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ヤングカマスと中年ブリ

今から30年ほど前、10代の頃に小さなスーパーマーケットでバイトをしたことがありました。バイト初日に緊張しながら職場で挨拶をした自分に、パートのおばちゃんはひと目見て「あら、ヤングマン」とおっしゃいました。

今思えば、ヤングマンという愛称で呼ぶことで自分が職場に早く溶け込めるようにと気遣ってくれたのかもしれませんし、単に西城秀樹さんのファンだったのかもしれません。とにもかくにも、当時の自分は若いということだけで、パートのおばちゃんたちから結構ちやほやされた記憶があります。

フレッシュさが無条件に歓迎されるのは魚においても同じ。ではフレッシュさをなくした中年魚は大切にされないのでしょうか。自身の体験から比べてみます。


究極の新鮮、釣りたて

先般釣りに行った際、数匹のカマスが釣れました。それほど大きくもないですが、釣りたて新鮮というのはそれだけで尊いものです。

その日は海で食糧を調達して1日過ごすつもりだった自分は、カマスを少しの無駄もなく美味しく頂こうと、丁重に扱い、ちやほやしました。

頭と内臓をとり、背骨の血を丁寧に拭き取り、海水の塩気を利用して軽い干物にします。程よく水気が抜けたカマスを塩をふって塩焼きにします。

残り2匹は3枚におろして食べやすくして、パスタと一緒に煮込みます。

ペペロンチーノ味のカマスパスタ

カマス出汁で茹でたパスタにカマスの塩焼きをのせたカマススパゲチが完成。海を見ながら食べると幸せになれます。

釣れたて新鮮というだけで無条件で美味い、または美味いはずなのだ、美味くあらねばという思考が働き、評価が甘くなりがちです。

一旦冷凍庫は魚の墓場?

一方で、こちらはカマスよりもサイズも市場価格も数倍上の、メーター越えのブリの切り身を冷凍したものです。

果たしていつ冷凍したのかも覚えてない

船釣り好きの向かいのご夫婦に頂いたブリですが、あまりに大きく立派なのですぐには食べきれず、切り身にして「一旦冷凍」にしていました。

ここだけの話ですが、釣り人が魚を食べきれずに「一旦冷凍」した場合、高確率でその魚は数カ月放置され、冷凍庫の中の最下層、冷凍グリーンピースの下ぐらいまで落ちぶれ、下手をすれば年末の大掃除まで発掘されずに化石と化します。

再発見された頃には「あれ、この魚何だっけ?よく分からないし、悪いけどごめんなさいしよっか」となってしまいます。

この「ごめんなさいしよっか」というのは、すなわち「捨てる」ということなのですが、人間はズルくて弱いものなので、自分が食べ物を粗末にする、釣った魚を捨てる奴だと思われたくないので、「ごめんなさいしよっか」という謝罪を含んだカジュアルな言い方に置き換えて自分の心を守るわけです。

と言うと、「いや、俺は違う、俺はあくまですぐに食べきれないから一旦冷凍しただけで、ちゃんとこの魚のことを覚えているし、もっと言えば愛している。毎晩気にかけて夢に見るほどだった」という人がいるかもしれませんので、今回は一旦冷凍して、おそらく半年ぐらい冷凍庫カーストの最下層に幽閉されていたブリの切り身を調理して頂いてみます。いざ。

冷凍されたマンモスの肉みたい

まずはカチコチに冷凍されたブリの身をジプロックから出して小分けを試みます。しかしカチコチすぎてびくともしないので、皿にのせてオーブンの「解凍」ボタンで解凍を試みます。しかし解凍モードは食材を損なわないようにゆっくり時間をかけて溶かしていくため待っておられず、最終的に普通にレンチンして解凍したところ、解凍を通り越して半分熱が入ったレア状態になってしまいました。

はっきり言って失敗です。しかし貴重なはずのブリの解凍を失敗した自分の脳裏に浮かんだのは、「まあ、冷凍だし」でした。

レンジでチンしすぎて、パサついた感じになったブリをフライパンで焼いていきます、塩麹漬けにしてあったようで、慎重に火加減を調整しないとすぐに表面だけが焦げます。

家にパスタ麺があったので、あえてカマスと同じようにペペロンの具として食べてみました。感想は「まずくはないけど、冷凍したからかパサッとしてるな」でした。

やはり新鮮な魚がいいなあ。あんな風に冷凍されたら終わりだよな。爪楊枝でシーシーやりながらそう思った自分は馬鹿です。なぜなら。

器用さはないが、味わい深い中年冷凍ブリ

なぜなら、その後余った冷凍ブリの切り身を「やれやれ、なんでこんなロートルの世話をしなければならんのだ」とめんどくさ感満載で弱火でとろとろ炙り、適当に皿に盛って、「酒でも飲まなきゃやってられねー」と昼からビールをあけてブリを口に放り込んでみたところ。

さきほどのパスタの具として扱われていたブリには見られなかった、滋味深い味わいを発見しました。解凍に失敗したのでジューシーさは相変わらずありません。しかし、なにかジビエの干し肉を食んでいるような味わい深さがあり、酒のアテとして秀逸です。半年間の冷凍期間を経たブリは、ジューシーさとひきかえに、じっくり時間をかけてつまみたくなるいぶし銀の食感を会得していました。

パスタの具になるといったチームで進める仕事は苦手だし、いろんな料理に対応する柔軟さも失われているけれど、単独または特定の料理でこそ能力を発揮するスペシャリスト。中年ブリの仕事術を見た思いでした。

自分で殺すか、他人が加工したものかの違い

今回、釣りたての魚と、冷凍した魚の両方を食べたわけですが、調理するうえでその扱いに心理上の違いを感じました。

釣りたての魚をその場で食べるのは、「さっきまで生きて泳いでいた魚を殺す・血抜きする・解体する」までがダイレクトなので、自然と扱いも丁寧になります。「命を頂くとは・・・」まで深くは考えないものの、食べ終わったあとに「ごちそうさまでした」と僧侶のような厳粛な顔つきで手を合わせてしまう程度には命を丁寧に扱います。

しかし、一旦冷凍した魚は、新鮮さとともにそのありがたみも急速に失われます。解凍に失敗しても、焦げても、「ま、いいか」ぐらいの雑さで扱うし、マズかったら簡単に残します。特に今回のブリは自分で釣った魚でもないし、〆たわけでもないので、命を頂いたという手触りもありません。さらに冷凍して半年ぐらい経っていることもあり、もはやスーパーで買ってきた加工肉ぐらいの心の距離があります。

人はたまには、ある程度の大きさの生き物をちゃんと自分の手で殺して食べてみると良いのではないかしらん、と思いました。


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