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愛を伝える手段は言葉だけではない

コミュニケーション力が以前にも増して必要なスキルとされている。
伝える、聞く、話す、書く。
全て文字を介するそれらは、言語化が苦手な人からすると、かなり不利じゃないだろうか。

多様性と言いながら、言語能力には一定のスキルが求められるのなんて、なんか不公平な世の中だよな、と思う。そもそも赤ちゃんの時は一切求められていないそれを、学習で獲得するにしても能力は個人差があるはずなのに。


私の父方の祖父は私が生まれた時民宿を開いていた。
小豆島が見える海岸沿いの民宿は海の家や食堂も兼ねていて夏場になると大賑わいだった。

小さい頃は母や父と一緒に手伝いに行ったのを覚えている。

軒先で売る夏場のおでんは、天ぷら(薄いさつま揚げみたいなもの)や、濃いめに煮た三角形のおでん、小さいタコが人気で、かき氷はみぞれとイチゴとメロンがあった。母は添加物が大嫌いだったので、合成着色料が入っていないみぞれしか食べられなかったけど、大きな氷から切り出すふわふわの氷は本当に贅沢な食べ物だった。

と、何を食べたかはすごく覚えているけど、祖父との記憶は会話をほとんど覚えていない。

それどころか本当に食べ物の記憶しかない。

人生最も幼い頃の記憶も2歳の頃に祖父の民宿で食べた祖父のつくったお刺身。活き造りの天才だったことも覚えている。

家族で海外に2年間住んだ時は、船便で自ら捌いたアナゴの干物を大量に送ってくれた。ちなみに母方の祖父母は自ら作ったお餅を細く切って乾燥させたものを送ってくれていた。油で揚げたかき餅は、西ドイツ時代のご馳走だった。反対にアナゴは、ちょっと苦手だった。

でも、大人になって思うのはこの干物の工程がとてつもない作業だということだ。

市場で買って、捌いて、干して、送る。本当にしょっちゅう食べていたので、相当な量を送ってくれたに違いない。

祖父は行く度に、精一杯のご馳走を用意してくれた。
ある時はシャコエビ。ある時は松茸。ある時はヒラメ。
そして民宿に干された干し柿を食べることを許してくれて、お客様のアクエリアスも飲ませてくれた。

これを愛と言わずして、一体何を愛と言うのだろう。

でも私は無条件に愛されたという自信がないまま育った。

愛は何を持って感じ取るか、って、相当に難しい。生きづらさは非言語以外の何かで少しずつ積み重なった感覚であると同時に、言語によって強化された気がする。

「あなたは愛して欲しかったのよ」と言われることも
「それは愛だったのよ」と言われることも。

言語を介さない行為が言語を持って方向性を決定づけられる。

という世界に生きているけど、その言語化は個人個人の価値観によっているのだ。

真実かはわからないけど、私は祖父の愛をきっと食べ物を通して受け取っていたのだ。そう信じて、私も食べ物について書いていこうと思う。






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