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Ⅲ フェランテの悪戯


 フェランテ・ダ・イゾラの生涯――とりわけ、彼の活躍にかかわる記録全ての唐突な停止――は、歴史を学ぶ多くの者にとって興味を惹かれるテーマであろう。彼は華々しい軍功と共に史書に登場し、彗星のごとく輝きながらページを横断し、炎の尾を引くように功績を残し、そして登場した時と全く同じように、突如として掻き消えてしまったのである。

 その終焉の物語、そして、その結末へと導いた悪戯あくぎ、それこそが筆者が以下に綴ろうとする物語である。このフェランテという男、その冗談好きが遠からず彼を破滅へと導くであろうことは、早くから予測されていた。その理由とは、彼が冗談の実践を愛すること甚だしく、また、ジョヴァンニ・ボッカッチョ【註1】の笑話を愛しながらも、其処から得た教訓をわずかであれ心に留めることはなかったように思われるからだ。さもなくば、彼はパンピネア【註2】の忠告に従って、他者を笑い者にするような行為を謹んでいたであろう。そしてまた生憎なことに、彼の洒落っ気というのは概してねじくれた苦い性質のもので、彼の笑いが他者の嘆きと辛苦によって贖われることも珍しくなかったのだ。

 フェランテについて回顧した人々が記憶する限りの初めから前述のような傾向は見られたが、とはいえ彼のユーモアが痛烈さを増していったのは、カサンドラ・デ・ジェネレッシの仕業により彼自身が酷い苦しみを味わわされて以降のことなのであった。

 さて、この時、フェランテの傭兵部隊コンドッタはチェーザレ・ボルジアの軍を構成する師団の一部に組み入れられ、ピオンビーノ攻めのためにチェーチナの谷を下った処だった。しかしフェランテは、その包囲攻撃への参加を予定されてはおらず、公爵は彼の才覚を他の任務に生かそうと企図していたようであった。カステルヌオーボで――彼らが其処に陣を張った夜――チェーザレ・ボルジアは彼を己の天幕に呼び寄せた。彼が参上した時、公爵は毛皮の長衣を着て野営用の簡易寝台の上に座り、地図を調べていた。そしてフェランテの挨拶が済むのも待たず、チェーザレは早速に彼を呼びつけた用件に入った。

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28,235字

英国の作家ラファエル・サバチニによるチェーザレ・ボルジアを狂言回しにした短篇集"The Justice of the Duke"(1912…

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