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共創とはどんな場なのか? | キャンプ理論

先日、京都で開催された「ビジュアル・プラクティスの入り口」というワークショップに参加してきました。
ワークショップはビジュアル・プラクティスとはどのようなものなのかを体験から知るために一日かけて行うもので、以下のリンク先にある講座のイントロのような位置付けにもなっているようでした。

一日のワークショップの中では、対話を繰り返しながらそこで語られることや様子をグラフィッカーと呼ばれる人達が「見える化」してゆきます。また対話のプロセスデザインについてもその一部を垣間見ることができるとても贅沢なものでした。

ワークショップで教えるコンテンツについてはここでは紹介は控えますけれど、中で行われた「共創」に関するグループダイアローグが参加していた自分にとってとても興味深いものになっていたので、自分の振り返りの意味で整理してみることにします。

グループダイアローグまでの流れ

ワークショップには30名近くが参加していたでしょうか。
最初はチェックインですが、体を動かしながらどんな人たちが来ているのかを知り合う形が取られました。
その後は共創を作り出すためのフレームについて二つほど紹介されたのですが、それも座って話を聞くのではなく体を動かして場所を移動しながら体感的に理解をする進め方になっていました。

その様子はグラフィッカーが記録をしているので、ノートを取りながら参加するようなことをしなくてもその場に集中し没頭することができます。
逆に、没頭していたところで自分からは見えてなかった視点について、記録が見える、しかも一目で全体がわかる絵として表現されているので、そこから気付くもの、得るものがありました。

そうやって対話の様子を見える化してゆくを見た後は、実際に自分たちで見える化を実践するグループワークを行いました。
具体的には、三人1組のグループを作り、そのうちの1人が自分に関するストーリーを語り、聞き手のうちの片方は話し手のストーリーの中で聞こえてきたり感じられた大切にしていそうだなと感じたことを付箋に記録し、もう片方は聞こえてきたストーリーをグラフィックに描いてゆくと言うことをします。

付箋に記録されるものは自分では意識してなかった言葉であったりしますし、絵として描かれるものはストーリーの流れとして全体感があるので客観的に自分のストーリーを見ることができます。
なかなか興味深い体験でした。このワークの後にグループダイアローグに移行しました。

共創とは?の対話を見える化する最中に思い出したこと

集まっている人が講座に興味があるファシリテーターの人が多かったこともあり、グループワークのストーリーテリングでも話されたことも「自分の活動において、どのようにして人との関わりから共創を起こしてゆくのか」のような話になっていたと思います。

大きなグループでの対話ではそれを共有するのかなと思っていたら、グループへの問いは「あなたの考える共創とはどのような場ですか?」と言うものでした。
なるほど、自分が何を大切にしているのかを知った後で、それを大切にしているとしてそこからどのような場を作ろうとしているのかについて、一人一人の考えをより合わせてゆこうと言うことなのかな、と思いました。

最初にグループの中の一人が、うまく共創したと思っている事例を紹介してくれました。そのお話の中には、何があったから共創が生まれた、共創した結果としてどんな成果物が出てきたのかを言うお話であったと思います。
一言で言えばそのお話は、ビジネスの現場でイノベーションが起きてゆくと言う話だったのですけれど、それを聞いていた私はもう少し一般的で子供にもわかるようなものがないだろうかと考えていたので、友人仲間でキャンプに行った時の話をしました。
ちゃんとグラフィッカーの方が記録して下のような絵にしてくれました。

グラフィックは友澤里子さんによるものです。了解を得て一部を掲載しています

私がまだ20代の頃に、友人たちで集まってキャンプ場に行った時のことです。
キャンプ場に集まっていい空気を胸いっぱいに吸い「気持ちいいねぇ〜」みたいに呑気なことを言っていました。
「今日の晩御飯はこのままここで何かみんなで作ろうか!」
「いいねぇ〜、キャンプファイヤーとかもしたいねぇ〜!」
ノリはとても良かったのですけれど、食材も道具もなく、あるのはキャンプ場が用意している薪だけでした。

「買い出し行ってくるっ」
誰かがそう言って、車を出して街まで出すというと、
「荷物あるでしょ?私も一緒に行く」
と数名がその車に同乗してゆきます。そして、
「キャンプ場の人に鍋あるか聞いて借りてくるっ」
と一人が走ってゆき、
「そういえば、くる途中で岩魚釣れるところあったよね」
との言葉で何人かが別の車で釣りに行きました
「じゃ、火を熾して待ってるわ」
と残った数人が薪を集め、燃えやすい小さな焚き木を探しに行きました…

誰が指示したわけでもなく、その場で自分ができることを見つけてそれぞれが積極的に動いていました。
会社組織などだと、肩書きや役割がある人に指示を仰いだり、その人が何をいうのかの顔色や様子を伺ってなかなか動き出さなかったりしてるようなことが起きますけれど、その時はそうならず、それぞれに「キャンプでご飯食べよう」と「やろうという気持ち」が自然に湧いていたのです。
それにより、気付いた者から自分な得意なことやみんなでご飯を食べるために必要なことを、自分がやると言い出して実行していました。

つまり、「共創しよう」なんて号令でやったのではなく、勝手に共創が起きて行ったのではないだろうか、と私は考えました。

このお話は同じグループにいた方達にとってわかりやすかったのか共感を得られたのか、「キャンプ理論」なる名前をつけてもらいました。
そして、そこからさらに対話が深まっていきました。

キャンプ理論とは

グラフィックは友澤里子さんによるものです。了解を得て一部を掲載しています

キャンプの場で起きることが職場で起きないのは何故だろう?
という問いが誰からともなく湧き上がりました。

会社組織ではそれぞれに立場や役割があるので、「それは自分の役割ではない」とか「周りの様子を見てから決めたい」とかなりがちです。
キャンプの時のように自発的に自分のやれることをやることで共創が生まれる状況と何が違うのかという問いですね。

再びキャンプではどうだったかと考えてみました。
買い出しに行った組や釣りに行った組が戻ってきたりして、食材や道具が揃ったのは夕暮れ日近い4時過ぎぐらいでした。
でも何を作るのかも決まっていないし、食材を洗ったり切り刻むのもこれからでした。

しかし、ここからの皆の集中がものすごかったのです。
まずは調理ができるだけの火力を日暮までに作らないと大変っ!
火熾し班が炎が大きくならずに苦労しているところに数名がついて、瞬く間に炎は大きくなりました。
仕込み班は、何を作るのかもわかっていないのに、肉や野菜をとにかく食べれる大きさに切り刻んでいました。釣ってきた岩魚を網なしでどう美味しく焼くかを考えている連中も出てきました。
そして、、出来上がった夕食は!
・岩魚の塩焼き
・色々煮込んだと思われる豚汁
・鉄板で焼いた焼きそば
…があったのを覚えています。(他にもあったかもですけれど)

ため息が出るほど美味しい食事でした。
すっかり暗くなり、寒くなってきたところで焚いた火を囲んで、それぞれの苦労を労いながら楽しく会話をして夜が更けてゆきました。

この話をした後で、聞いていたグループのメンバーからの「ひょっとしたら集まったグループの目的の純度がとても高かったからではないだろうか」という意見が出ました。
「みんなで作った美味しいご飯を日暮までに作る」という純粋な目的には、立場やお金の都合や自らの保身といった事情を手放したり、細かいところはどうでもいいからなんとかしようという意識が生まれていたのではないか、と。

それもあると思いました。
そして、純粋な目的と同時に人をギュッと結束させることができるだけのプレッシャーがあったのではないかとも思いました。
キャンプの場合であればそれは「夕暮れまでにやらないと寒くなる」であるでしょうし、ビジネスの現場ではそれは「期限」であったりするのかもしれません。
アクシデントがあったとしても「なんとかしなくちゃ」と思って目的に向き合えるのはそれかな、と。

まとめると、キャンプ理論とは、
みんなにとってシンプルで分かりやすく他のものが混じってくる余地のない純粋な目的が設定され、その状態に適度なプレッシャーがかかることによって、共創は誰かの号令や恣意的な働きかけがなくても自発的に起こるものである
みたいな話なのかもしれません。

共創を起こしてゆくために

グループダイアローグは、三つのグループで行われていました。
それぞれがどんな話をしたのかを共有している最中もグラフィッカーはこのテーマについて俯瞰したまとめを作っていました。
それが以下の絵です。

グラフィックは田中友美乃さんによるものです。了解を得て掲載しています。

グループごとに異なった内容を対話していたのも伝わってきますけれど、こうしてまとめてみるとちゃんと流れになっていて驚かされます。
絵を左から右に見てゆくとこんなことが言えそうです。

現在私たちが直面している状況下では、契約や条件の制約がある中で一人一人が与えられた役割の中で動こうとしており、それぞれの役割を全うしようとしていますがこの状態では共創は起きにくいと言えるのかもしれません。
そんな状態から抜け出し、一人一人が役割を超えて自発的に繋がり動いてゆくためには「目的の純度」がカギとなってくるのではないか、と。
そして、その目的のもとで一人一人の違いが尊重されそれが信頼関係を生み出し、それぞれの異なる視点や個性を発揮しやすい心理的安全性を担保し、その中で色々な在り方(いかた)ができることで器が大きくなってゆく…

どうでしょうか。
キーワードを並べたパワーポイントの資料ですと、それぞれの要素が別々の項目として独立してるようにすら見えてきてしまい、「心理的安全性ないからそこをなんとかしよう」とかなってしまいますけれど、こうやってみてゆくと流れがちゃんとあってその流れを作ってゆくことが大切なのだなと言うことがよく分かります。


対話によるコラボレーションや共創という言葉を冠したディスカッションは過去にたくさんしてきた私ですが、今回良かったのは自分たちの対話のプロセスを記録している人たちがいて、描かれたものが壁に張り出されてゆくことで自分たちの対話の軌跡を確かめながら対話を深めていくことができたからかなと思っています。

そして、おそらく絵が描かれていったからだけでなく、共創を作り出すこと、場を作り出すことを探求する仲間がそこにいて、それの人たちを尊重しながら自由な対話を可能にするような場づくりがきちんとなされていたのだろうとも思っています。

今回思い出させてもらったキャンプの体験とその時の感覚。これから人と組織に関わってゆくときに大切にしてゆきたいなと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました ( ´ ▽ ` )/ コメント欄への感想、リクエスト、シェアによるサポートは大歓迎です。デザインの相談を希望される場合も遠慮なくお知らせくださいね!