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Ⅱ フェランテの試罪


 チェーザレ・ボルジアの軍中に若いシチリア人士官がいた。その名はフェランテ・ダ・イゾラ、その軍事的才能と作戦会議で示した知力、そして用兵術における狡猾さによって、彼は急速に公爵の最も信頼する傭兵隊長のひとりとなった。

 フェランテはイゾラ【註1】貴族の庶子だった。しかし父の数多い嫡出子を考慮すれば、生まれ故郷のシチリア島で己の大いなる野心を遂げる可能性は極めて少ないと考えた。彼の持ち物は若さと勇気、活動的な長身と端正な顔、回転の速い頭脳と陽気で機知に富んだ精神、これが全てだった。このような商品に高値がつけられる市場を求めて、彼は故郷を飛び出した。彼がローマに着いたのは、聖年である1500年の秋、折しもチェーザレ・ボルジアがロマーニャに対する二度目の出征準備を行っていた時期であった。彼はうってつけの雇用先を見つけたのである。その戦いの中でとんとん拍子に出世していき、勇猛さと手際のよさで常に際立った活躍を見せていた。そしてついに、ファエンツァ包囲攻撃でティベルティが被弾し死亡した際に、ティベルティ隊の指揮権がフェランテに与えられた。かようにして、チェーザレの軍に加わってから半年ほどで、彼は自身の騎馬部隊を率いる一人前の傭兵隊長となりおおせ、公爵の作戦会議への参加を認められて、主君あるじからの信頼と幾許いくばくかの友情にも恵まれる身となったのである。

 これほど短期間に、かくも多くを成し遂げたとは、なんとも幸先の良いことだ。フェランテは自分が天から大きな使命を授けられていると感じ、そしてこの確信により、彼は恋という贅沢を己に許した。

 それは翌年の夏、チェーザレの軍がボローニャから帰還する行軍――征服した州に守備隊を置いたために数を減じた軍勢は、ピオンビーノへの派兵により更に少なくなるだろう――の途中でのことだった。チェーザレ・ボルジアはロザーノ市で歩みを止めて休息し、トスカーナを通過するためにフィレンツェ市長の裁可を待ちながら、ファエンツァが陥落したにもかかわらず未だ頑強に抵抗しているサン・チャスクーノを制圧する妙手について考えていた。

 このサン・チャスクーノは、ヴァレンティーノ公爵の指に刺さった小さな棘のようなものだった。力で対抗する道を選び、二週か三週を包囲攻撃に費やせば、結局の処は容易に落とせる程度のものではあるのだが。しかし彼には他にも重要な問題があった。教皇がローマへの帰還をしきりとうながしており、フランス王はナポリ遠征に彼の援軍を必要としていた。ここで寄り道をして、あの頑強な丘陵の民との戦闘に一ヶ月あまりを費やしていられる状況ではないのだ。そしてまた、ピオンビーノに全力をもって当たらねばならぬ彼としては、この戦闘に兵力を割く余裕などない。

 したがって彼に取り得る選択肢は、この任務のためにロマーニャに残してきた兵の一部を派遣することだけのはずだが、これは熟慮と慎重な計画を要する問題である。知略を用いて目的を果たすのが――これまでそうしてきたように――最も効率が良く、その機会さえあるならば、戦わずして切り抜ける道を選択するつもりだった。其処で公爵はロザーノ市で待機する間に策をめぐらせていたのだが、同じ頃、我らが勇敢なる若きフェランテは、高貴かつ有力なジェネレッシ家のひとり娘、カサンドラ嬢に情熱的な憧れの眼差しを向けていたのであった。

 フェランテが初めて彼女の姿を目にしたのは、彼がマザッチオ【註2】の筆になるフレスコ画を見るためにおもむいていたアヌンツィアータ教会でのことだった。後世にその作は残されていないが、彼にはちょっとした芸術趣味があり、絵画を学んだこともあったのだ。しかしながら、この時の若き傭兵隊長の目には、マザッチオによって描かれたメシアの受胎を告げられるマドンナの姿は、ジェネレッシ家のマドンナ・カサンドラのために霞んで見えたに違いない。

 もしも貴方が日没に教会から出て来た彼に尋ねたならば、彼はお目当てであった画中のマドンナについてはヴェールの色程度しか説明できぬ一方、偶々たまたま目にして、たっぷり一時間は眼福にあずかった生身のマドンナについては、その目鼻立ち、その色合い、その姿態、その衣装の細部までをも、うんざりするほど克明な描写によって滔々と語り続けたことだろう。そして話しながら次第に熱狂し、どんな不調法者をも詩人に変貌させる恋の恍惚に陥ってしまったに相違ない。

 だが、そのような心配はご無用。何故なら彼の目前で、付き添い役の年配の女性と共にかの貴婦人が歩み出て来たために、貴方はフェランテの長々しい妄言から解放されて、代わりに彼女の姿をじっくりと眺めることになるであろうから。

 彼女の歩みにつられるように、フェランテは前に進み出た。お目当てだったはずのマドンナは、もはや用済みだった。これほどまでに素晴らしい自然の宝が目の前に出現した今となっては、彼の脳内にマザッチオとその芸術の宝が占める余地などなかったのである。

 機転をきかせ、聖水盤に先回りして指を浸したフェランテは、彼女を振り返ると、礼儀正しく自分の指からしたたる清めの水を差し出した。彼女はそれを寛大にも受け入れると、上目遣いにちらりと彼を見てから目を伏せた。フェランテが後日語った処によれば、その眼差しのせいで彼は目が眩んだのだという。彼は斑岩はんがん製の聖水盤に寄りかかり身を支えたのだが、それがマドンナの付き添い役の老侍女が盤に近づく妨げとなっているのには気がつかなかった。とうとう清めを諦めた侍女は、自分の敬虔な志を邪魔する長身の若き傭兵隊長をひと睨みすると、女主人の後を追って立ち去った。

 フェランテは、しばし惚けた様子で其処に寄りかかっていた。深まりつつある夕闇の中で二人の女性が小広場を横切って行く間、彼はその姿を目で追い続けた。しかし見ていたのは二人の姿ではなかった。彼が見ていたものは、金のネットにまとめた艶やかで豊かな黒髪に縁取られている、時代のついた象牙のような色をした小さな楕円形の顔であった。柘榴の花のような深赤の唇、アドリア海のように青い瞳――ただ一瞬、視線を投げかけられただけで、その瞳は彼の記憶の中で永遠に燃えさかっていた。

 ようやく彼は身動きした。彼女が広場の反対側に着き、其処から続く狭い小路の暗がりに消えていこうとした時になって、やっと身体が動いたのであった。彼は教会の広い階段を下りて彼女の後を追いかけた。このような夜に、年配の侍女ひとりだけを付き添いにして、うら若い乙女が出歩くべきではない。町は兵士で溢れていた――大柄で攻撃的なスイス人、短気なガスコーニュ人、血の気の多いスペイン人、お調子者のイタリア人。公爵の鉄の規律があってさえ、夜のとばりが落ちようとする時刻に、若い娘が大胆にも外を出歩くという世間知らずゆえの無謀は、由々しい結果を免れぬかもしれない。マドンナが歩み進むにつれ、彼女に加えられるかもしれぬ狼藉を想像して寒気を覚え、フェランテは歩調を速めた。彼は瞬く間にマドンナたちに追いついたが、しかし一歩遅かったようだ。

 そのうち二名は自分の傭兵部隊の兵士であると見分けられた四人の男たちが、ふらつきながら互いに腕を組み、かの婦人たちを通さぬように立ちはだかっている。狼狽した老女は立ちすくみ、女主人の腕にしがみついた。その兵士らは冗談――粗野で辛辣な、軍隊流の冗談――を飛ばすと、突然、婦人たちに襲い掛かった。

 時を同じくして、素早い足音と拍車の響きが老侍女の背後に聞こえ、婦人たちは挟撃を受けたかのように恐怖ですくみ上った。すると突然、きびきびとした声で静止せよとの命令が響き、その声に従った兵士たちは従順に脇に寄り、道を開けた。

 視線を上げた老侍女は、あの聖水盤の処で邪魔をされた長身の若き傭兵隊長が、自分の側に立っているのに気付いた。その姿を見、その登場と命令の効果とを目撃した老女の顔には、安堵に続いて熱心過ぎる介入を怪しむ表情が広がった。

 フェランテは――脱帽し、非の打ち所がない宮廷人のように優雅なお辞儀をしながら――貴婦人に語りかけた。「マドンナ、どうかお通りください。されど、私が貴女のお背中を追うことをお許しください。ロザーノは好ましからざる兵で満ちております。それゆえに、私の護衛は無駄にならぬやもしれません」

 その申し出に――女主人に先んじるかのように素速く――応じたのは老侍女であり、貴婦人の声を聞くことを熱望していたフェランテは苛立った。

「ありがとうございます」侍女は言った。「それほど遠くではありませんので。マドンナのお兄様方も感謝なさることでしょう」

「礼など無用」彼は素っ気なく答えた。それから、殊更に愛想よく言い添えた。「むしろ私がマドンナに感謝するべきでありましょう。私を護衛役に使っていただけるという名誉に対して」

 マドンナはそれに言葉を返そうとする素振りを見せたが、しかしこの軍人の甘ったるい物言いに警戒心を強めた侍女が、またもや彼女に先んじた。フェランテはその鬱憤を四人の兵士にぶつけた。彼らは隊長の行動について老侍女と同じように勘繰り、にやにやしながらその場に立っていた。

「貴様ら、憲兵隊の世話になりたくなかったら、」彼は続けて言った。「公爵閣下のご命令をゆめゆめ忘れることなく、全ての住民と財産を尊重するのだ」

 叱責を受けた兵士らは無言で気をつけの姿勢になった。しかし彼らの脇を通り過ぎ、小路を先に進み出して十二歩も行かぬうちに、彼は背後で押し殺した笑いを聞きつけた。その兵士のひとりは彼の声音を真似してこう言っていた。「我らは住民と財産を尊重するのだ、ゆめゆめ忘れることなかれ!」

「それから」と別の兵士が言った。「その住民が隊長の財産なのか、それとも財産にする予定なのか――バッカスの名において!――我らは聖フランチェスコの小さき兄弟【註3】の流儀に倣って見ないふりをするのだぞ!」

 フェランテは怒気を込めて睨みつけ、一瞬、この生意気な道化者を殴りつけるために引き返そうとした。しかし、ふと横にいる老侍女に目をやると、彼女が恐れと嫌悪の入り混じった表情で自分を凝視しているのに気づいて、益々怒りをかきたてられた。

「下種な勘繰りをする、ごろつきどもめ」そう言ってから彼女に向かって屈み込み、肩越しに親指をぐいと動かして兵士たちを示しながら更に続けた。「侍女はしため並みの邪推好きだ」

 老侍女はむっとしてあごを引き、わずかに顔を紅潮させた。彼女が自制心により辛うじて怒りをこらえているのは明らかだ。侍女は辛辣かつ悪意を含んだ声で言った。「これ以上、貴方を煩わせる必要はないようですね。私たちだけでも危険はないでしょう」

「『私たちだけの方が安全』と言ってはどうですかな、それが貴女の本心ならば」彼は鋭く言い放ち、それから貴婦人に向かっては、がらりと調子を変えて「信じておりますよ、マドンナ」と語りかけた。「貴女はこの侍女どののように、埒もない疑心暗鬼になど陥ってはおられぬでしょう?」

 フェランテは未だマドンナの声を聞くことができず、彼に答えたのは、またも老侍女だった。

「私は、私たちだけでも危険はないでしょうと申しただけです。もしも私の言葉の中に意図せぬ意味が読み取れたというのなら、それは何かしら思い当たる節がおありだからではありませんか」

 彼女は尚も話そうとしたが、角を曲がって二人のがっしりしたスイス人が大股でやって来るのが視界に入った。彼らは威勢よく放歌高吟していたが、したたかに酔っているせいで、その歌は調子が外れていた。フェランテは彼らに目をやり、それから侍女へと視線を移動して内心でせせら笑った。侍女の顔には、はっきりと恐怖が表れていた――彼女の話を言葉通りに受け取ったフェランテが、二人を置き残して去ってしまうことに対する恐怖が。

「ご婦人」彼は言った。「貴女はスキュラとカリュブディス【註4】の間でもてあそばれる小船だ」それから身をかがめ、親しげに言い添えた。「どうかお任せあれ、良き案内役を務めますゆえ」そして彼はそれ以上の言葉は発さずに、騒々しいスイス人の脇を通って二人を先導した。

 かようにして気まずい沈黙を保ったまま、一行は町の大通りに位置する堂々たる大邸宅までたどり着いた。扉の上には、うずくまる二頭の獅子に支えられた大きな石造りの盾が刻まれていたが、薄暗い光のせいでフェランテにはその盾の紋章を見分けることはできなかった。

 婦人たちは既に足を止めており、彼は今こそマドンナの声を聞けるはずと確信していた。夕闇の中であまりにも白く、まるで幽霊のように見える小さな顔を彼は見つめた。遠くで少年が歌い、通りの先を拍車の金属音と重たげな足音を響かせながら二人の男が通り過ぎる。フェランテは、己の耳を喜ばせる楽の音をかき消さんとする騒音の主たちを呪った。だが、その苛立ちは意味のないものだった。それというのも、彼に言葉をかけたのは、またしても例の侍女であり、この瞬間において、フェランテはこれまでの人生で耳にした如何なる音よりも、この女の声を嫌悪していたからである。

 侍女はそっけなく謝意を表明してから、彼をお払い箱にした。フェランテは一介の従者のごとくに、下がってよろしいと門の前で申し渡されたのだ、それもマドンナの兄たちは彼に感謝するであろうと言っていた侍女の口からである。確かに、自分は礼など無用と表明し、その通りに扱われたに過ぎないが、しかし謙譲を額面通りに受け取るのは礼儀として如何いかがなものだろう?嗚呼、つれない態度とはいえまいか!確かに、かのマドンナは彼に微笑を投げかけ、優雅に会釈してくれたが、しかし言葉を渇望する者にとって微笑と会釈が何だというのか?

 彼は深々とお辞儀をし、そして婦人たちの姿が邸宅の洞窟を思わせる大きな正門の中に消えてしまうと、傷心し、腹を立てながら退散した。彼は丁度その時に通りがかった市民の肩を掴んだ。フェランテの引き締まった力強い手に対して、その市民の体は不摂生で虚弱なものであり、その魂は軟弱であった。いきなり肩を掴まれた男は金切り声を上げた。

「あれは何処の紋章だ?」フェランテは尋ねた。

「はぁ?紋章?」その市民はあえぎながら言った。「何の……ああ!あそこの?ジェネレッシ家の紋章ですよ」

 フェランテは礼を言うと、自分の宿舎がある区画へと歩み去った。

 そしてこれを境に、突如として彼は最も敬虔な信仰の人と化したかのようにふるまい始めたのである。フェランテは早朝ミサのためにアヌンツィアータ教会へと日参するようになったが、しかしながら、彼が礼拝に通ったのは魂の救済とは無関係だった。彼は毎日、カサンドラ・デ・ジェネレッシの姿を拝んで目の保養とするために出かけて行ったのである。今はもう、彼女の名前も突き止めていた。

 かようにして一週間が過ぎたが、そのわずかな日々の間に傭兵隊長の気質は大きく変化した。これまでの彼は軍人以外の何者でもなく、傭兵隊長コンドッティエーロかくあるべしという典型的な男であり、配下の兵に対しては、己が脳となり彼らはその手足となって忠実に行動するように統率を保っていた。それが今や、彼は単なる夢想家と化して己の隊を放任し、瞬く間に部下たちの統制を失った挙句に、フェランテ隊の兵士がボルジアの軍規に反する行動をとるようになって、ついには問題を耳にしたチェーザレから呼び出されて厳しく問いただされるまでになった。

 フェランテはたどたどしく言い訳し、碌に現状を把握しておらぬ嘆かわしい弁解を並べ立てた。当然ながら彼は叱責され、今回、彼の部下たちが起こしたような騒ぎの再発は許さぬと厳命された。公爵の御前から退出した時、彼は部下どもに思い知らせてくれようと腹を立てていたが、その思いはカサンドラ・デ・ジェネレッシの仄白ほのじろく美しい白日夢によって、あっさりと忘れられた。

 彼の恋わずらいは膏肓こうこうに入っていた。もはや我慢も限界だった。教会で毎日目にする彼女の姿は、餓死寸前の魂には何の滋養にもならぬどころか、飢えを募らせるだけだった。彼女と言葉を交わそうと何度も試みたにもかかわらず、ことごとく例の侍女に阻まれて絶望に追い込まれた末に、彼はとうとう、この要塞に己の旗を翻すためには砲弾を撃ち込まねばならぬとの決意に至った。この砲撃作戦を実行に移すために、彼は弾丸として手紙を――彼の膏肓に入った病の程度を如実に反映した、最高潮の激情を込めた文章を活用することにした。

『スアビッシマ・カサンドラ、マドンナ・ディレッティシマ(甘やかなるカサンドラ、最愛の女性よ)』彼はげんかついで鷲の翼から採った羽でペンを作り、彼女に宛てて以下のように書き出した。『貴女もお耳にしたことがありましょう、』そしてこのように続けたのである。『かの哀れなるプロメテウスの物語を。彼のこうむった、ジュピターの使いの鳥達に肝をついばまれる苦痛についてを。それは貴女の優しい御心を動かしたに相違ない、まことに哀れなる物語です。しかし貴女の優しい御心を動かすに相違ない、哀れなることにおいては遥かに勝る物語があるのです。私の痛ましさは、かのプロメテウスをどれほど凌駕することか。私の耐える苦しみは、かのプロメテウスをどれほど凌駕することか。心臓そのものを日々引き裂かれ、己自身の燃えるような憧れに食いちぎられ、むさぼり食われて、愛の足枷によって絶望の黒い岩に鎖で繋がれた私の!どうか我に慈悲を垂れたまえ、マドンナ・ミア(我がマドンナよ)。』もう少し理性を保っている時ならば自分でも嘲笑したであろう、この大仰な書きっぷりを更に上回る文章を彼は綿々と書き綴った。

 このとち狂った手紙は親展で急送され、彼女自身が確実に手にするようにと使いの者は邸宅の入口で待ち伏せをした。使いは命じられた通りにマドンナ本人に手渡した。にもかかわらず、手紙は未読のままに例の侍女、レオカディアに回されたのである。この侍女には読み書きの能力がなかったので、彼女はカサンドラの兄たちの許に手紙を運んだ上で自分が送り主と疑う者について話し、そのボルジアの傭兵隊長が、この一週間、如何に影のごとく令嬢の後ろをつけまわしているかを報告したのであった。

 話を聞いた長兄のチトーは眉をしかめた。彼は手紙を読むと、軽蔑と怒りの入り混じった笑声を上げ、弟のジローラモにそれを手渡した。ジローラモは罵りの言葉を吐いてから、レオカディアに妹を呼んで来るように命じた。

「このフェランテという男は何者なんだ?」侍女が使いに出て行くと、ジローラモは尋ねた。

 室内を行きつ戻りつしていたチトーは、しばし足を止めて馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「シチリアのイゾラの貴族が百姓女に生ませた私生児――財産もない、ごろつきの山師だ。おおかた、我が一族との縁組を栄達の手がかりにしようと、やっきになっているのだろう」

「むしろ縁組自体が目的なんじゃないか」とジローラモは椅子に腰を下ろしながら言った。「兄上は、こいつのことを随分よくご存知だ」

「それについては――奴はボルジア軍で多少は名が知られていてな、一隊の指揮を任された……」チトーは続けて、このように表現した。「……見栄えのする犬っころだ。そしてカサンドラの方はといえば、女で、なおかつ愚か者ときている」彼は冷笑を浮かべながら両手を広げた。ジローラモは渋面を作った。

 ジェネレッシ家の兄弟は共に浅黒く精悍な顔立ちであり、妹よりもかなり年長で、彼女に対する態度は兄というより父親に近かった。

 レオカディアに付き添われてやって来たカサンドラは、兄たちを見て、その瞳の輝きを幾分、不安に曇らせた。

 ジローラモは立ち上がると彼女に椅子を差し出し、カサンドラは兄に笑顔を向けて席に着いて、青いドレスの膝の上で所在なげに白い手を組んだ。

 彼女に語りかけたのはチトーだった。「さて、カサンドラ」彼は言った。「お前には恋人がいるようだな」

「こ……恋人?私に?」彼女は言った。「選んでくださったの?チトーお兄さまが?」彼女はどちらかと言えば甲高かんだかく彩りに欠けた声の持ち主であり、その話しぶりから読み取れるのは、知性のお粗末さ加減だけだった。

「私が選んでやったって?お馬鹿ちゃん?」チトーは彼女のアクセントをまねて鸚鵡オウム返しに言った。彼は妹に対してそれほど忍耐強くはなかった。「ねんねのふりはやめなさい、カサンドラ。この手紙を読んでみろ。これはお前宛だぞ」

 カサンドラはチトーから手紙を受け取り、眉をひそめた。もたもたと、大層苦労して、彼女は自分に熱を上げている軍人の悪筆を解読しようとした。とうとう彼女はジローラモに訴えた。

「お兄さま、これ、読んでくださらない?」彼女は懇願した。「私、読むのは得意じゃないの、それに、この字って――」

「まったく!寄越しなさい」チトーが冷笑を浮かべながら割り込んできた。そして手紙を取り返すと、声に出してそれを読み上げた。彼は朗読しながら妹に視線を向けたが、彼女は至極穏やかに彼を見つめ返した。

「プロメテウスさまって、どちらのかた?」彼女は尋ねた。

 チトーは妹の見当違いな質問にかっとなり、癇癪を起こして睨みつけた。「分を超えたことをしでかした愚か者だ、ここに書いてある通りにな」彼は手紙を軽く叩きながら答えた。「お前に訊いているのは、プロメテウスではなく、このフェランテとやらのことだ。この男はお前の何だ?」

「私の?あら、別に何でもなくてよ」

「とはいえ見知ってはいるのだな。奴と言葉を交わしたことはあるのか?」

 それに答えたのはレオカディアだった。「いいえ、旦那様。それは私が気を付けておりましたので」彼女はそう説明した。

「そうか!」とチトーが言い、「では、奴はお前たちに話しかけようとしたのだな?」

「毎日のことでございます――教会から出る際に」

 チトーは険しい目で彼女を見た。それから再び妹に視線を転じた。「この男は」彼は続けて言った。「お前の気を引こうと、やっきになっているようだな、カサンドラ」

 カサンドラはくすくす笑った。白い駝鳥の羽でこしらえた彼女の扇の中心には小さな鏡があしらわれていた。それで自分の姿をしげしげと眺める仕草は、まことに雄弁であった。

「お前はこのことを不思議には思っていないようだね?」ジローラモが口をはさんだ。冷笑的ではあるものの、彼が妹に話す態度は、長兄に比べれば優しいものだった。

 彼女は再びくすくすと笑い、鏡から兄たちへと視線を移した。「私、とっても器量良しだもの」確信を持って彼女は言い切った。「あの紳士は盲目ではないってことね」

 チトーは大声で容赦なく笑い飛ばした。彼は危険を察知したのである。虚栄心以外の感覚が欠落した、妹のような愚か者は――彼は血を分けた妹の評価に際して幻想を抱いていなかった――往々にして男の称賛に過敏であり、それに反応して愚行に走りかねないものだ。フェランテに対する彼女の見方は正しておかねばならぬ。

「愚かな」彼は軽蔑するように言った。「この冒険家が、お前の白い顔と無邪気な瞳に惹きつけられたとでも思ったのか?」

「他に何の理由があるというの?」彼女は眉をひそめて問うた。

「ジェネレッシの家名とお前の持参金だ。貧しい冒険家を惹きつけるようなものを、お前は他に持っているのか?」

 美しく愚かな顔に紅潮が広がった。「そうなのかしら?」彼女はジローラモの方を向いて尋ねた。「本当にそうなのかしら?」彼女の声はかすかに震えていた。

 ジローラモは大仰に肩をすくめた。「疑う余地なくね」と彼はうけあった。「我々には、まともな判断力がある」

 彼女の瞳は突然の涙によって輝きを増した。「ご忠告ありがとう、お兄さま」彼女は言った。そして兄たちは彼女の激怒を――傷つけられた虚栄心から湧き上がった怒りを見て取った。令嬢は立ち上がった。「この男がまた話しかけてきたら、なんて言い返せばいいかわかったわ」彼女は少し間をおいて、「この図々しい手紙に返事を書いた方がいいのかしら?」と兄たちに尋ねた。

「やめておくのだな」というのがチトーの答えであった。「無視が一番、お前の軽蔑を思い知らせるだろう。それに」彼は冷笑と共に付け加えた。「お前の字は奴のより読むのに難儀するだろうし、お前の真意が読み違えられる可能性がある」

 彼女は金布の靴に包まれた形の良い足を踏み鳴らして背を向けると、侍女に伴われ、腹を立てながら退出した。

 チトーはジローラモに目くばせし、腰を下ろした。

「兄上は賢明だった」ジローラモは言った。「それに巧い障壁をこしらえたものだ」

「ハッ!」チトーは言った。「女の虚栄心というのは、下らぬ道化者が手にすれば、どんな曲でも望みのままに奏でられる楽器だからな。だが、私はもっと有効な障壁――墓石という障壁――を積み上げてやるぞ。この身の程知らずの成り上がり者は、罰せられねばならん。図々しい――まったく図々しい!」彼は叫んだ。

 ジローラモは肩をすくめた。「もう充分だろう」彼は言った。「これで満足しておいた方がいい。これ以上やると、我々の方に危険が及びかねない。このイゾラのごろつきはチェーザレ・ボルジアに重用されているのだし。奴に危害を加えれば公爵に報復されるかもしれない」

「有り得るな」チトーはそう言い、己の切望を実現する手段の欠如を主な理由に、差し当たって、この問題を棚上げにした。

 しかし翌日、いまいましいボルジアの許へとご機嫌伺いにおもむいた際に、彼は控えの間で、とある問題が議論されているのを耳にした。その問題はフェランテに関係していた。人々はフェランテ隊長を襲った変化について話していたのである。それまで全軍で最も整然としていた彼の傭兵部隊コンドッタが規律を失っていることについて、その状態に公爵が大層立腹していることについて。チトーはこの議論から突然の天啓を得て、そのまま公爵に私的な謁見を求めに向かったのである。



訳註

【註1】: Isolaはイタリア語で「島」。この場合はシチリア島を指す。

【註2】: フィレンツェの画家(1401年 ― 1428年)。装飾的なゴシック様式が主流だった西洋画に透視図法や遠近法などの写実的画法を持ち込んだ。代表作はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の『聖三位一体』。

【註3】: アッシジの聖フランシスコ(1182年 ― 1226年)が1210年に創立した托鉢修道会。私的所有を認めず清貧を尊ぶ。

【註4】: ギリシア神話に登場する海の魔物。メッシーナ海峡に住むとされ、オデュッセウスの航海を阻んだ。

 チェーザレは秘書と共に、満開の花々が咲き乱れる庭をバルコニーから一望できる日当たりの良い快適な部屋で執務中だった。秘書のアガビト・ゲラルディは、チェーザレのフォルリ知事レミーロ・デ・ロルカ宛の書状を口述筆記していた。それはサン・チャスクーノ攻略に関する手紙であり、軽い足取りで部屋の中を歩きながら口述を終えたヴァレンティーノ公爵は微笑みを浮かべた。彼はようやく、この厄介な抵抗にけりをつける妙案を思いついたのである。

 ゲラルディは手紙を書き終えると、署名を入れるチェーザレのために席を立った。すると丁度その時、侍従がデ・ジェネレッシの私的謁見の要請を告げにやって来た。

 チェーザレはインクを浸したペンを手にしたまま動きを止め、目つきをけわしくした。

「ジェネレッシ、だと?」その声音には、歓迎とはほど遠い感情が表れていた。「通せ」

 彼は秘書に視線を向けた。「さて、何の用件であろうな、アガビト?あの男のボローニャ贔屓は有名だ。にもかかわらず、彼は私の政所をうろつきまわり、更に謁見を求めてきた。彼がベンティヴォーリオの間諜か、あるいはサン・チャスクーノにくみする者たちに通じていると判明しても、驚くにはあたらぬ」

 ゲラルディはゆっくりと唇をすぼめ、そしてゆっくりとかぶりを振った。「彼には厳重な監視をつけておりますが――それらしい挙動は見られません」

「そうか」チェーザレは明らかに納得しておらぬ様子で言った。

 それから扉が開き、侍従がチトー・デ・ジェネレッシを導き入れた。公爵は書状を引き寄せると、素速く、そして見事な飾り書きで「Cesare」と署名した。彼は傍らに立つゲラルディにそれを渡し、封をするように命じた。そうしてから、ようやく彼は、既に部屋の中央に進み出ていた人物にゆるりと視線を向けた。その訪問者は――ロザーノにおいては重要人物であったにもかかわらず――公爵の御意ぎょいを待ち従僕のように立っていた。

 チェーザレの美しい瞳が仔細な観察の意図を一切見せずに漫然と彼に向けられ、チェーザレの非常に穏やかで音楽的な声が、用件を話すよう彼にうながした。

「公爵閣下」チトーは告げた。「私は陳情に参りました」

「我々に対しての?」遠慮なく打ち明けるようにと求める口調でチェーザレは問うた。

「閣下の配下にある、特定の兵たちに対してです」

「ほう!」それは、急に興味を引かれたという調子だった。「お続けあれ、是非ともお話し願いたい。これは我々が把握しておかねばならぬ重要な問題だ」

 そしてチトーは、あらかじめ考えておいた、如何にも筋の通った説明を行った。彼の妹と侍女は、三度にわたって兵士たちから無礼をはたらかれた――かような無体がまかり通っているために、もはや彼女らは武装した従僕を護衛につけねば外出することもかなわぬと。

 話を聞き終えたチェーザレの目には怒りで火がついていた。「見せしめに懲らさねばならぬ」彼は言った。「その不埒な者どもを特定できるような詳細をご存知だろうか?」

「フェランテ・ダ・イゾラ殿の部隊に所属する兵士という以外、しかとは」

 公爵の声と眼差しの中に怒りはいや増した。「またもフェランテか!」彼は叫んだ。「流石にこれは看過できぬ」それから不意に、ナイフの切っ先のように鋭い声で「それがフェランテ隊の者であると、どのように特定なされたのだろうか?」と尋ねた。

 その質問はチトーを驚かせた。この愚か者は、チェーザレのような雲上人が「如何にして」「何故」などという瑣末事までをも自ら追求するとは想定していなかった。それは取るに足らぬことであり、異例のことであり、それがゆえに、不幸にもチトーは答を用意していなかった。突然、冷ややかで探るようなものになったチェーザレの視線を受けて、彼は間抜けた表情と間抜けたまばたきによって、その内心を露呈してしまった。

「何故――」考える時間を稼ごうと、彼は間延びした調子で、内心の混乱を誤魔化すために作り笑いを浮べながら語り始めた。「第一に、彼らは騎馬部隊の兵士であり、そして第二に……ええと……彼らの漏らした言葉から、そのように判断しました」

「なるほど!して、その発言とは――どのようなものであったのだろうか?」

「よろしいですかな、公爵」チトーは説明した。「私は我が妹とその侍女の申したことをお伝えに参ったのですが、生憎あいにくと、それほど厳密に彼女らを問いただす必要があるとは考えが至りませんでした」

 チェーザレは首肯した。「このイタリアにおいて正義が行われてきた習慣からすれば、そなたの言はもっともだ。しかし私の正義はそのようなものではない。そなたの見落としは速やかに補完する」彼はきびきびと続けた。「ふるいにかけて誤解の余地を取り除くとしよう。アガビト、チトー殿の妹御と侍女に、こちらにご足労願うとの使者を送れ」

 しかしアガビトが使いに出ようとした時、公爵は彼を呼び止めた。チトーの表情――瞬間的な動揺――が、チェーザレの必要としていた情報を全て証言していたのである。

「待て」そう言うと彼は再び椅子に背を預け、形の良い指先同士を合わせて、自嘲するかのような微笑を浮かべた。「つまる処、そのような必要はあるのだろうか?いや、いや、アガビトよ、チトー殿の証言の裏付けは可能やもしれぬ。フェランテ隊の者ならば、徽章によって婦人たちにも見分けられたであろうから」

「ああ、左様、左様」身を乗り出すようにしてチトーは叫んだ。「仰せの通り。その点について、うっかりと失念しておりました」

「無理もない」とチェーザレは言った。「あまりに瑣末なことゆえ。だが今は思い起こせるであろう。どのような意匠であったか、覚えておられるだろうか?」

 ここでチトーは眉を寄せ、ひげのないあごに手をやりながら、如何にも苦労して思い出そうとする素振りを見せた。「お待ちください、ええと」彼はぼそぼそとつぶやいた。「確かに、確かに、聞かされたはず。私は……」

「それは青と白ではなかったか?」穏やかにチェーザレは問うた。

 チトーはてのひらを握り拳でぴしゃりと打った。「青と白……青と白、無論です」彼は言った。「仰せの通り……確かに青と白でした。まったく、何故、失念していたのだろう?」

 アガビトはこみ上げてきた笑いを隠すために、机上の書類に向けて顔を伏せた――何故ならフェランテ隊の兵士たちは、そのような徽章など身に着けてはいなかったのだから。

「この件は捨て置けぬ」チェーザレはそう言うと、「即刻、フェランテに責任を問わねば。書き取れ、アガビト」と命じた。それから身を乗り出しつつ考えをめぐらせた。チトーは嘘をついている。その点に疑いの余地はない。しかしチトーの真の目的と動機は未だ明らかになってはいなかった。彼が陥れたいのはフェランテ個人なのだろうか?チェーザレは、その疑問に対する答えを突き止める方向に矛先を向けることにした。

「この一件を遺憾に思いますぞ、チトー殿」と、まことに丁重かつ慇懃な態度で彼は言った。「通常ならば、我が軍において、このような不祥事は起こり得ぬことです。兵たちは厳しい教練を受けておるゆえに。だが、フェランテめの最近のさまは――主よ!――一体、何を患ったのか!」

「不思議はありません、あのような者たちと交わっているのですから」チトーは釣られて、己の偽りの泥沼に更なる一歩を踏み入った。

「あのような者たちとは?」

 だがチトーは話題を引っ込めようとしている風に装った。「ああ……いやいや!軽率でございました。つい余計なことを申し上げて。どうか、お忘れください」

「チトー殿」ヴァレンティーノ公爵は極めて謹厳に告げた。「私を愚弄するおつもりか?この私に隠し立てをすると?」

「ですが閣下、ご寛恕かんじょを願います!我が心中の考えを申したならば……」彼は力なく手を振った。

「申したならば?」とチェーザレは眉をひそめつつ言った。「ならば申されよ、お願いする――これ以上の躊躇は勘弁願いたい。今朝は他にも多くの者が謁見を待っているのだ。さあ、お話しあれ!一体、フェランテ・ダ・イゾラがどのような者たちと交わりを持っていると、ほのめかしておられるのか?」

「ほのめかし?おお、閣下!」

「はっきりと申されよ――遠慮する必要はない。さあ、申されよ。一体、彼がどのような者たちと共にいたと、お耳にされたのか?」

「耳にした?私が単なる噂に基づいて告発をするとでも?いやいや、そのようなものではござらん。私はこの目で見たことについて、お話しをしているのです。一度ならず、城下町ボルゴの居酒屋で、私も見知っているボローニャの紳士数名と共にいる件の人物を目にしました。別段、やましい理由あってのことではないのかもしれませんが」

 チェーザレが彼を見る目は、今や非常に冷ややかになっていた。「つまりは、このようにほのめかしておられるのかな、フェランテ・ダ・イゾラは私に仇を成すために、我が敵と交わっていると」

「おお、公爵!どうかご勘弁を。私は何もほのめかしてはおりません。単に自分の見たものについてお話しをしたまで。それ以外は、ご自身で推論なさったことです。私がほのめかした訳ではありません」

「そなたは、必要があれば、この件について宣誓することができるか?」

「私の言葉をお疑いというのなら、それもやぶさかではありません」威厳を示さんとする衝動でチトーは応じた。

「偽誓するためにか?」チェーザレは穏やかに問うた。

「偽誓ですと?」突然に著しく尊大になった口調でチトーは叫んだ。

 チェーザレはしばし沈黙した。彼の指は黄褐色の顎鬚あごひげをもてあそび、かすかな微笑の影が唇を震わせた。それから彼は馬鹿にしたように肩をすくめると、相手を真っすぐに見据えた。

「チトー殿、そなたは信頼するに足らぬ」彼は言った。

 険悪な渋面がジェネレッシの額にしわを刻み、速まった血のめぐりにより浅黒い頬の下から紅潮がのぞいていた。彼は嘘をついており、それを自覚していたが、かように冷淡かつ穏やかに、その嘘を――しかも人前で――面責されるにあたって、その事実が怒りを和らげることはなかった。このイタリアには、今のような言葉を聞かされて、その場で公爵の喉に喰いつこうとする男はいくらでもいるだろう。だがしかし、ジェネレッシはそのような輩とは違っていた。

「公爵」彼は尊大に、かつ怒りを込めて声高に抗議した。「我が名がジェネレッシであるということを、お忘れか」

 チェーザレは、まばゆいばかりの白い歯を見せて微笑んだ。彼は深紫の上衣に包まれた、しなやかで優美な身を起こして立ち上がった。

「そなたは忘れているようだな、私の名がチェーザレ・ボルジアであることを」彼の目はチトーの視線をとらえ、逸らすことを許さなかった。「私は虚言者を嫌悪するのと同じだけの深さで、率直で忠実な精神を愛する。そして、そのような率直で忠実な精神の持ち主がフェランテ・ダ・イゾラだ」

「何をおっしゃりたいのですか、閣下」そう叫んだチトーの声は憤怒でかすれていた。

「皆まで言う必要があるか?」チェーザレは微笑んだ。

 ジェネレッシは声を詰まらせた。これ以上留まれば、己の魂が吐き出す燃えるような怒りのうねりが全ての自重を押し流してしまうだろうと思い、彼は深くこうべを垂れた――純粋な、本当の礼儀にしては、あまりにも深々と。

「退出のお許しをいただけましょうな」そう言って、彼は立ち去るために背を向けた。

「そなたが私から得られるものなど、それだけであろうな」公爵はそう告げると、身振りで彼を下がらせた。

 しかしジェネレッシが扉に至った時、チェーザレの声が彼を呼び止めた。

「待たれよ、チトー殿。そなたに対する私の扱いは、理不尽に過ぎるとお考えであろうな」公爵の眼差しは急激に険のあるものになったが、チトーはそれに気付かなかった。「あの男の背信について警告するために足を運んだ挙句、労に釣り合わぬ報いを得たとお考えであろう。ここは、そなたが偽りを述べていると断定するより先に、フェランテが潔白であることを確かめる方が、私の志す正義の道に適うであろう」

「直裁に申せば」と、チェーザレからは上辺だけのものと見透かされている慇懃な態度でチトーは答えた。「私もそのように思っておりました」

「だが、とくと考えてもみよ」公爵は悠然とした話しぶりで応じた。「そなたの妹御に対するフェランテの執心については私の耳にも届いているが、それと同時に、そなたと弟御が彼を卑しい生まれの成り上がり者とみなしていることや、彼の求婚はそなたの高位に対する侮辱であり、私が重用している士官の命の対価として重い代償を取り立てるやもしれぬという恐れさえなくば、そなたは彼の喉を切り裂くであろうということも聞き及んでいる。私がこのようなことを全て承知していると考えた上で、己自身に問うてみるがよい。その忠誠について何度も試されてきた男に対する証拠も裏付けもないそなたの告発を、どうして私が信じることができようかと」

 チトーは公爵の把握する情報の幅広さに驚愕して目をしばたたかせ、狼狽した――このチェーザレの認識は大部分が推論であり、極めて明敏な頭脳によって瞬時に到達したものであるとは思いもよらなかった。

 チェーザレの言葉に図星を指されたことを露呈してしまった混乱から、彼は素早く立ち直った。フェランテに対する自分の感情を否定するのは無益であるとチトーは理解した。だが、その事実を矮小化することはできるし、自分はあくまで純粋な忠誠心からチェーザレに警告したのだと主張することもできる――たとえ裏切者が実の弟であったとしても、私は警告に参りますと。

 そのような主張を前面に押し出したチトーの言にチェーザレは微笑みを浮かべ、その微笑はチトーの激怒の炎に油を注いだ。

「閣下は私の言葉が証拠に裏付けられておらぬと申されたが、このロザーノにおいて、ジェネレッシ家の人間の発言とは、それだけで全ての証拠に勝るとされているのですぞ」

「それについて否定はせぬ。だが、何故、今まで忠誠を示してきたフェランテに対する信頼を捨てて、そなたの主張を是とせねばならぬのか?」

「公爵、既にご忠告はいたしました」チトーは声を高めた。「もはや、私には申し上げるべきことはありません」

 公爵はしばし立ったまま思いをめぐらせ、窓からロザーノの赤い屋根の連なりを見つめていた。それから再び、彼はチトーに向き直った。

「そなたに対する疑いが正当なものと証するために」と彼は言った。「私はフェランテを試そう。もし彼が私の信頼を裏切ったならば、私は己の不信をそなたに詫びよう。だが、もし彼が試罪を通して潔白を証明すれば、憂き目を見るのはそなたの方だ。この賭けを受けるか?」

 己が行った告発の完全なる虚偽を知り、己が中傷した男の忠誠を知るジェネレッシは、その問いに震え上がった。しかし彼にはもはや、自らの発言を撤回することなどできなかった。

「受けましょうぞ」彼はそう答えた。その返答は見せ掛けの熱意で装われていた。この後に何が起ころうとも、今は本心からの発言に見せねばならないのだ。

 チェーザレはしばし沈黙し、熟考の末に、机まで戻ると封印を押されたばかりの封書を――アガビトがレミーロ・デ・ロルカ宛てに作成した書簡を手にした。

「イーモラには」と彼は語った。「サン・チャスクーノへの攻撃命令を待って、レミーロ・デ・ロルカが二千名の兵と共に宿営している。その命令を記してあるのが、この手紙だ。フェランテは、カゼルタとサン・チャスクーノ守備隊が命令書の内容を知るためならば大金を払うであろうと承知している。この手紙は今晩、フェランテに運ばせよう。それが試罪となるはずだ」

「しかし、閣下」狡猾な思惑からチトーは懸念の声を上げた。「もしも彼が裏切るようなことがあれば!閣下はご自身の被る損害について、お考えの上なのですか?」

「代償は承知の上だ」それがチェーザレの答えであり、彼の表情は計り難いものだった。「その代償を覚悟するからこそ、私は彼を試す己自身を許すことができるのだ」そして、その言葉をもってジェネレッシは退出を許された。

 チトー・ジェネレッシは様々な感情の入り混じった状態で帰路についた。公爵の謁見を求めた時に意図していたものをはるかに上回る事態が、信じ難い経緯で進行してしまった。彼は驚くべき偶然と状況とに巻き込まれ、夢にも思わぬ成り行きに身を委ねることになったと感じていた。そしてまた、彼は由々しい不安に囚われてもいた。――フェランテがこの試罪で堂々と身の証を立てた場合、チェーザレの自分に対する処置は如何なるものになるであろうか、という不安である。フェランテは必ずや証を立てるはずだ。チトーには、あの男の主君あるじに対する忠誠を疑うような理由はなかった。フェランテの行動によってチトーの告発が虚偽であると証明された場合、公爵は何らかの報復を行うことをほのめかしていた。こちらも座して待ってはいられない。何らかの対策を講じ、どうにかしてフェランテの運ぶ手紙が正しい宛先に届かぬよう算段しなければならない。後は具体的な手段を考えて計画を決定するのみだ。かようにして、そしてまたもや純然たる自己防衛のために、この件を最後までやり通さねばならぬ状況に追い込まれてしまった。そのためにチトー・ジェネレッシは、チェーザレ・ボルジアに対する能動的な裏切り者となるよう性急に決意したのである。フェランテは必ずや失敗しなければならず、チェーザレ・ボルジアはチトー・ジェネレッシに向かって「そなたは信頼に足らぬ」と言った代償を必ずや支払わねばならないのだ。

 チトーは弟に助言を求めた。兄が如何なる成り行きでのっぴきならぬ立場に陥ったかを聞くと、ジローラモは深刻な表情になり、次に遠慮会釈なく厳しい非難をした。チトーは自制を失った。

「やってしまったことは、やってしまったことだ」彼は非常に不機嫌な調子で弟の言をさえぎった。「そしてやるべきことは、やるべきことだ。我々は熟慮の上で巧く切り抜けねばならん」

「なるほど!」ジローラモは言った。「それで、やるべきことはなんだ?」

 不意の問いに対して反射的に答えたチトーは、単に弟の問いに対してのみならず、自らの困惑に対しても答えることになった。

「その手紙の内容を」と彼は言った。「サン・チャスクーノの守備隊に知らせるのだ。ヴァレンティーノ公の計画は頓挫し、それによって公爵はフェランテが裏切り者であると確信するだろう」

 彼を見るジローラモの唇はすぼめられており、その目には不安があった。

「そう」彼はゆっくりと言った。「無論、兄上としては、そうしたいだろうが。気違い沙汰と言ってよいほど無謀だよ。幸いにも、おおよそ不可能でもあるが」

「お前がそれを言うのか?ふん!」怒りで鼻息を荒くしたチトーは、この朝、己の忍耐力は重過ぎる荷を課されていると思った。「不可能だと?」そして彼が弟に目をやった瞬間、己の激怒に急き立てられたかのように妙案が浮かんだ。彼の怒りは一瞬にして鎮まった。彼の目は己の妙案に対する驚きで見開かれた。満面の笑みが彼の薄い唇をゆがめた。

「不可能だと?」そう繰り返す様子は、ジローラモにも兄が難問の答えを得たことを察せられるものだった。しかしチトーはまだ弟に種を明かさなかった。彼はカサンドラを呼びつけた。

「カサンドラに何の関係があるんだ?」ジローラモは尋ねた。

「全てだ」と、自信満々にチトーは答えた。

 カサンドラがやって来ると、チトーは彼女に机と椅子を用意して手振りで招き、その眼前にインクとペンと紙を置いた。

「手紙を書くのだ、カサンドラ。お前の素敵な恋人に――あのフェランテ・ダ・イゾラにな」彼はそう言った。

 長兄に視線を返した彼女の大きな瞳に宿る驚きは、美しく空疎な顔に、その一瞬だけ輝きを与えた。

「あの手紙に心を動かされたと告白するのだ――お前の魂が揺さぶられたと。ああ――お前も魂くらい持ち合わせているだろうね、カサンドラ?」冷笑を保ったまま彼は問うた。彼女の愚かさは常に苛立ちの元であり、その完全無欠な美しさを思うと彼の苛立ちは殊更に激しくなった。

「フラ・ジョルジョはそう教えてくださったわ」と、兄の巧妙な皮肉には全く気付かぬ様子で彼女は答えた。

「フラ・ジョルジョは愚か者だ」彼は言った。

「チトーお兄さま、そんなことを言ってはいけないわ」彼女はたしなめた。「司祭を侮辱するのは罪深いことだって、フラ・ジョルジョが」

「笑いものにされるような覚えがあるから、自分に対する侮辱は罪深いなどと言うのだよ。だが、我々の相手はフェランテだ」

「わかったわ、チトーお兄さま」彼女は言った。

「こう書くのだ、よいか、彼の情熱的な手紙……そして……そして、彼の心臓が……プロメテウスの肝臓と同じ悲劇にみまわれているという思いに心を動かされて、お前は彼について、もっと多くを知りたいと切望したのだと」

「まあ、でも私、そんな風に思わないわ。あの人、あんまり背が高すぎて、痩せていて、格好が悪いわ。それにお髭もないし。私、顎鬚あごひげが好きなの」

「ええい!」苛立ったチトーは彼女の言葉をさえぎった。「こちらを見なさい。私が言う通りに手紙を書くんだ。お前の考えなど関係ない。こう書くんだ、我々――ジローラモと私――は不在だと、そして今日の日没、お前の許に来るように奴を誘うのだ。おっと――その際には庭の門を通って来るようにとな。その方がシチリアの犬にとっては、秘めやかでロマンチックな雰囲気を感じるに違いない。だろう、ジローラモ?」

 ジローラモは肩をすくめた。「私が兄上の計画を知らされていないことを忘れているよ」

「だが、後は想像がつくはずだ。奴はやって来るだろう、カサンドラ、疑いの余地なくな。そして、しばらくの間――おおよそ一時間という処か――お前は、奴が本物の恋人であるかのようにふるまうのだ。たわむれに奴に抱きしめられてやればいい、あそこの庭でな。それから――まぁ、残りについては後で教えよう。まずは手紙だ。さあ、カサンドラ。筆記用具はここにある」

 彼女はペンを手に取るとインクに浸し、それから紙の上にペン先を下ろした。

 これを手始めにして、一体、何が行われるのだろうという困惑により、彼女の繊細な眉は寄せられた。とうとう彼女はジローラモに尋ねた。彼女は常に次兄に質問する方を好んだ。ジローラモは彼女に答える際に、チトーほどには苛立ちを見せないからだ。

「どうして、こんなことをしなくちゃいけないの?」

「それはチトー兄さんでなければ、わからんよ」ジローラモは言った。「だがこれで、お前に色目を使って我が家を侮辱した成り上がり者を罰してやれるはずだ」

「どんな風にあの人を懲らしめるの?」好奇心で微笑みながら、詳細を求めて彼女は尋ねた。

「お前が今すべきは」チトーが割って入った。「まず手紙――手紙だ。さあ、書くんだ」

「書き出しはどうするの?」

 チトーは椅子に身を沈めると、不機嫌そうに手紙の内容を口述し、彼が次第に募らせる苛立ちと共に投げつける言葉をカサンドラは懸命に書き取った。そしておかしな綴りと、のたくるような筆跡で、彼女はようやく手紙を書き上げた。これを解読するのはフェランテにとってかなりの頭の体操になるであろう、というのが、そのひどい書きぶりの手紙をむっつりとした面持ちで確認し終えたチトーが口にした科白であった。彼は若い侍女に命じて手紙を傭兵隊長の宿舎がある区域に急送させ、それから計画の残りをジローラモに話し、カサンドラには計画の中で彼女に関係する部分のみを説明して、彼女がすべきことを慎重に指図した。

 ジローラモは計画の巧妙さを認めたものの、其処に含まれる不安要素を危ぶんで、如何にフェランテがカサンドラにのぼせ上がっていようと、このような任務を課せられて出立する直前にやって来るとは思えないと意見した。チトーは弟の色恋に対する考えをあざ笑った。

「おお、奴は来るさ。来るとも。案ずることはない」チトーはそう言った。「それに、奴にはこのささやかな背信行為について口外する勇気はないはずという事実が、必要以上にお前が気に病んでいる危険から我々を守ってくれるのだ」

 チトーの確信の正しさは、その夜に証明された。何故ならば、夕方のお告げの祈りを報せる鐘アンジェラスの音が聖堂ドゥオーモから街路に鳴り響いた時刻、ジェネレッシ家の大邸宅パラッツォの裏手に蹄の音が聞こえ、高い茶色の壁にある緑の扉の脇で止まったのである。

 兄弟はカサンドラと共に逢引場所に座っていた。すぐ近くには苔生こけむした古い噴水があり、その水はジローラモ――彼は美食家であった――が食用蛙と鰻を養殖させている小さな泉に注ぎ込んでいる。

 蹄の音に耳を凝らしていたチトーは、その音が止まると立ち上がり、弟の腕を掴んで共に館の中に隠れた。

 泉の側に置かれた石造りのベンチで独り待つカサンドラは、笑いをこらえていた。しかし然程さほども待たぬうちに、彼女は薄明の中を自分に向かって歩んで来る背の高い恋人の姿を目にしていた。彼は腿丈の長靴と短い外衣ジャーキンの間にのぞいている赤紫色のタイツ以外は、全身を灰色の革で装っており、兜と喉当てが頭上と首で銀のごとくほのかに光っている。彼の顔は日焼けの上からも感極まっているのがわかるほど蒼ざめ、カサンドラの横に片膝をついた時の目は、祈祷をささげる狂信者のそれであった。

「マドンナ」彼はささやいた。「貴女は我が心の荒涼を覆い尽くすほどの慈悲をお示しくださり、我が人生において夢に描いたことすらない幸福をお与えくださいました。私のつたない手紙にお返事をいただけるなど、叶うはずもない大それた願いと思っておりました。まして、貴女のお側近くに自らおもむき、私をさいなみ続ける猛烈なる恋慕を自らの言葉でお伝えするようにとお命じくださるなど、夢に見ることすら不遜と思っておりました」彼女は――今宵のイタリアで最も内気な乙女であるかのように――両手を合掌させ、目を伏せたまま座り、この狂人の戯言に耳をかたむけていた。やがて彼は語り終えたが、彼女は何の答えも返さなかった。何故かといえば、それは彼女が特に何も考えていなかったからという、大変もっともな理由ゆえであった。

「お赦しください、このような姿で――このような、むさ苦しい軍装で貴女の前に現れたことを。これは貴女に求愛し、跪いて真心を誓うのにふさわしい姿ではありません。しかし私は今夜、任務により旅に出なければならないのです。まこと、我が目が今一度、貴女の比類なき美しさを見ることを渇望していなければ、我が耳が貴女の甘やかなお声の奏でる旋律を聴くことを渇望していなければ――今頃はもう――我が主君あるじである公爵閣下のご命令に従って――ロザーノを離れていたことでしょう。我が義務と我が制約に免じて、この無作法をお赦しくださいますか?」

 彼は――戦場往来の傭兵隊長は――その場に跪いて、ほとんど怯えているかのように、この清らかな乙女を、地上における全ての善と美と気高さの化身を見上げていた。

 彼女はぼんやりと彼を見ていた――彼には眺めるだけの甲斐があった。黒髪で浅黒く、均整の取れた長身は若く壮健で、ひげのない整った顔には男性美があり、黒い瞳は素晴らしい輝きに満ちている。しかしチトーの薫陶よろしきを得ていた彼女は、今更、兄の教えを捨てて彼の美点を賞賛するようなことはなかった。それに、この男は生まれ卑しいごろつきに過ぎないではないか?ならば結局の処、この男が語る熱情は、彼女に対する侮辱に当たるのではないか?カサンドラは兄たちがそう話すのを聞いており、この美しく空っぽな愚か者は、万事、兄たちの言いなりなのであった。

「貴方は何も悪くないわ」彼女がそう言うと、フェランテは喜びで紅潮した。「それに義務の制約といっても――ほんの一時間なら、かまわないでしょう?」

 彼の顔は一瞬曇った。任務の重要性からすれば、私事に一時間を費やしたのが知れれば由々しい問題になるということを、彼女は理解していないのだ。

「ほんの一時間?」フェランテはゆっくりと繰り返し、それから高まる熱情を己が舌鋒に乗せた。「ああ、ほんの一時間ではないか?それが何だというのだ?天国の甘さも地獄の苦さも、全て一時間に凝縮されるだろう。この一時間が人生の全てならば、私はそれを最愛の人と費やそう。私の人生は一時間に過ぎない――残りはこの一時間の人生のプロローグとエピローグに過ぎないのだ」

「まぁ、貴方」そう言って彼女は目を伏せ、その完璧な頬を睫毛まつげが飾った。そしてまた繰り返した。「まぁ、貴方!」

 単なる愚か者。読者諸賢が実際に彼女を目にし、その空虚な作り笑いを耳にしていれば、必ずやそう断じておられたであろう。しかしながら、この傭兵隊長は――恋の病で盲目と化しており――恍惚状態に陥ってしまった。

「我が名はフェランテ」彼はささやいた。「貴女は……貴女は私の名を呼んでくださいますか、カサンドラ?」

 彼女は彼をちらりと見て、それから再び目を伏せた。「フェランテ!」彼女はそうささやき、己の名にこのような旋律が秘められていたなど夢にも思ったことのない傭兵隊長は、すっかりのぼせ上がってしまった。彼はおののき、ためらいながら己の手を伸ばし、彼女の手を取ろうとした。それは従順に彼の手にゆだねられ、おとなしく握られるままであった。

「これをお与えくださいますか、優しき天使よ?」フェランテは彼女に哀願した。

「貴方に何を与えろとおっしゃるの?」彼女は問うた。

「この手を――この小さき御手みてを」

「なぜ――なんのために?貴方はご自分の、立派な二つの手をお持ちではありませんの?」

「素敵な機知だ」恍惚状態の男は叫んだ。「お慈悲を垂れたまえ、麗しの乙女よ!」

 彼女は笑った。その間の抜けた甲高かんだかい笑声は、彼女の比類なき美しさに目を奪われ夢心地になっている彼の耳には銀鈴の響きのように聞こえた。フェランテの呼吸は、彼をとらえた感情の度を越した高まりのため荒くなり、物憂さが血管に沿って徐々に広がっていった。するとカサンドラは自分の横に座るようフェランテに命じ、彼は熱心に、それでも尚おずおずと従った――本当にお間抜けだわ、彼女は思った。

 生暖かい薄明の中、芳香ただよう庭でこのように座っていると、彼は天国も世界も自分に温情を施してくれていたのだという思いになった。彼は全人類と穏やかな関係を結び、全人類を愛していた。そして彼はその思いについて語り、彼女への愛が自分の人生にどのような変化をもたらし、如何にして流れを改めさせたかを語った。これまでの自分が如何に厳しく暴慢であったか、そしてこれより先は、彼女の優しさに値するような柔和で情けを知る人間であるように努力すると――こういった諸々を、彼は恋の季節にいる男がしばしば口走るような美辞麗句を連ねて雄弁に語ったが、しかし彼女はそれを、うんざりするような戯言としか感じていなかった。

 とはいえ、彼女は本心を隠し通した。少女のように慎ましく耳をかたむけ、そして時折、兄から指図された通りの返答をし、彼の熱情に応えているかのような偽りの言葉を口にした。

 かようにして、フェランテ曰く全人生を凝縮した一時間は、彼にとっては陶酔により瞬く間に過ぎ、一分いっぷんごとに退屈が増すばかりの彼女にとっては遅々として進まぬように感じられた。二人の上に落ちる影は次第に濃くなり、空からは紫の夕映えが薄れ、木々は暗い背景の中へと次第に溶け込み、彼が背にしている館の窓々には明かりが灯され、そして小さな泉からは蛙の鋭い鳴き声が聞こえてきた。

 不安を感じた彼は立ち上がり、己の任務を思って甘い恍惚を振り払おうとした。

「私を置き去りになさるおつもり?」彼女は溜息をついた。

「嗚呼、マドンナ。そうしなければならぬのです、心引き裂かれようとも!」

「貴方がいらしてから、ほんのちょっとしか経っていないわ」と彼女はあらがい、このように取り繕わず愛情を表現する純真が彼を魅了した。自分は数多いる乙女たちの中から、真珠にも比すべき貴重な女性を勝ち取ったのだと。

 彼女の手を取ると、彼はその場に留まって再び愛を語り、それからまた自分は出発しなければならぬと説明した。しかし彼女の細い指は依然として彼の指にからめられたままだった。薄闇の中、白くほのかに光る彼女の上向けた顔が見え、彼女の声はかぐわしい夏の大気を伝って届いた。彼女に向かって身を屈めながら、彼はこのように答えた。「お聞きなさい、愛しいひと。今晩、私は国の密使としてイーモラに行かねばなりません。しかし帰還してから貴女の兄上たちにお会いして、彼らの掌中の珠を私にくださるようにお願いするつもりです」

 彼女は溜息をつき、「いつお戻りになるの?」と尋ねた。

「順調にいけば、三日後には。なんと長い別離だろうか、可愛いひと。しかし我が忍耐は報われるだろう!」

 彼女は素早く口をはさんだ。「別れの盃を交わさずに、お出かけになってはいけないわ。無事のお帰りを誓うまでは、私の許を離れてはいやよ。いらして!」そして彼女は彼の手を引き、もはや彼もあらがわず館に入った。

 テラスから続く硝子ガラス戸を通り、彼女は広く豪奢な部屋に彼を導いた。そして金色の枝付燭台が放つ光の中で立ちすくんだ彼の両目は、彼女の眩い美貌をむさぼるように見つめていた。

 彼女は手を叩いて小姓を呼ぶと、葡萄酒ワインを用意するよう命じた。

 小姓を待つ間、二人は互いを前にして立っていたが、この時、彼女は哀れみのようなものを覚えた。結局の処、彼女はひとりの女性であり、彼の男性的魅力に無関心ではいられなかったのだ。そのままにしておけば、彼女は自分に任された不実な仕事をやり遂げる気力がくじけていたかもしれない。けれども、その瞬間、あまりにも長く押さえつけられていた熱情が、大きなうねりとなって彼を破滅へと押し流した。

 彼は華奢でたおやかな身体を己が腕で捕らえた。きつく抱きしめ、猛烈に彼女の唇を求めた。彼女は激しく抵抗し、その時に一瞬、彼が目にした彼女の蒼白な顔、その中に見たものが彼を押しとどめた。それは恐怖と嫌悪の入り混じった表情であった。彼女を解放すると、彼は間抜けで気まずく、そして己を恥じる思いで後ずさりした。それから――フェランテは大抵の男よりも洞察力に恵まれていたので――自分の抱擁に対するこのような嫌悪は、つい先ほど、彼に大らかな愛情を示した純真な人には不釣合いではないかという思いが浮かんだ。

 その考えに困惑している間にも、小姓が部屋に戻って来た。彼が手にした金色の盆には、金箔をきせた水差しと、細い真鍮の脚が付いたオパールのようにきらめくヴェネチア製のゴブレットが二脚載っている。彼女は作り笑いを浮かべながら小姓の処に行った。彼女は葡萄酒ワインを注いだ。

 彼は暗い目で注意深く彼女を観察し、その死人のように蒼白な顔と手の震えに気付いた。抱擁の影響がまだ残っているのだろうかと彼は怪しんだ。

 しとやかに彼の傍らへとやって来た彼女は、両手に一脚づつゴブレットを持っていた。フェランテは差し出された方を受け取り、未だ蒼ざめたままながら微笑みを浮かべて献杯の辞を述べる彼女に一礼した。

「主が貴方のお帰りを早めてくださいますように」と彼女は言った。

「主が貴女の許への帰還を早めてくださるように」そう応じた彼は、酒盃の中身を半分ほど飲みほした。

 それは喉を焼き、脈を速める効力のある葡萄酒ワインだっだ。

 効果は迅速にあらわれた。大した量を飲んだ訳でもないのに、それほど急いで出発する必要はないように思えてきた。自分の馬は安全に門外の馬止めに繋がれているだろう。もう少しここにいたとて、どうということもあるまい、その分は道中で取り返せばいいのだし、今は実に愉快な気分なのだ。幸せで楽観的な気分が彼をすっぽりと包んでいた。彼は物憂げに椅子に沈み込んだ。呼吸する度に気だるさは増していった。夏の空気のせいだ、そう思った。今日はあまりに暑過ぎるのだ。

「貴方、気を失いそうよ」彼女は叫び、その優しく案ずるような声は彼の耳に非常に甘く、自分の衝動的な狼藉が許された証のように思えた。

 ほとんど酩酊状態で、彼は馬鹿笑いした。「なんらって……おう……」彼は息を切らせながら言った。

「お飲みになって」彼女は勧めた。「この葡萄酒ワインで、きっと元気になるわ」

 言われるがままに、彼は一気に酒盃を空にした。またも喉が焼かれる感覚、全身の血管に炎が走る感覚。不意に無意識下で不安を覚えた彼は、懸命に立ち上がろうとした。膝にはまるで力が入らず、息をあえがせながら再び椅子に倒れ込んだ。部屋はぐるぐると回り、眼前には赤い霧が立ちこめて渦を巻き、そして、その霧を通して、月の輝きがごとく鮮明にくっきりと、フェランテはカサンドラ・デ・ジェネレッシの顔――もはや甘くも純真でも、彼が愛した少女のような顔つきでもない、愚かで邪悪な表情を浮かべた忌まわしい顔を見つめていた。それはさながら、身体の自由がきかなくなった瞬間に、心の目が開かれたかのようであった。不安に駆られ、彼は己を支配する無気力を振り払うために持てる力をかき集めようとした。その努力は一瞬だけ成功し、そしてその瞬間にフェランテは理解したのである。彼は椅子から懸命に立ち上がると、激怒に輝く形相、炎を吹くような瞳で睨みつけた。

「奸婦め!」彼は叫んだ。神があと、ほんの少し長く力を与えていれば、フェランテは己が手で彼女を殺していただろう。それほどまでに凄まじい嫌悪が彼を支配し、彼女の美貌はこの世で最も忌むべきものと化していたのである。

 だが、更なる一歩を踏み出す前に、膝はまたも力を失い、彼の身体は椅子に逆戻りした。途方もなく高価なヴェネチア製のゴブレットが指から滑り落ち、モザイク仕上げの床に叩きつけられた。脳裏には暗夜が降り、感覚は失われ、彼の頭はがくりと落ちた。

 カサンドラはしばし、恐怖と不安から彼をじっと見下ろしていた。彼は死んでいるように見えた。それから振り返ると、間を置かずして扉が開き、兄たちが入ってきた。彼女は――子供の頃から好奇心旺盛なので――兄たちの仕事を見るために留まろうとした。しかし、この後ろ暗い仕事における彼女の役目は既に終わっており、彼らは更なる工作を始める前に妹を寝所に追いやった。

 チトーが窓に厚いカーテンを引く間、ジローラモは眠りこけている男の服を素早く探った。彼はボルジア家の雄牛の紋章で封蝋が押された封書を取り出した。それは今日の昼にチトーが目にした手紙であった。彼は炎で熱した短剣を用いて封蝋を壊さぬように開け、そして二人そろって枝燭台の近くで――チトーはジローラモの肩越しに凝視していた――彼らは手紙の中身を確認した。それからジローラモはインクと羽ペンを持って来ると――彼は兄よりも手際のいい筆記者だった――その書類の写しを作成するために席に着いた。

 この手紙はレミーロ・デ・ロルカに対し、明日、二千名の兵を率いてティリアーノに進軍せよと命じたものであった。サン・チャスクーノに直接攻撃を仕掛ける前に、ティリアーノを攻略し占領せよと。其処で彼は武力封鎖を整えて、チェーザレの更なる指示を待つことになっていた。

「これは」と、チトーは並びの良い歯を見せて笑いながら言った。「サン・チャスクーノの守備隊が手にすることになるだろう。フェランテがイーモラのデ・ロルカの許に着くよりも遥か前にな。カゼルタは、この情報を歓迎するぞ!お前自身で運ぶのだ、ジローラモ」

 ジローラモは器用に封蝋を直していた。「カゼルタには相応の報酬を支払ってもらわねばな」

 彼らは共に笑った。「実に割りの良い夜稼ぎだ!」チトーは言った。「我々は、その身の程知らずの愚か者を破滅させ、ヴァレンティーノ公にも痛撃を喰らわせるだろう」

 ジローラモは封筒をフェランテの上衣の懐中に戻した。

「この腐肉はどうする?」彼は尋ねた。

「そいつの扱いは任せろ」チトーは言った。「城下町ボルゴの酒場に運ぶ。目覚めた時には、ジェネレッシ邸パラッツォ・ジェネレッシでの冒険は夢と思うだろう。それに、こやつは出発が遅れた分を取り返すために急ぐ必要があるからな、イーモラに向かって風のごとく馬を飛ばすはずだ。夜明け前にはまた動き出すだろう」

「それならば私が追いつかれることはあるまい」ジローラモはそう言って手紙を身につけた。「ティリアーノに進軍したレミーロ・デ・ロルカは奇襲で歓迎されるはずだ。カゼルタが多少なりとも戦を知っているなら、彼はボルジアの傭兵部隊を壊滅させるだろう」

 そのような会話を交わして二人は別れ、ジローラモはサン・チャスクーノに馬を飛ばし、チトーはフェランテが目を覚ました時のために処置を講じた。

 翌日の日暮れ前に戻ったジローラモは、長い乗馬のせいで体をこわばらせ、やつれ、埃にまみれていたものの、意気軒高であった。事は問題なく片付いた。カゼルタはこの報せに心から感謝して対策を講じ、ボローニャにおけるジェネレッシ家の信用は強化され、彼ら兄弟の熱意は報いられるはずだ。彼は帰路、ポー川を渡った処で、悪魔に追われるように必死で馬を飛ばしてイーモラに向かうフェランテに遭遇した。道路脇の木立に隠れながら、彼はもはや遅きに失した使者が必死で走る様を見物したのであった。

 そして今、ジェネレッシ家の兄弟は満ち足りた心持ちで椅子にくつろぎ、デ・ロルカ指揮下のボルジア軍総崩れの報を――フェランテ・ダ・イゾラが公爵を売った裏切り者であることを証明し、チトー・デ・ジェネレッシの汚名を晴らす報を待っていた。チェーザレ・ボルジアは、身分ある紳士を虚言者扱いしたことを激しく懴悔するに違いない。

 サン・チャスクーノ領内での激しい戦闘に関する情報がロザーノにまで伝わってきたのは、その翌日のことであり、それと時を同じくして、チトー・デ・ジェネレッシの許にヴァレンティーノ公爵からの召喚状が届けられた。彼は深刻な表情を浮かべ、あざけりの感情を抱いて公爵の許に参じた。

「そなたはもう、あの報せを聞いたであろうか?」それがチェーザレの挨拶代わりの言葉だった。チトーが御前に案内された時、公爵は忙しく書きものをしていた。

「戦いの噂ならば、聞き及んでおります」チトーはそう答えたが、内心では未だかつて感じたことのないほどの公爵に対する感嘆を覚えていた。公爵の泰然とした態度は、まったく見事なものだった。自軍の一部が敗走し、信頼を置いていた部下が裏切り者であることが判明したにもかかわらず、それでも尚、其処に座す彼の表情は穏やかで計り難く、その口調もまた平静で無感動なものだった。

「フェランテが運んだ手紙は」とチェーザレは続けて言った。「デ・ロルカにティリアーノへ進軍し包囲せよと命じたものだった。だがサン・チャスクーノの者たちは、その内容を知っていたように思われる。カゼルタはティリアーノに兵を伏せ攻撃を待ち受けていたのだ」

 チトーの胸はおどった。彼は内心の喜びが顔に出ぬように苦労した。「ご自身の被る損害について、お考えの上なのですかと申し上げたのに!」彼は叫んだ。「私の忠言をお聞きにならず、あのフェランテという悪漢めをご信頼なさるから」

 チェーザレはチトーの顔を覗き込み、静かに微笑んだ。「私の思慮が足らなかったと?」彼はそう尋ねた。

「し……思慮?それは、その、深いお考えあってのことでしょう!しかし――」

「そう――熟慮を要した。これ以外の結果に終わっていたならば、フェランテが裏切り者であると証明されていたであろう」

「これ以外の?」何のことやら理解できないチトーは、口ごもりつつ聞き返した。

「そなたは顛末の最後の部分を聞いてはおらぬようだな」チェーザレは言った。「カゼルタの隊がティリアーノでデ・ロルカを待ち伏せている間、数里ほど西に離れた地点から渡河したデ・ロルカは、主力が出払い無防備となったサン・チャスクーノを急襲し、ほとんど一戦も交えぬまま制圧を完了した。後方から攻撃されて敗北を悟ったカゼルタは、報告によると、一目散に逃げ出したそうだ」

 軽蔑と愉楽の入り混じった目で、公爵は事態を理解できずにいるジェネレッシの青ざめた顔をしばし見つめた。

「よいか」ややあって公爵は説明した。「フェランテは二通の手紙を運んでいた。一通目はカゼルタの手に渡ることを想定したもので、奴をおびき出して破滅に追い込むための偽情報が記されていた。もう一通――そなたが確認することを思いつかなかった、フェランテの長靴に忍ばせていた手紙――の内容は、デ・ロルカのみに宛てたものだ。私が命じた通りに行動し、その結果として、彼は己の忠誠を証明した。私は彼に課した試罪の全容をそなたに教えず、その結果として、そなたはフェランテの任務を成功に導いたのだ。フェランテは私が指示した通りに偽の命令書を売りつける目的でサン・チャスクーノに向かったが、カゼルタから騙り者として追い払われてしまった。奴は既に、そなたの弟から写しを買っていたのでな」チェーザレは冷酷な笑みを浮かべた。「生憎あいにくとカゼルタは敗走中ゆえ、そなたを奴の許に送ってやるのが親切というものであろうな、そなたは奴に伝えた偽情報に見合った報酬を支払われるやもしれぬ」

 この時、凄まじい恐怖がジェネレッシをとらえ、そして同時に彼は――奇妙な取り合わせではあるが――凄まじい怒りをも感じていた。彼はずっと、我知らず道具――彼自身も彼に関わる全ても――として利用されていたのだ、ボルジアの狡猾な手によって。しかし恐怖が怒りに勝り、すぐさま彼は無慈悲なる公爵の前に――その裁きがあまりに迅速かつ厳しい公爵の前に跪いた。寛に失するという過ちを犯すことは、決してない公爵の前に。

「お慈悲を!」体裁をかなぐり捨てて、彼は懇願した。

 しかしチェーザレは再び笑うと、馬鹿にしたような手振りをした。「私は大いに満足している」彼は言った。「私を足止めしていた難問はそなたのお陰で解決したので、すぐにでも陣を畳んで行軍を再開できるだろう。同じく、そなたの邪悪な意図は差し引いても、我が友フェランテ・ダ・イゾラがかかった恋患いの治療も功績とみなそう。あの病に悩まされた男は軍人としては使いものにならぬのでな」

 恐怖――そのなぶるような声と話しぶり、その美しい瞳の中にある蔑み、それらにより高まった恐怖――で身をすくませながらも、チトーは尚も両手を上げ跪いていた。その光景にチェーザレは嫌気がさし始め、胸が悪くなった。彼は突然立ち上がった。彼の眼差しは厳しくなり、その口調は一変し、優しげになぶるような調子から、にわかに辛辣なものになっていた。

「私の視界から失せるがよい、蟇蛙ヒキガエルめ」彼はロザーノの高慢な紳士に命じた。「出て行け、そして二度と、その顔を見せるな――そなた自身も、そなたの弟も、そなたの妹も――二度と再び、私の統治する土地には立ち入るな。行け!」

 そしてジェネレッシは退散し、己はまだ幸運だったのだと考えた。


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英国の作家ラファエル・サバチニによるチェーザレ・ボルジアを狂言回しにした短篇集"The Justice of the Duke"(1912…

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