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私が出会った素晴らしい先生

私が我が子の発達遅延でとても救われたのは一人の先生の存在があります。

この先生は県立の大きな病院にいらっしゃる先生で、障がいの重い子たちを何人も見ているであろう先生です。


この先生がひょんなことから我が子の担当の先生になったのですが、何が素晴らしいかって、

・患者さんとの距離感
・言葉の選び方、伝え方
・思いやり

が絶妙なところです。


我が子が発達が遅れて、この先生に最初出会った時、とても丁寧に我が子を見ていることがとても嬉しかったのを覚えています。

「◯◯くん、ちょっと見るね、見せてねー」
「それは嫌だよね、ごめんね」
「今日はもうおしまいにしようね。またね。」

とひとつひとつに対して思いやりある言葉がけをしてくれるのです。


また私が不安に思っていることを話しても遮ることなく、一つずつ丁寧に答えてくれるのです。それも言葉をしっかり選んで。

だからドンと事実を告げられて、凹むには凹みますが、配慮してくれるのがわかるので、これをしっかり認識するのは大切なことなんだろうなと毎回思っています。

これまで子供を通していろんな先生に出会いましたが、この先生ほど素敵だと思う人はいませんでした。

というのも子供を見ずにずっとパソコンのデータを見ているだけ、の先生もいたり、自分のおすすめするやり方を伝えるだけ、という先生もいたからです。

それは悪いことではないのですが、私の求めていることとは違いました。

私が第一に求めていたのは、解決策ではなく、思いやり・配慮でした。


医師として解決策を提示する、というのも大切なことですが、そうじゃないのです。

おそらく何か不安なことがあって病院に行ったことがある人ならなんとなくこの言葉の意味がわかると思います。


そしてその先生を通して思ったのが、障害を持つお子さん、発達遅延があるお子さんをもつ親に大切なのはまずは親への支援じゃないかなと思っています。

特に先生から私に対して労いの言葉を受けたわけではないのですが、真摯に話を聞いてくれる、そんな姿勢をみてそんなことを思ったんです。

そしてそれは私がやっているお仕事に関しても思うことです。また私の大切な誰かが傷ついたり、苦しくなっている時もそうだと思います。

適切なアドバイスをしたくなりますが、それをグッと堪えてまずは相手の話を聞くこと、そして相手が気づいていないところに気づいて労いの言葉をかけること。ひたすら話を聞くこと。寄り添うこと。

つまりありのままのその人を見てあげること。

それがまず第一で、おそらくこの社会に生きている人のほとんどが求めていることなのではないかなと思います。


そんなわけで定期的に大きな病院に通っていますが、今はその先生に私が会いたくて仕方がありません笑。

我が子のゆっくりながらの成長を見せるのが、私の密かな楽しみなのです。


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