティ(それは家族になるかもしれませんが)に属することになるかと思います。

また少し拡大解釈すれば、「食ってゆくために働く」というのもこのレベルの話なのではないでしょうか。
親元から独立し一人暮らしをしないといけないのだけれど、まずは毎日食べて行くために就職したりアルバイトしたり、ということはあるでしょうから。

「クビになるかもしれない」と感じた人がものすごく恐怖を感じて抵抗をするのも、この生理的欲求が危機に晒される様に感じているからだったりします。

安全のためのコミュニティ

欲求階層論の第二階層は「安全の欲求」です。
自分の生存が確実になると、次は自分を脅かすかもしれないものから守られて安全な状態である自分を作ろうとする欲求が生まれます。
ここに居ても大丈夫と安心できる状況を求めるわけです。

衣食住でいうと「住」が安全の欲求と関係が深いでしょう。寒さから身を守るという意味では「衣」もそうかもしれませんが、「衣」には社会に参加するための意味も少し入っていそうです。

これも原始的な欲求のように感じられるかもしれませんけれど、自分の力だけで自分を守る、安全を確保できないから誰かと一緒にいることで安全を確保しようというのはありそうです。サバイバル状態におけるコミュニティの様子はよくドラマなどで出てくるのではないでしょうか。

そう言った極限に状態になくとも、物理的な安全ではなく精神的安全を求めるという意味で「心理的安全性」が確保されたコミュニティに属したいという欲求は現代人の中に強くありそうです。
そして、それが脅かされているなと思った人は自分からコミュニティを出てゆくわけです。

仲間を得るためのコミュニティ

欲求階層論の第三階層は「社会的欲求」です。所属と愛の欲求とも呼ばれていますね。
非常に平たく言ってしまうと、これは「誰かと一緒にいたい」と言う感情的な欲求だと私は思います。
不安だからとかそう言うのではなく「寂しい」から
あるいは誰かからの愛が欲しいから。

その手段として、共通の目的や趣味、嗜好はあるかもしれません。
でも、それを極めようとかそう言うのではなく、共通のもの共有できるものを持っている仲間と繋がっていたいという欲求の方が強く根底にあるのです。そのためにコミュニティに参加します。
言ってみれば、一人でなくても済む自分の居場所を得るために。

新型コロナウィルスのパンデミックで一人孤立した様に感じていた人たちは、何とか他者とつながろうとオンラインのコミュニティを立ち上げていました。そこで何かを作り出そうとかがしたいわけではなく(パンデミックでそれはできなかったりしたので)、ただ繋がって会話を楽しんでいる様な状態…
その心地良さを求めていたのだと思います。自分は一人ではない、と。

認められるためのコミュニティ

欲求階層論の第四段階は「承認の欲求」です。
「誰かに認めてもらいたい」と願うのはこの欲求ですが、その現れ方は人それぞれかもしれません。感謝の言葉で満足する人もいれば、報酬の額にそれを感じる人もいるでしょうし、地位やステイタスを求める人もいるでしょう。

この欲求を持った人がコミュニティにいると、コミュニティ内での地位(ポジション)を求めたり、役割分担の様なものを決めたがったりする傾向があります。積極的にコミュニティをリードしようとしているのですが、それによってコミュニティメンバーから一目置かれたり、社会的に注目されたかったりするかもしれません。

自分に知識やスキルがあることを認めてもらいたくて自慢話や武勇伝に走り、「すごいですねぇ」と言われることが参加するモチベーションであったり、本人にそのつもりはなくてもマウンティングされてると思われたりということもしばしばあります。

お互いがお互いを承認し合えるようなコミュニティが望ましいのかもしれませんが、張り合う人はいなくはならないかもしれませんし、誰でも認められるというのは馴れ合いっぽい感じがして嫌な人もいるかもしれませんね。

自己実現のためのコミュニティ

欲求階層論の第五階層、最も上に位置するのが「自己実現欲求」です。
自分だからできること、自分ならではのことを実現したいという欲求がこれに当たりますけれど、コミュニティのパーパスとかビジョンに突き動かされている状態とも言えるかもしれません。
さらには、それによって自分自身をより高めて行きたいと考えることもあります。こちらは自己超越欲求という言葉でこれを区別して考える人もいますね。

この様な人はコミュニティに属さなくても良いのではないかとも思えますけれど、この人たちがコミュニティに入るのはそこにパーパスやビジョンがあるため、自分一人ではできない大きなことを実現するためであったり、コミュニティのメンバーと切磋琢磨をすることで自己表現したい、ないしは自己をさらに高めてゆきたいからです。

平たく一言で言ってしまえば「意識高い」系の人、となるかもしれません。
この様な人はコミュニティに参加する意味や価値を常に考えていて、それを一緒にできる仲間がいるか、目的は達成されたかどうかに関心があります。
そして、自己実現がなされたり、それがなされる可能性がそのコミュニティではないとなったら抜けていくことになるでしょうね。

コミュニティの意味は人それぞれ

欲求階層論の五階層から見たコミュニティの意味を見てきましたけれど、特定のコミュニティがこの階層のどこかだけを満たしているというケースは稀ではないでしょうか。
実際には、コミュニティにどのような意味を持たせるのかは参加している一人一人が決めていて、一つのコミュニティの中にいる人の参加している欲求の階層は人によってバラバラだったりすると思います。

少し具体的な話をしましょう。
例えば心理学を勉強するセミナーに参加した後に、継続して勉強したい人が集まる学習コミュニティが立ち上がったとします。
すごく意識が高い人がセミナー参加者に声をかけて、そのエネルギーや熱に絆されて仲間に入ってくる人の中には色々な思いがあると思います。

知り合った人との繋がりを失うことが寂しい社会的欲求ドリブンの人、
ストレスの高い職場にいてセミナーが癒しになってた安全欲求ドリブンの人、
自分の持ってる知識やスキルを自慢したいと思っている承認欲求ドリブンの人、
文字通りどんどん学んで自分のセラピストとしてのスキルを上げるんだと思っている自己実現欲求の人…などなど。

このように参加者の欲求階層が誰かと誰か間で少しずつずれている場合があるのがコミュティの常なのではないかと私は思います。
ただ、このことが分かっていないとコミュニティの中でいざこざや不協和音が発生してゆくことになります。

自己実現型で熱量が高くコミュニティを引っ張っていた人が、自分と切磋琢磨しようという意識の高さが他のメンバーから感じられず、物足りなさやフラストレーションを感じたり、承認欲求が高い人が自慢話やマウンティングをしてきて人間関係がおかしくなっていったり…

色々なコミュニティに顔を出してきましたけれど、この階層論がピラミッド構造になっているのと同じで、意識が高い自己実現目的で参加している人は一握りで、その下の階層のいる人たちがコミュニティの大勢を占めていますし、その人たちを上の階層に上げようとしてもなかなか簡単には行きません。

参加した時点で自分がいた欲求階層から他の参加者に合わせて階層内を動き回れないと、やがてコミュニティ内に分断が起きお互いの関係がギスギスしてゆきます。そして自然消滅的にコミュニティが瓦解してゆくことってよくありますね。

コミュニティには色々な人がいる…
自分以外の人の階層まで行って対話する姿勢を、一人ではなく皆が持つことがコミュニティの活性化と長続きにつながるのではないかな、と私は思います。

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