見出し画像

デザインのお布施いただきました

ぼくはミルクボーイの漫才が好きなんですが、


「どうも〜、ミルクボーイです〜」


と登場したあと、必ず


「あ〜、ありがとうございます。

 いま、◯◯をいただきました。

 ありがとうございます。

 こんなんなんぼあっても困りませんからね」


という、この小ネタの部分が好きです。

ちなみに、調べてみたらこれをnoteに書いている偉大な人もおられました。



というわけで、お布施について。


施しをすることが布施でありますから、お布施を受け取るというのは人の厚意や施しをありがたく受けるということになります。

ぼくがお布施できるのはせいぜい人の話を聞くことと、ネガティブになっている人に話を聞いて、「あるある、そんなんようあるって」という話をして安心してもらうくらいのもんです。ほっとさせるお布施。


最近はめっきりリアルなお地蔵さんになろうとしているので、いつか誰かに笠をもらったなら、豊かな年越し食材セットをお届けできるような豊かな存在になれたらいいなと思いますが。

ああ、そうか、お地蔵さん年越しご奉仕ということで企画をするのもいいかもしれない。笠を持ってきてくれたら、年越し、年明けのご飯を我が家でご馳走するっていうそういうことをしてみたいかもしれない。覚えていたら。


それはさておき、今日はデザインでお布施をもらいました。


過去4回の生死の会ですが、毎回みんないい感じのコミュニケーションを続けてくださっていて、北海道、東京、愛知、兵庫、奈良、その他もろもろ、いろんな街からオンラインのお話し会に参加をしてくださっています。

デザインでお布施をくれたのは静岡に住んでるリッキーでして、パッケージデザインをもともとやっていたので、彼は素敵なデザインが得意なのです。

一時期農家として山梨でワインを畑からつくることを目指して農家になったのに、僕が泊まった次の日に大事故が起きてしまって、死んでもおかしくなかったところから生還したものの、彼は農業は続けられない身体となってしまい、今はまた静岡で就職をしているという人生を送っています。


そんな彼が毎回、エア寺の生死の会にきてくれていることは、とても嬉しいことなんですが、まさか彼からお布施が届くとは思いませんでした。

しかも、なにげなくデザインがちゃんと四人の主催者のデザインをほどこしてあるところがニクい(死語)。こういうところ素晴らしいですね。


いやあなんせ、生き死にですよ、こういう話をするのが好きなんで僕は本当にこの時間が大好きなんですが、こうしてみんなが喜んでくれていることを感じるとめっちゃ幸せですね。

どんな風に生きていくのかはわからないけど、お金のことも、将来のことも、個別に取り組んでいるひとつひとつのプロジェクトの進捗も、順調なのも微妙なのもあるけど、なにせ生きていたいし、気持ちよく死にたいです。

そして僕が願うのは、限りなく多くの人が。心地よく生きて、スッキリした気持ちで死んでほしいってことです。それはまさに僕の願いそのもので、それはまさに大乗仏教そのものだなと思うので、何の因果か、エア寺なるものを僕がやって、こうして関わりが増えていくに至っていると思うのです。


戦略的な思考が一切ないわけではないですが、人の説得にはそういう思考はいくらか機能しても、事実には「運」ほど機能するものはないと思います。

そしてよくわからないけど、ぼくにとって重要なものであったときは、間違いなく当たりをひくことができると確信があります。


人に施し、人に施され、来るものを拒まず、去るものを追わず、いつもニコニコ現金払いもとい元気で溌剌とした気持ちで、生きて死のうと思います。


お地蔵さんやってます。

お布施は大歓迎です。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。