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今日の短歌

子供の頃、お盆になると祖母が取り仕切って回転行灯や吊り提灯を沢山仏間に飾っていた。

スイッチを入れると、中の絵が電気の熱で回転して提灯に投影され、煌々とした光、淡い光色んな薄い紅色、青い淡い光、雲母の欠片のようにキラキラと光り、しかもそんな提灯が部屋中に沢山かけてあり、どこか近寄り難い仏間が迎え火から送り火の3日間はとても幻想的で、用もないのに子供の私はその部屋に何時間も1人入っていた。

ある時から盆提灯を用意するのはしんどいという名目で、我が家ではしなくなった。

他の家ではまだするのだろうか……

私の嫁ぎ先も一応は、岐阜に来て3代目の本家筋にあたるのだけど、昔からの神道らしいのでそこらへんの詳細はわからない。

もっとも、長男で次期当主である、旦那さんは芸術肌の映像メーカーの1人社長さんである。お盆直前まで前倒し納期、その後は次の撮影準備と彼も私も連日仕事の準備に大忙しだった。

さて、そんな多忙な時期でも私にははっきりと今日からはお盆3日間だと日付をみなくても忘れてても思い出せる特技がある

それは、毎年、幼い頃から、迎え火(初日)から送り火のまでの3日間、決まって夢を見るから。

初日は大抵、苦しさで目が覚める。
夢と分かっていても覚めないし、心臓の苦しさで目が覚める。

今年は、日本髪をした女性が多く出ていた。大正から昭和初期くらいなんだろうか。
初めは、男装の麗人が給仕をしている、カフェと白黒映画が小さく上映されてるような、ビーチテーブルのような簡易的なテーブルと椅子がある場所だった。モダンガールがやってきて、その麗人と腕を組み、席まで案内してもらったり、日本髪の女性が慌ててきたから、乱れた髪を直して欲しいとその麗人にお願いしたりするのだった。その場所にくる女性は、その麗人目的なのはすぐにわかった。

場面が変わり何故か、街角のお地蔵さんの祠の中に隠れてやり過ごそうとしてる大粒の汗をかいた大きく胸元の空いたダサいシャツを着た男もいた。

こいつは、何か借金取りか何かに追われているな?と思っているとまた、場面が変わりきらびやかな東京、大阪、名古屋の夜の街の1つ裏筋に入るといけない世界に迷いこんだような怪しそうな酒場とが、あって、ギラギラとした電球とランプの火、美味しそうに少し炙られたオイルサーディンに黒胡椒と塩でのみ味付けされた、少し不格好だけど食欲をそそるような赤身肉の1口づつに刺された串。緑色の酒を飲みながら、ジャラジャラとブレスレットをつけた女海賊のような女店主が、店に入るかい?と、怪しい笑みを浮かべながら、中の客をさばいていた。

この場所は今思い出したがもしかしたら、去年みた、戦後の闇市後のようなそんな場所なのかもしれない。

みんなあそこに行けば、とりあえず食べ物にありつけれる。
そんな風に教えられて、私もいった。土ぼこりが所々でおきるような、小汚い場所だったが、小さな店というか人が各々ものを売っていて、小麦粉のワンタンみたいなものが浮かべてあるスープや、一夜干しした魚を串焼きにして食べたという夢。

その十数年後の夢の場所かもしれない。

夢だと思い、夢を見続けていたが、私は胸の苦しさで目が覚めた。自分が死んでいるのか生きているのか。さっきまでのが現実で、今、覚醒している自分が死んでる自分なのではないだろうか

そんなことを思い、会話できる人を求め、寝ている旦那の元へ歩んで行った。

寝ぼけた旦那に、胸が苦しいとつげると、「いつもの気圧だ」と答えられた。会話すると、なぜか安心する。

愛犬も何事かと心配して起きてきた。

自分の「生」を確認して、頓服を飲み、眠りに再度つくことにした。

さっきの夢は、色んな人の思い出の欠片みたいだったな、と思い、そう言えばと確認してみれば、今日は迎え火(お盆初日)である。

思い出の欠片ということと、早回転のように場面が変わったので、幼い頃にみた提灯みたいだな。

と、調べてみると、あれは回転行灯といい、別名走馬灯と呼ばれるものらしい。

人生の喜怒哀楽の欠片みたいなのを次々と見せてくれた夢を忘れないように詠んだ今日の短歌。

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