見出し画像

フェランテの悪戯~『ボルジアの裁き』より

 フェランテ・ダ・イゾラの生涯――とりわけ、その全ての記録の突然の途絶――は歴史を学ぶ多くの者達にとって興味を惹かれるテーマであろう。華々しい軍功と共に彼は史書に登場し、彗星のごとく輝きながらページを横切り、炎の尾を引くように功績を残し、そして登場した時と全く同じように突然掻き消えてしまったのである。

 その終焉の物語、そしてその結末へと導いた悪戯、それこそが筆者が以下に綴ろうとする物語である。このフェランテという男、彼の冗談が取り返しのつかぬ結果を呼ぶであろう事は早くから予測されていた。何故なら彼は実践を旨とするのがいささか甚だしく、そして何より、彼はジョヴァンニ・ボッカッチョ[註1] の笑話を愛しながらも、其処から得た教訓をわずかであれ心に留める事はなかったように思われるからだ。さもなければ彼はパンピネア[註2] の物語から示唆を得て、他者を笑い者にするような行為を自重していたかもしれない。そしてこの顛末におけるユーモアは余りにねじくれた苦い性質のものであり、彼自身の冗談がしばしばそうであったように、他の者達にはその代償として深い悲しみと苦悩が残されたのである。

 彼の部下達に思い起こせる限りの初めからそのような傾向はあったものの、フェランテがカサンドラ・デ・ジェネレッシによって酷く苦しめられて以来、彼のユーモアは痛烈さを増していた。


 フェランテのコンドッタ(傭兵部隊)はこの時、チェーザレ・ボルジアの軍を構成する師団の一部に組み入れられており、彼等はピオンビーノ攻めの為にチェーチナの谷を下った処だった。しかしフェランテはその包囲攻撃への参加を予定されてはおらず、公爵は彼の才覚を他の任務に生かす心積もりをしているようであった。カステルヌオーボに彼の軍がキャンプを張ったその当夜、チェーザレ・ボルジアはフェランテを己のテントに呼び寄せた。彼が参上した時、公爵は毛皮のガウンを着て野営用の簡易寝台の上に座り、地図を調べていた。そしてフェランテの挨拶が済むのも待たずに、チェーザレは早速に彼を召集した用件に入った。

「そなたはこの辺りの地理に詳しいか?」公爵は唐突にそう尋ねた。

 フェランテはそれについては若干の知識を持っていた。その上彼はシチリア人であり、そしてまた己の才覚を過度に謙遜する類の人間とは程遠かったがゆえに、このように即答した。「我が掌も同然に、我が君」

 チェーザレはわずかに眉を上げ、微笑した。「とはいえ、これを持っていても邪魔にはなるまい」そう言うと地図を差し出し、フェランテは従順にそれを受け取った。それから公爵は再度質問した。「そなた、レッジョ・ディ・モンテ制圧に必要な兵は如何程と見る?」

 現在フェランテは公爵の信頼を得て作戦会議への参加を許されていた。しかし彼は未だチェーザレから個人的に意見を求められるような名誉は受けてはいなかった。彼の内なる自負心は覚醒した。そして背筋を伸ばし眉を寄せて鬚のない顎を撫でつつ熟考するうちに、その自負心は急激に強まっていった。

「それはその兵の運用条件によりますが」彼は断定的な物言いを避けて返答した。

 チェーザレは苛立ったような身振りをした。「私がそのような事も知らぬとでも?」と彼は言った。

「急を要する、そして包囲攻撃に費やせる余裕はないと想定しよう。かの地を制圧可能なのは如何なる戦力か?」

 これは難問だった。フェランテはこれに対して申し分のない解決策を出せなければ、彼の意見は求める価値無しと公爵に判断されてしまうのではないかと次第に不安になってきた。

「何故、今なのでしょう?」自問するように彼は言い、「レッジョ・ディ・モンテは容易に制圧できるような場所ではありません。あれは鷲の巣のごとく丘の頂上に位置を占め、難攻不落を誇っております」と続けた後、一瞬言葉を切ってこのように結んだ。「力押しでは、策略よりも迅速にあの胡桃の殻を割る事はできないでしょう」

 チェーザレ・ボルジアは頷いた。「それが」と彼は言った。「そなたを呼んだ理由だ」

 フェランテは自尊心をくすぐられたが、それもわずかの事であった。フェランテが名を上げたのは兵法家としてであり、彼の用兵に関する構想力は歴戦の勇者達の常識を凌駕するものだった。策謀と計画立案の才能、そしてそれを実行するに際しての豪胆は正当に評価され広く賞賛を受けてきた――とはいえ、彼の自負につり合う程の熱烈な賞賛ではなかったが。

「この件は、」とチェーザレは言った。「そなたに任せよう。そなたが如何なる兵を必要とするかを聞いてからだが」

 フェランテの鼓動は速まった。作戦行動を指揮する、単なるコンドッタ(傭兵部隊)の一隊を率いるのではなく、一軍の指揮を執る――これは彼の栄達において真に大いなる一歩だった。彼は副知事となった己の姿を思い描いていた。彼は余人のように身に過ぎた評価に対する感謝や謙遜を差し挟む事なくその任務を引き受け、その問題の解決が己に任されたものと至極当然に受け止めた事を示して、ただ謹直に一礼した。

「私が必要とするのは――」(彼は考慮するようにひと呼吸おいた)「二千の兵です」

「千を連れて行くが良い」チェーザレは静かに言った。「私に出せるのはそれが上限だ。それで実行可能か?」

「それが上限と申されるならば、その兵力でやってみせましょう」と、不可能事を達成する己の力量への自信を誇示してフェランテは豪語した。

「実に結構」と公爵は言った。「そなたの騎馬隊はラミレスが指揮を執る。歩兵はデッラ・ヴォルペが率い、ファビオ・オルシーニがそなたの副官を務める。この人選で不足はないか?」

 不足はないかとは!その内二人――ディエゴ・ラミレスとタッデオ・デッラ・ヴォルペはチェーザレの軍中でも最も有名なコンドッティエーリ(傭兵部隊)だ。それが自分の指揮下に入るとは!彼の幸運は巨大な翼に乗って高々と舞い上がっていた。彼は副知事となった己を思い描いていなかっただろうか?それはあまりにも謙虚に過ぎた。彼はそのように認識し、今やロマーニャ知事となった己の姿を幻視していた。それでも彼は得意満面を自制して、生真面目に一礼するだけに留めた。

「若干の砲兵隊も必要です」と彼は言った。

「そなたの為に回せる砲はない――実を言えば、私自身のピオンビーノ攻めにも不十分な程なのだ」それが答えだった。

 フェランテは失望した。大砲の一台もない軍が何処にあるというのか?

 彼は公爵に「四台以下ならば、何とか都合がつかぬものでしょうか」と尋ねてみたが、その語尾には溜息が混じっていた。

「四台?たった四台の砲で何をするつもりだ?」チェーザレは反駁した。「そなたに四台の砲を与える事は、そなたを強くする事なく私自身を弱めるだけであろう」

「我が軍の武力を誇示する為に利用できます」フェランテは一番最初に思いついた理由――それは後に彼が再び思い起こす事になる理由であり、彼が展開する事になる計画のまさに核心――を口にした。とはいえ現時点においては、彼のそれに関する思いつきの全ては説明不十分かつ根拠薄弱なものであった。

 問題外、とチェーザレも判断するように思われたが、このコンドッティエーロ(傭兵隊長)の言葉が彼の課した任務の完遂を可能にする手段について何らかのアイデアを呼び起こしたかのように、公爵は素早くフェランテに視線を走らせた。

「よかろう」と彼は言った。「砲を持って行くが良い。日の出までにそなたの為の準備は全て完了しているだろう。それから出発せよ」

 フェランテは大いに満足し、一礼して退出した。しかしテントを辞して夏の星空の下に出ると、彼の満足と得意は急速に膨張を止めた。如何にして――それはどのようにして達成すればよいのだろうか?千人の兵を用いてそれを行う事について自信を持って話すのも、確信のあるように装うのも容易だった。公爵から百人の兵でやれと言われたとしても同じ事をしただろう――同じように容易に、と彼は今や厳然として思い返していた。これは正真正銘、栄光を掴む為の大きなチャンスであり、それと同時に更に大きな破滅へと続く分かれ道でもあった。千人の兵でレッジョ・ディ・モンテを攻略するというこの任務こそが、己の人生に割り当てられた最大の難敵であると感じた――そして彼は睡眠が何らかの助言をもたらしてくれる事に期待して床に就いた。


----------------------------------------------

[註1]:フィレンツェの詩人・作家(1313年 - 1375年)。代表作『デカメロン Decameron』。


[註2]:『デカメロン』の登場人物。


 彼は気落ちしたまま目覚めた。しかしテントを出てずらりと整列し自分を待ち受けている兵士達を見た時、彼の意気は高まった。それは彼の目には非常に堂々たる光景に映り、これまで我が腕に抱いた女達の誰一人として、今この武装した男達が自分に向けている程の熱情のこもった眼差しをしてはいなかった、とフェランテは感じた。

 向こうには彼自身のコンドッタ(傭兵部隊)――鋼に身を固めた騎馬部隊――の垂直に構えた四百本の槍がさながら森の木々のごとく屹立し、手前には頑強なロマーニャの歩兵が隊列を詰めていた。更に向こうには荷車と、輜重を載せた去勢牛の引く車。そして頭上には、モリオン(軍用兜)も胴鎧も槍の穂先も全てをまばゆく輝かせている朝の太陽があった。

 キャンプのざわめきの中から新たにフェランテの士官となった者達が着任の挨拶に進み出てきた。まずはスペイン人のラミレス、長身でハンサムな彼は手綱を手にして軍馬を導きながらやってきた。その後ろを身を揺すりつつ歩いてきたのは屈強なタッデオ・デッラ・ヴォルペ――フォルリで片方の目を失いながらも、これで目にするものに感じる恐れも半分になったと豪語する歴戦の勇者である。そして最後は若々しいファビオ・オルシーニ、カラフルなタイツを身につけた派手やかな男であったが、その洒落者の見かけの下には剛勇が隠されていた。仮にその大抜擢に対して嫉妬を感じていたとしても、フェランテの命令を受ける為に其処に立つ彼等はそのような感情を一切顔には出さず、非常に好意的であった。

 彼が出発の号令をかけるとラミレスは騎馬して進軍を始め、その後にデッラ・ヴォルペが徒歩で続き、後尾には砲と輜重車が引かれていった。オルシーニに付き添われて二名の従騎士の乗る馬に背を守られたフェランテは隊列のやや後方で騎馬していた。

 この号令で彼等は昨日までの行程を引き返して起伏の多い土地の最初の丘に登ると、その頂上から西向きの行進を再開しようとする本隊をかえりみた。そして彼は丘を下ると己が専念しなければならぬ任務に思考を戻した。

 程なくして手綱を引き軍馬を速常歩にさせると彼はチェーザレから与えられた地図を取り出し、其処からインスピレーションを得ようとつぶさに調べた。これにより決定された問題はひとつ――如何にしてレッジョ・ディ・モンテに接近するかであった。谷から上る本道が川に沿っている為に、フェランテ隊の姿は彼等から発見され、彼等の強み――あるいはむしろ弱み――であるレッジョの高みから観察されるだろう。それを避けて密かに近付く為に、フェランテは最終的に――正午を過ぎた時刻に――配下の兵に対して南の丘から回り込むルートを指示した。その結果、彼等は黄昏時にはその雄大な丘をレッジョの見張りからの遮蔽物としてモンテ・クアノの斜面に休む事となった

 其処に彼等は士官用のテントを張り、兵達は夏空の下でビバークした。その夜フェランテは独りで丘を登り、頂から谷の狭い間隙の向こう側を眺めると対面する丘上、矢頃(約300メートル)の距離にあるレッジョの明かりを目視した。その時彼は初めてその町を見た。彼は来た、そして彼は見た。だが彼は未だ勝つ為の方策を思いついてはいなかった。道は我が前に開かれるだろうか?彼は考える為に座ったが、レッジョの明かりが余りに近く感じられた為か、間隙の向こう側に橋を架けられればこの難問は容易に解決するであろうに、などという埒もない思いにかられてしまった。

 この教皇領レッジョ・ディ・モンテは、前教皇インノケンティウスⅧ世によってプロスペロ・グワンチャ伯爵に非合法に売り渡され、伯爵の死により当地を相続したのが弟のサン・アポロニア助祭枢機卿ジローラモなのだが、この現領有者は公然と教皇の権威に反抗しているのであった。聖職者としての枢機卿伯爵は教皇アレクサンデルⅥ世の主権を認めざるを得ないが、一方僭主としての彼は――レッジョ・ディ・モンテに関する限りは――世俗的な大君主を認める事を拒否した。ジローラモはこの不服従の危険を認識していない訳ではなかった。彼は狡猾で先見の明ある日和見主義者であり、危険の正確な度合いを知る為にローマで腕利きの密偵達を雇っていたのである。

 これまでの処、チェーザレ・ボルジアはアペニン山脈の向こう側のロマーニャ征服に専念しており、レッジョ・ディ・モンテのような比較的重要度の低い果実を収穫する為に寄り道をする時間はなかった。枢機卿伯爵はいずれ自分自身が標的とされ、己が領地を差し出す事を強いられるであろうと良く承知していた。だが、幸運が彼の味方をする可能性もあった。そしてまた枢機卿伯爵には敵が彼の門に至るまでの間、トスカーナの僻地で日和見を決め込む事も可能だった。かの教皇の息子がトスカーナに至りピオンビーノを行軍中という報がもたらされた時、ジローラモは恐怖に身震いし、そしてチェーザレが彼を砦から排除する為に寄り道をするであろうかと懸念した。とはいえ、その時チェーザレがフランス軍のナポリ侵攻作戦に合流する為にローマへと急いでいるのを知っていた彼は差し迫った危険を考えてはいなかった。このナポリ攻めは枢機卿伯爵の思量にとっては楽観要素だった。これにより大きく様相が変わり、仮にフランスが敗北しようものならば教皇の勢力は大きく削がれレッジョであれ他の北の僭主国であれ、これ以上ボルジアの野心に脅かされる可能性はほぼなくなるだろう。このゆるぎない確信という基盤の上に枢機卿伯爵は己の希望を築いて、それまでの間は如何なる苛烈な攻撃にも耐え忍んでやると決意した。この見通しに従って、彼は必要な備えをしていた。包囲攻撃に抗する為に充分な物資を備蓄し、守備隊の人員は少ないながらも頑強な外壁と近付き難い岩山の高所に位置するというレッジョの地の利を頼る事ができた。

ここから先は

22,395字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?