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喧嘩を売りに行った話

幼稚園とかの頃はともかく、学校に行くようになってからは私は喧嘩らしい喧嘩というものをやったことがありません。平和主義というわけではありませんでしたが、もともと体が弱く腕っぷしもないのでせいぜい軽い口喧嘩程度しかせず、その口喧嘩も話しても無駄だと思うとその場を去るかその相手との縁を切るようにしていました。

でも、たった一回だけ、例外があります。
大して喧嘩にはなりませんでしたけれど、喧嘩を売りに行ったことが私にはあります。
それは中学三年の卒業旅行の時のことでした。

友達が何よりも大事だった

中学三年の卒業旅行は3月中旬にあり、九州周遊の三泊四日の旅でした。
卒業旅行ですので、一学年全員参加の壮大なイベントです。
まだ寒い時期でした。
その卒業旅行の最後の晩に事件は起こりました。

私が夜、風呂から上がって部屋に戻ると同じ部屋の同級生たちが暗い表情で静まりかえっていました。
見ると、当時私が良く一緒に遊んでたS君とH君が部屋に居ません。

「SとHはどうしたの?」と聞いても、皆うつむいたまま黙ってました。
「行き違いで風呂に行ったのかな?」と戯けながら聞くと、
ひとりが震える声で、
「違うよ、Y達がやってきて連れて行かれた」

Yというのはどこのクラスにも居るような典型的な「不良」で、仲間を集めて煙草や酒をやり、陰で陰湿ないじめをやるような男でした。
しかし、狡猾で人の弱みにつけ込むのが上手いので、決してそれらが表に出ることはなかったのです。

私はYの事をキツネのような男だと思ってましたが、特に怒りは感じていませんでした。
その晩までは。

私の友人だったS君は某大手食品会社の社長の妾の子で金持ちで我が儘な男でしたが、何故か仲良くさせてもらっていてクラスでもよく遊んだし、彼の豪邸にも何度も招かれて遊びにも行ってました。金持ちの豪華な趣味に圧倒されながら、なかなかできない経験させてもらってるなと思ってました。
S君自身は持ち物の自慢話をするところはあっても性格は悪くなく、自分の持っているものを積極的にシェアするような優しい男でした。

H君も確かどこかの御曹司だったと記憶しています。
彼も優しく大人しい男でしたけれど、格好つけたがりでロックバンドでベースをやってました。その演奏はお世辞にも上手いとは言えませんでしたけれど。
ただ、音楽の趣味が共通していたので彼とも仲は良く、一緒に当時秋葉原のレコード屋に行ってLPを買いあさったりなどしてました。

2人とも不良に虐められるような素養は充分にもっていたかもしれません。妬まれやすいし、目立つ一方でそれほど強いわけでもなかったので。
でも、私の中ではS君もH君も親友であり、当時の自分にとって親友はかけがえのない大切なものでした。

「なぜ助けに行かないんだ?」
問いかけても皆うつむいたままでした。
それを見てたらだんだんと頭に血が上ってきました。

自分自身への問いかけが始まっていました。
…どうするんだ?
…じっとしているのか?
…助けに行かないのか?
…見捨てるのか?
否、見捨てることなど絶対にしてはいけない!

「いってくる」
と言いながら私はその部屋を出ました。

敵地に乗り込む

いってくる、というのは「言ってくる」だったのか「行ってくる」だったのかはどっちの意味で言ったのかは自分でもわかっていなかったと思います。
ただ、無意識に木刀を手にとって握りしめていました。

部屋を出ると女子生徒が何人か寄ってきて、次々に告げてきました。
「ねぇ、S君とH君がY君達にいじめられてるよ」

「どの部屋?」

怒鳴るように場所を聞くと、木刀を肩に担いでその部屋の戸の前に立ちました。
ゴンゴン、とノックしてたか、
部屋のドアを足で蹴っていたか、
頭に血が昇っていたので、よく覚えていません。
いずれにしても、部屋のドアは鍵か掛かっていて、私が何かをしたことで誰かがドアを開け、中に入りました。

部屋に入ると中は薄暗い状態でした。
教師が見回りに来たときに、見つかりにくいように、証拠をすぐ隠せるようにそうしてるのでしょう。
暗かったので中に何人いるのかは分かりませんでしたが、7−8人は良そうな雰囲気でした。男子だけでなく女子もいました。
煙草の煙と酒の匂いが部屋に立ち込めてました。
真ん中にYが椅子に座ってふんぞり返って座っていました。

「なんだ、おまえ?」

Yがじろじろと舐めるようにこちらをみてきます。
「なんだぁ、やる気か?」
と睨みを入れてきました。

かなり頭に血が上っていたのと暗い中で何が起こっているのかまず把握しようと思っていたので、私はその場に木刀を肩に担いだまま無言で突っ立っていた。
するとYの取り巻きのひとりが、
「やべぇよ、あいつ剣道部だぜ」
とコソッと告げました。
ガヤガヤとしゃべってた連中も押し黙り、部屋の空気が一瞬張り詰めたように感じられました。

私自身はまだ頭に血が上ったままで多くを話せる状態ではありませんでした。
肩にものすごく力が入っていたのかもしれません。

「かえせよ」
と一言だけ言うのがやっとでした。

ちょっと間を置いてこちらの顔色をうかがいつつ、ニヤニヤしながら
「嫌だと言ったら?」
とY。

肩に担いでいた木刀を音をたてて振り下ろし、まっすぐにYの目を見てもう一回。
「かえせよ」

Yは肩をすくめるようにして言いました。
「分かったよ」

即座に私はS君とH君の手をつかむと振り返らずにその部屋から外に出ました。

自分たちの宿泊部屋に戻るまでS君はずっと声を上げて泣いてました。
H君は青ざめた顔でうつむいたままでした。

「泣くなよ」

静かにそう伝えたつもりでした。でも、怒鳴ってたかもしれません。
早く何もなかった元の状態に戻りたい、そう思ってました。
S君やH君が泣いてたら何かあったと周りに思われる。

「泣くな」

何かを卒業したのかもしれない

卒業旅行の後は授業はなく、1週間後が卒業式の日でした。
卒業式の日になるまで、何も起こりませんでした。

Yからのリベンジもなければ、不祥事が発覚して学校に呼び出されたりもなし。
しかし、不思議なことに私はS君やH君とは遊ばなくなった、と言うよりも彼らが近づいてこなくなりました。
色々な噂が立っていたらしいのはなんとなくわかったのですが、私のところには伝わって来ませんでした。
私も、まぁ、もうこのクラスも終わりだし、ぐらいに思っていたと思います。

卒業式が終わった後の校庭で、三年間暮らした校舎を眺めていると、Yが声をかけてきました。
「よう、聞きたいことがあるんだ」

Yの事を良く思っている訳ではありませんでしたが、無視する道理もないと思ったので、その場に立ち止まりました。
「なんだよ」
Yは頭を掻きながら言いにくそうに言いました。
「いや… おまえ何で先公に言いつけに行かなかったんだ?」

…なるほど、酒・煙草・いじめを卒業前にやらかせば確かに卒業取消か下手すれば退学処分ということになっていたのかもしれません。
Yは私があの後に先生に報告し、その結果として自分がそうなるかもしれないと思っていた、あるいは怯えていたという訳なのでしょう。

確かに、
冷静に考えれば、あの時私は先生に言えばよかったのです。そうすれば私自身が乗り込まずとも彼らを一網打尽にできたでしょう。

でも、それはしなかった…
なぜそうしなかったのだろう?
そんなことが一瞬だけ頭をよぎりましたけれど、その後私から出た言葉は、多分自分の肚の底から出た言葉だったと思います。
そんな馬鹿馬鹿しいことを聞いてくるYに腹が立ったのかもしれません。

「なんで先生が関係あるんだ?」

そう言われたYは虚を突かれたようにあっけにとられていました。
そして見たことがないような爽やかな笑顔で一言。
「おまえ、面白い奴だな」

それには答えずに、校舎を後にしました。
確か謝恩会があったと思いますけれど、気分ではなかったので私は行きませんでした。それが自分の中学生活の終わりでした。

仲間、友、徒党、そして孤高

今振り返ってみると、あの日を境に自分の中で何かが変わったと思います。

それまでは「仲間」は良いものだと思っていましたけれど、なんだか徒党を組んで居るだけような気分に陥る時が何度も出て来ました。
それは、中学卒業前のこの事件が引き金になっているのかもしれません。

虐められるのに耐えられない連中が徒党を組み、人を虐めることで優越感に浸る…

その状態に対する嫌悪感。
集団で居ることで自分にもそうなる可能性、あるいはそう見られる可能性があるのだと勝手に思い込みました。
仲間を作ること自体がそこに入らない人たちに対する暴力である、と。
そう考えてた思春期後半は、集団に属しつつも集団と距離を置くようになりました。

いまだに思います。
あの時に自分を突き動かしたのはいったい何だったのか、と。

あの日以来、私は喧嘩を売りに行ったことはありません。
ひょっとしたら、自分の中で何かが死んだのかもしれない、とも思います。
集団に属しつつ、集団と距離を置く…
私はそういう傾向が強く自分にはあるな、と未だに自己認識しています。

久しぶりに中学校の卒業アルバムを見ていたら、こんな思い出が出て来ました。
あの時に自分の中にあった炎、まだ熾せるのかしら?
そんな風に、今思っています。

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