てっちゃんおじさんの話

人が人をすっかりと信頼していた時代というのがあったのだとすると、今の時代は随分と寂しい時代になったと言えるのだろう。


「なんでそんな悲しいことがあるんだ」と思うような、本当に残念な事件がいろいろ起きているからこそ、いろいろと「関わりの安全さ」を考えなくちゃいけないことが増えていることは分かるし、明らかに不安なことを心配しなくちゃいけないことが増えている。

でも、なんて寂しいことなんだろうなと思う。こんな時代をつくりたくて、人は物質的に豊かになりたいと思っていたのか、いろんな技術を発展させてきたというのだろうかと思ってしまう。


ひとつの白黒テレビをみんなで見ていたという時代があったという逸話を、僕らはテレビ番組とか戦後から間もない時代を知る人たちから聞くけれど、カラーテレビが誰もが手に入るように技術発展をしてきたことで、各家庭どころか各部屋にテレビは設置されるようになった。

いまやカラーテレビどころか、個人がスマホもポータブルなゲーム機もそれぞれに持っていたりして、ひとつの画面を囲まなきゃいけない時代なんかは遠く記憶の彼方へ消えていって、それぞれの興味のあることをそれぞれが楽しむことが当たり前の社会になった。

そのことによって共有できる話題はなくなって、それぞれに自分の考えていることを伝えることが難しくなりすぎてしまっていて、分かり合えないことが多くて、なかなか本当のことを本当の深さで話す機会も減って、表面的にうまく取り繕うことが下手くそな自分を責めたりして、うまく話せず、うまく反応できない自分を自己嫌悪することになっちゃっていたりしないか。


周りの人が何を考えているのか分からないし、実際に何を考えているのかと思うような人が事件を起こしちゃったりしたら、「ほらやっぱり!怖い!」ってことになってしまって、「知らない人に話しかけちゃいけません!!」ってことになってしまって、遠いところから警戒するようなことになってしまうのも無理もないよなぁという気がする。


なぜだか、ふと、もう亡くなってしまったおじさんの笑顔を思い出した。


てっちゃんおじさんは、僕の母親の弟で、僕にとっては叔父さんにあたる。彼は知的障害をもって大人になっていて、どんな仕事をしていたのかは今も僕は知らないのだが、なにかしら仕事をして、僕が小学校の頃くらいまで、一緒に色々と遊んでくれた。

とくに、僕が野球を始めて週末が埋まっちゃう低学年くらいの頃まで、けっこう遊びに行くことが多かったので、その時にはいつも僕をどこかしら散歩して遊びに連れて行ってくれていた。


てっちゃん(と呼んでいた)を思い浮かべると、「へへへえっ」っていう、なんとも言えない可愛らしい笑顔ばかりが思い出されるのだが、なにかと細かいことに厳しい親戚のおばさんに変人扱いされていたのは、僕は子供心にもイライラしていたのを思い出す。

親戚のおばさんはたしかにてっちゃんよりも常識人だし、日常の中で出来ることはいっぱいあるのだろうけど、てっちゃんは僕とよく遊んでくれるし、子供の世界を理解しないようなしょうもない小言は言わないし、一緒にいるときにいつも楽しそうにしているのが好きだった。

実際のことは違っていたかもしれないけど、僕の中にいるおばさんはいつもてっちゃんを叱っている場面が多くて、その度にてっちゃんが「うん」「うん」となにも言い返すことができなくて、とても悲しそうだったのを見ると、とてもとても悲しい気持ちになった。


てっちゃんは子供のような人だった。僕の記憶の中のてっちゃんは、いまの僕よりまだ年上のおじさんだったと思うけど、僕はあの時のてっちゃんのような無邪気さはもう持っていないような気がするし、きっとてっちゃんの頭の中は無邪気な子供の部分をたくさん残して大人になったのだと思う。

いろんな人が世の中にいるけど、わりといろんな人の個性を認めることが出来る方だなと思う。それは僕が小さい頃からいろんな人に関わってもらい、いろんな人のやさしさの伝え方に触れ、愛されて育ってきたからだと思う。てっちゃんの優しさは、一緒になって無邪気に遊んでくれる、大きな友達としての愛であったように思う。


けど、たぶん、てっちゃんのような人を、僕が無邪気に感じる笑顔を、そんな風に暖かい目で見守る人はもう多くないんじゃないかと思った。


「へへへえっ」って笑う彼の顔は、本当に無邪気で、僕にとっては本当に心が暖かくなる笑顔なのに、きっとその笑顔は、知らない人には気持ち悪いとか言われてしまうのではないだろうかと思った。僕はそのことを知らないだけで、そんな風に言われることもいっぱいあったのかもしれないとも思う。


てっちゃんは生きていきやすい世界に生きて、亡くなったのだろうか。


少なくとも、いまなら間違いなく生きていきづらそうだ。僕がてっちゃんと遊んでた時よりも、いまきっと多様な人が生きやすい世界ではなさそうだ。

でも、それをつくったのはその時代を共に生きたすべての人だ。その時代を共に生きたすべての人の願いが、想いが、この世界を作っているのだから。


てっちゃんおじさんを思い出して、まさか記事にする日がくるとは思わなかったけど、とっても大事な思い出を言葉にできたことはうれしい。

僕の中に彼は生きていて、彼のおかげで僕の人格にある大切な部分が育っていることによって、いまも彼の存在が僕の中では輝いている。


なにが書きたかったわけじゃないんだけど、てっちゃんの肩車にのって、四日市の街をぶらぶらしたことがとっても大事だったことを思い出したことを忘れたくなくて、ちょっと思い出して、今日は書いた。書いてよかった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。