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この体に息づく人達 #映画コラム

 
 「兄弟なんか要らない。一人が良かったのに。」
と、一緒の布団の父に泣きながら訴えたのはいつだったろう。発言からするに、きっととても幼い。兄に意地悪されたからとか、弟に譲れと言われたからとか、そんな些細な理由に突き上げられたのだろう。薄暗い部屋の中、父は柔らかく笑い、なんの慰めにもならない一言をくれた。

「今はそう思うかもしれないけどね。大きくなったら絶対思うから。兄弟がいて良かったって。」

散々だ。途方もない。この骨が伸び切るまで何年も何年も耐え続けなくてはならないなんて。その忍耐の連続の向こうにありがたみが存在するなんて。夢物語特有の軽薄な臭いがした。

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 ある10代の兄弟が、ある日魔法の杖を手渡された。それは亡き父からのプレゼントだった。そこには、「魔法で1日だけ蘇らせてほしい」と、幼い長男とお腹にいる次男を残して病死した父の願いが添えられていた。
 この兄弟は正反対だった。細く小柄で、弱気で臆病な弟イアンに対し、兄バーリーは大柄で所突猛進、大学にも進学せずに歴史オタク活動ばかりしている。周りの目を気にして生きる弟にとって、好き勝手に生きるガサツな兄は“恥”だった。

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 秋、運動会振替休日、長男と久しぶりに映画館を訪れた。普段次男と三男にかまけて構ってやれない罪滅ぼしのようなものだったからか、「これが観たかったんだ!」と彼が指差したパネルに心がほどけていくのを感じた。その映画は、兄弟の絆を描いた『2分の1の魔法』だった。
 

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 コロナ渦でポップコーンもホットドッグも売っていない、いつもより暗く静かな映画館の中。リクライニングチェアに深く埋もれ、私の脳はある方向に傾いていく。
 きっとこれは、主人公である弟が、奥手な自己を克服し、大柄横暴な兄をも引っ張る位の力強さを湧き起こし、一人前になっていく成長ストーリー。ピクサー特有の色彩豊かな映像を眺めながら、まぁそんなお決まりのストーリーでもいいか、真っ当な成功体験を見るのが子供にとっても良いことだろうし、と思いに耽っていた。その時、ある台詞が耳の中に滑り込んできて、そのまま鼓膜に貼り付いた。


酒場の女主人「痩せてる方の子は本当に勇敢。」
母親「えっ?大きい方でしょ?バーリーの方。」
酒場の女主人「違う!小さい子の方よ!」

弱気な弟の方が実は勇敢。当初の読みを裏切らないストーリー展開なのに、鼓膜に残るざらりとしたこの感触は何だろう。違和感を何度もなぞる。まるでこの体の微かな拒否反応の理由を探すかのように。
  
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 兄バーリーには、相棒がいた。ペガサスのペイントを施したおんぼろトラックだ。どこへ行くにも一緒、ガタついても修理しつつ一緒にここまで来た正真正銘の相棒だった。
 24時間というタイムリミットの中、魔法の石を探す旅の途中で、警察の追手が迫ってくる中、崖岩を魔法で落石させ道を塞ごうとするシーンがある。しかし未熟さに焦りが加わり弟の魔法は失敗し続ける。その時、兄がふと口をつぐむ。
 彼はカーステレオから音楽を流し、ダッシュボードを愛しそうに撫でたあと、その無人のトラックを発進させた。途中で後輪がパンクし、ガタタンッガタタンッと跳ねながら加速していく姿は、まるでペガサスが走っているようだ。大きな石にぶつかり、車体が跳ね上がった衝撃で開いたサイドボードから飛び出した無数の真白な違反切符が、左右の窓から流れ出す。まるでペガサスの翼のように大きく開きながら。もうその姿はただのトラックではなく、命をもったペガサスだった。その羽ばたく後ろ姿、岩肌に衝突し墜落し、岩石に埋もれて息絶える最期を見送りながら、兄は不動の敬礼をした。そして地面に落ちたライトを両手でそっと拾い上げ胸の内ポケットにしまうと、動揺している弟に静かに言った。「まぁ所詮、ただのポンコツだ。」 

 私はさっきの鼓膜のざらつきが段々と明確になってゆくのを感じた。
 弟の成長ストーリーの影に隠れていくはずだった兄の存在がぐんぐんと輝きを増していき、私の安直な見通しを力強く押しやっていく。

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 「あの人が、あなたのことをとても褒めてたよ。」
褒め言葉は直接言われても勿論嬉しいが、こんな又聞きは輪をかけて嬉しい。私は常々そう思ってきた。
 自分の居ない所で自分が話題に上がること、そしてそれがポジティブな話題だということ。それが嬉しい。しかしそれだけではなく、きっとそれを私に伝えてくれた人の温度が乗っかっているから、文字通り、嬉しさに輪をかけているのだと思うのだ。それを伝えてあげたい、きっと喜ぶだろう、という優しさや、私もそう思う、という同調が滲んでいる。褒め言葉は何倍もの体温を宿して私に手渡される。

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 最後、兄は弟を抱きしめる。
「このハグはお父さんから。」
兄弟が力を合わせて父親を蘇らせた時、もう魔法が解ける日没まであと少しだった。しかし呪いのドラゴンがもうそこまで迫ってきており、一人はそれを止めておかなくてはならない。父にひと目会いたいとずっと願ってきた弟を父の元に行かせようとする兄を弟が制す。何本ものチューブに繋がれた父の姿に驚き、病室に入れないまま死に別れた過去をもつ兄にこそ、父と話してほしいと思ったのだった。
 弟は勇敢に魔法でドラゴンを倒し、兄は父と最期の時間を過ごすことが出来た。夕日が海に溶け切って父はするすると消えていく。

 兄の運んだ父のハグはどんな温度がしたのだろう。父の体温に兄の体温が乗って、父の愛情に兄の愛情が輪をかけて、どんな温度がしたのだろう。弟はゆったりと満ち足りた表情でそれを受け取っていた。

 言葉が滑り込んでくる。表情が流れ込んでくる。体温が溶け込んでくる。この体に。きっとそうやって幼い頃から、あの子やあの人が私の中に息づいてきた。独りなようで独りじゃなかった。 

薄暗い映画館が、あの薄暗い畳の部屋に移ろいでゆく。私はいつの間にか、「一人が良かったのに」と泣いたあの夜に佇んでいて、柔らかく笑う父の目や声色に包まれていた。



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ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!