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アジア日記#16【凛とした、一本の存在に。】


「一人が好きだし、別に寂しくない。」
なーんて、地元・沖縄ではそんなこと言ってた。だけど、それは、「実際のところ、独りじゃないから。」ルアンパバーンに着いて、ふとそう気付いた。


おうちに帰ったら「おかえり。」って温かく迎えてくれる家族がいる。

「あ、気付けばこんな時間まで話してたね!」そう笑い合えるお友達がいるから。


結局のところ、わたしはひとりで生きることなんてできない。


地元でひとりでいても寂しくないのは、どこかに近い繋がりを感じているから。

大好きな人たちが、いつでもどこでも簡単に会いにいける距離にいるから。


旅に出てみて、ひしひしとそれを感じる。

家族も、友達も、同僚も。ここからは、みーんな、遠く離れた日本にいる。地図の上では10cmぐらいしか離れてないのに...


今の時代、電話だって簡単にできる。でも、直接会うそれとはやっぱり違う。直接顔を合わせて会話をかわすあの温もりは、電話では生み出すことができない。


「わたしは一匹オオカミ。」

そんなこと思ってた。でも結局のところ、わたしは、群れの中で安心したい、ひとりのちっぽけな人間なんだなぁ、って。


良くも悪くも、誰かがいるからこそ、人は自分自身の存在を確認できる。

誰かを通して自分自身を見ていたり、また、自分を通して誰かを見たりしている。

仲睦まじく2人の時間を過ごしているカップルを見れば、独り身の自分を嘆くし。

ひとりでご飯を食べている旅人を見れば、「自分だけがひとりじゃない。」そう感じる。

ひとつの線と線が支え合って「人」になる。全ての意味を二本の線に、ひとつの漢字にギュッと込めた、先人の偉大さを感じる。


わたしの周りにたくさんいる、ひとつひとつの線に、感謝。そして、わたしもその線が必要とする、凛々しい一本の存在でありたい。



た す く。

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