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『12人の優しい日本人を読む会』が、とてもとても素晴らしかったこと

「あーーーーー!演劇っていいな!」

『12人の優しい日本人を読む会』を観終えたとき、いちばんはじめに、私の口からこぼれた言葉がそれだった。

本当に素晴らしかったその公演について、思ったことを、どうにか言葉にしたくて、いまこのnoteを書いている。

長い文章になってしまうけれど、読んでもらえたら、嬉しい。
そして、もし私のこの文章を読むことを途中でやめてしまっても、どうか『12人の優しい日本人を読む会』を、「ちょっとのぞいてみようかな」と思って観てらえたら、もう、最高に嬉しい。

1.作品の概要

『12人の優しい日本人を読む会』は、Zoomを利用してつくられたリモート演劇。5月はじめにYouTubeで配信され、そのアーカイブが今月末まで視聴可能だ。

三谷幸喜作の『12人の優しい日本人』といえば映画化もされた作品なので、普段演劇を観ない人でも知っている、あるいはタイトルだけでも聞いたがことある、という人も多いと思う。
私もずいぶん前に、映画版を観ている。

今回はその有名な戯曲を、すべてオンランインで読み合わせるという試みだ。それぞれの自宅からZoomにアクセスした俳優が、分割された画面のなかで、演技を繰り広げていく。

5月中旬、この作品が月末までYouTubeで配信されていることを知って、私は「えぇー!そんなん、めっちゃ観たい!絶対観たい!」と思った。
子供が寝ているときや、家事の合間に時間をつくり、ようやく、前編と後編を鑑賞できた。

――これがもう、本当に、素晴らしかった!

このお芝居は、基本的に、裁判所のとある1室で繰り広げられる会話をメインとした劇なので、遠隔での読み合わせという形式と、物語との相性が非常に良い。
(そして脚本そのものの面白さと、物語の強度が本当にすごい!)

架空の裁判制度のもと、集められた12人の陪審員たちが、事件の「無罪」「有罪」をめぐり議論を繰り広げていく。
さまざな個性をもつ陪審員たちのやりとりを通して、評決は揺れ動き、物語が展開していく。

2.Zoomで演劇って面白い

まず画面を開いてお話が始まったとき、ちょっとどきどきした。
今回の公演に参加している役者さんは、ベテラン揃い。
テレビでも活躍していて、たくさんの人に知られている役者さんたち。
その人達の顔が、自宅のテレビ画面に、ずらっと並ぶのだ。

Zoomは、ふだん会議やテレビ電話で使う人も多いと思う。
その画面のなかに、役者さんたちがいるのは、なんだかちょっと不思議な気持ち。
なんだかぐっと距離が近くなった気さえして、その人達の話すことに耳をそばだてたいと思ってしまう。
これから何が話されるのか、何が起こっていくのか……(物語の展開を事前に知っていても)、どきどきした。

まるで秘密の会話を、のぞいているみたい。

そんなふうに視聴者が観ている前で、会話によって、物語が紡がれていく。

3.ひとつの場を作り上げる、力量の凄まじさ

この作品、役者の皆さま一人ひとりの力量が素晴らしいのはもちろん、その場を共有するための集中力が、本当にすごい。
凄まじい、と思ってしまった。

演者同士、あるいは演者と観客の間で、”その場”を共有すると言う事は、本来だったら――身体を伴い、同じ場所にいることができるのならば――ある程度、自動的に身体にインストールされる「空気感」のようなものが、多少なりともあるように、私は思う。
(劇場や稽古場という空間や、照明、音響、衣装や舞台セットが、その「空気感」の共有を手助けしてくれる部分も、きっとたくさん、ある)

だけど、今回、演者は全員、自宅からオンラインでアクセスしている。
普段自分が生活している空間にいながら、(途中休憩を挟むとはいえ)2時間以上も集中して「役として」カメラの前に居続けるというのは、相当な集中を必要とするのではないか……。
その上で、皆でひとつの「空気感」を作り出すのというのは、本当に大変なことのように、私には思える。

通信環境によるタイムラグもあるだろう。
テンポやタイミングのはかり方も、普段のお芝居と勝手が違っていて難しかったんじゃないだろうか。

けれどあの場には、確かにあった。
みんなが確かに同じ場にいるんだという感覚が。
”その場の空気”が、しっかりと作り出されていて、本当に素晴らしかったし、面白かった。
何度も笑って、一瞬たりとも飽きず、集中して見ることができた。

小道具の使い方も秀逸だった。
それぞれの演者が自宅で用意したマグカップや、ペンなどの小道具。
それを受け渡すタイミングが絶妙に合ったりしていると、「おぉ!」と声が出てしまいそうになる。
別々の場所にいるはずの演者たちの空間が、つながったように思えてしまう。ああ、本当に、みんな同じ場所にいるんだなと思えるポイントを、できる範囲のなかで用意してくれている。

もちろん、全員がリモートでアクセスしているから、それぞれの背景はバラバラで、まるで統一されてはいない。

彼らが別々の空間にいることは、一目瞭然なのだ。

それでも、私には、彼らが、同じ一つの部屋で議論をしている”場”が、確かにそこにあるんだと思えた。
みんなが集中力を傾けて、つくりだした場だと思う。

これって、とってもとっても、すごいことだ……!

4.これはまぎれもなく「演劇」で、その上、素晴らしかった。

この作品は「読む会」というタイトルのとおり、役者陣による公開「読み合わせ」だ。
演出もついているし、何回か稽古を重ねたとはいえ、「演劇=舞台作品」という認識を持っていると、これは「演劇なのか?」と疑問に思う人もいるかもしれない。

でも私は、これはまぎれもなく、演劇だと思う。

「演劇」とは何だろう、と考えたとき。

私にとってそれは(あくまで、私にとっては)、
誰かが、何かを発したときに生まれる変化を知ることが、その大きな魅力のひとつだと思っている。

自分が演劇に携わっていたとき、お芝居のなかで誰かの発した言葉に、仕草に、目配せひとつに、どうしようもなく心が動いて、自分でさえ思いがけなかった感情や、気持ちが、溢れ出ることがあった。
できるだけそれをそのまま、心から取り出して、相手に返す、返したいと思う。それが、私にとって、すごく大切なことだった。

観客として舞台をみるときも、誰かが発したものを受けて、起こる変化(それは物語そのものだったり、目の前にいる別の誰かの感情や仕草や表情だったり)を目の当たりにできること――それこそが、演劇のとびきり面白い部分だと、私は思っている。

その意味でも、この作品は本当に素晴らしい「演劇」だった。

人と人の、気持ちの行き交いとぶつかり合いが、確かにあって。
心の在りようが、様々に変化していく。
分割された画面の中でまざまざと見せつけられる物語は、12人分の心のゆらぎ、そのものだった。
そんな物語に引き込まれて、笑ったり、切なかったり、やりきれなかったりしながら、物語の終わりを迎えたその時、視聴者であった自分も、心を激しく揺さぶれていたんだと気づく。

本当に本当に素晴らしい、演劇体験だった。

だからこそ、「演劇っていいな!」と。
思わず言葉が、こぼれてしまった。

5.演者全員の顔がずっと映し出される、贅沢さ

そしてこのZoom演劇という形式は演者全員の顔を真正面からずっと観ていられるというのも、面白いなぁと思った。

もしも劇場で作品を観たなら、自分のいる客席や舞台との位置関係から俳優の顔が見えないシーンも出てくるだろう。
(「ああ、あの場面の、あの人の表情が観たかったのに……!」と思ったり、同じお芝居をどうしても別の角度から観たくてリピート観劇しちゃったり……お芝居が好きな人は、何度かそんな経験、あるんじゃないかしら?)

だけどこのZoom演劇は、終始、全員の顔が映し出される。
セリフや動きのない人も含めて全員が「役として」その場にいるときにどんな表情をして、何に反応しているのか、つぶさに観ることができる。
これって、ものすごく、贅沢なことだと思う。

6.カーテンコールが、とっても素敵

終演後(この終演の方法も本当に素晴らしい演出なのだけど)、劇場で言う「カーテンコール」のような形で、役者陣がもう一度、画面上に姿を現す。
私は、ここが、とっても好きだ。

2時間以上のお芝居を、強靭な集中力と演技力で、魅力的なものに仕上げてくれた役者さんたち。

その人達と、この時間を共有できて、本当に本当に嬉しいと、強く思った。

Zoomの画面を通して、同じ時間を「共有できた」と感じられること。
それはとっても不思議で、心地よい感覚だった。

7.どうかこの演劇が、届いてほしいと思う。

ずっとずっと、前。
はじめて『12人の優しい日本人』の映画版を観たとき。
私は確か、高校生だった。

夜の、静かな時間。
ブラウン管のテレビでその映画をひとり観て、このお話、なんて面白いんだろうと心を踊らせたことを覚えている。(何かしら記録媒体で観たはずだけれど……もしかしたらDVDですらなく、ビデオテープだったかもしれない)

そのときの私にとって、演劇は、生活の中心だった。
学校生活のなかで、辛いことや俯きたくなることがあっても、部活があるから、演劇があるから、学校に通い続けることができた。

もし、もしも。
あのときの私が、いま、高校生だったなら。
学校が休みになり、友達とも会えず、部活もできない。
あんなに大好きだった劇場という空間に、お芝居を観に行くこともできなくなって。
読み合わせも稽古もできず、先行きも見えないなか、もしかしたら今年の大会や舞台発表もすべて、なくなってしまうかもしれない――そんな状況だったら。
本当に、本当に。辛かったと思う。

胸がつぶれそうで仕方なかったんじゃ、ないだろうか。

そんなときにもし、インターネットでこの『12人の優しい日本人を読む会』と、出会っていたら。

どんなに、心を救われただろう。

こんな形の演劇だってできるんだよ(しかも最高に面白く!)と、示してくれる、素晴らしい大人たちに出会えたなら――どれほど、未来が開けたように感じられるだろう。

どうかどうか、そんなふうに演劇を、この物語を、必要としている人に。
そして、よりたくさんの人達に。
この素晴らしい作品が、届きますように……!!

8.この「演劇」を観て、よかった!

もちろん私だって、「劇場」という場でつくり出される、本来の演劇が大好きだ。
劇場という非日常の場、演者やスタッフと観客だけが、まるで大切な秘密を共有できるような……どこか、ひそやかで豊かな空間。
照明や音響、衣装や舞台装置、小道具に至るまで、こだわって作り上げられた舞台空間。そこを駆けぬけ、感情をなげだすように生きる役者たち。その身体を目の当たりにすること、びりびりと肌に刺さるほどに、その場の空気を共に享受すること。

ゆるやかに音楽がボリュームアップして観客のヒソヒソと話す声がなくなっていき、客席の照明がふっと消えたあとの、あの暗闇。物語がはじまる前の、期待が胸いっぱいにひろがる、真っ暗な時間。
印刷されたパンフレットのカサリとした感触、挟まれたたくさんのチラシのツルツルした紙の質感。

すこし埃っぽい、劇場のにおい。

終演後、目の当たりにしたすべてが、夢のように消えてしまった舞台を見つめるときの、ほんのちょっぴり切ないような、さびしいような気持ち。

ぜんぶぜんぶが、大好きだ。

そんな演劇を愛しているし、どうかどうか、一日でも早く、そんな演劇を安心して楽しめる日が、戻ってきてほしいと思う。
心の底から、願っている。

だけど、「今」、それはすぐには叶わないから。
今、できる形で、最大級の面白さを追求して、この『12人の優しい日本人を読む会』をつくってくださった、全ての方に、私は心から感謝したい。

ここ最近は、外出もなかなかできない状況だったので、日常が、なんとなく狭苦しくて、どこか閉塞感さえ感じることもあった。

だけど、自宅の端末からYouTubeにアクセスしてこの演劇を目の当たりにしたとき、私の抱えていた息苦しさに、確かに風穴が空いた。

陪審員たちのやりとりや言葉の応酬に、声をあげて笑ったり。
呼吸をするのもひそやかにしたいと思うほど、今、画面の向こうで起こっていることにぐっと気持ちを引き込まれてしまったり。

その時間は確かに、いつもと違う、特別な時間になった。
私はそれが、とびっきり、めちゃめちゃ、嬉しかった!

自宅にいながら、こんなに素晴らしい演劇体験ができるなんて。
これってとても、すごいこと。

演劇に関わる全ての人達にとって、今のこの社会の状況は厳しく、苦しいものだと思う。だけど、苦しいことだけを見つめて絶望して終わりにせずに、そのなかで手探りでも「面白いもの」を生み出そう、届けようとしてくれたこと。新しいお芝居の楽しさが生まれつつあること。

みんなが「演劇」を、愛してるんだと感じられたこと。

それがものすごく、嬉しい。

ああもう本当に。演劇って、最高!

9.『12人の優しい日本人を読む会』YouTubeチャンネルへのリンク ※動画の配信は終了致しました

ここまで、私の感想を読んでいただいて本当に、ありがとうございます……!

さいごに、YouTubeチャンネルへのリンクを貼っておきます。

前編1時間半、後編が1時間ほどあります。
テレビやPCなど大きな画面で観ると、きっとすごく楽しめると思います。

アーカイブの配信終了まで、もうあまり日数がないけれど。
どうかどうか、たくさんの人が、この素晴らしい演劇を観てくれますように……!

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2020/06/03追記:YouTubeでの『12人の優しい日本人を読む会』の配信は、2020年5月31日にて終了となりました。

すばらしい演劇と出会えたことに、心からの感謝をこめて。



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