『世界から確かに1人が消えた日』



このnoteを読んで下さっているあなたは今、恐ろしい孤独を感じていても、辛いことや苦しい状況の中でも、絶対に自ら存在を終わらせようなんてしないで下さい。生きて、幸せになる方法を探し続けて下さい。









あれは友達の誕生日でした。

その友達とすごく仲がいい女の子がひとり、誕生日を祝った翌日の午前中、その子の部屋で自ら命を断ちました。
その子の親御さんが第一発見者でした。







その子は感情のコントロールが苦手な子でした。
普段は接しやすくてノリのいい、でも常に周りにどこか気を張っているような、周りの目を気にしすぎる子でした。


周りの人の頼みを断れない子でした。
よく、自分の容量を超えてしまって、相談に乗っていました。
その度に『頑張りすぎだよ』『そんなに頑張らなくてもいいんだよ』と言っていたのを記憶しています。
1度、精神科の診察や治療を受けてみたらと薦めたこともありました。








最後に何が彼女を追い詰めてしまっていたのか、本当のことは彼女以外には知る由もありません。
けれど、きっとたくさんの悩みや不安、責任を感じでいたのだと思います。
その子が産まれてまだ四半世紀も経っていませんでした。


きっとまだたくさんの可能性に満ちていたし、幸せな瞬間だって数え切れない程訪れたでしょう。
でもきっと、苦しみから抜け出す方法が見つからないままの日々を過ごしていたのでしょう。
小さな幸せたちでは隠しきれないほど不安が広がっていたのでしょう。










僕は5日経ってから彼女の訃報を聞きました。
その日、5日前に誕生日を迎えたばかりの友だちから電話がかかってきて、僕は言いました。
『きっと僕たちにできることはもう残されてなかったのだと思う。』
『だから、君が後悔したり、悩んだりすることじゃないよ。』
『彼女は今の自分のまま生きていくことが受け入れられなかったけれど、きっとあの時僕らがなにを言っても彼女を変えられたのは彼女自身だけだと思うよ。』
『それが出来なかったのは、君に責任があるわけじゃないよ。』
と酷く冷静に言いました。


その日から別に世の中は何も変わらず、朝がきて、日が昇って、街はたくさんの人で溢れています。
彼女の周りの同僚も笑顔でいられるようになりました。
そして日本では年間749名の10代と2,611名の20代を含む21,007名の方が自ら命を断ちました。












ある日、僕にもその瞬間が訪れました。











これまで僕は苦しんでいる人をたくさん見てきました。
その原因は自身のせいではなく、産まれつきの特性や後天的な病気だったり、家庭環境だったり、現代社会の常識だったりしました。



あの時、友達にかけていたはずの言葉は僕にとっての自己暗示のようなものだったのでしょう。
その日、それらの問題を根本的にどうにかすることは、僕の力では無理だと気付かされました。


普通の大人からしたら当たり前ですよね笑


でも僕はなぜかその日まで、どうにかできる、なんとかする、と信じてしまっていました。
僕もきっと不器用なんです。いや、きっとでもないです。




だから僕はその日、この世界から消えようとしていました。
僕にできることはもう何も無いし、方法もたくさんたくさん考えたけど見つからないし、正解だってわからない。だから、僕が居なくても誰か優秀な人がどうにかしてくれるさ。
そんな落ち着いた気持ちだったと思います。








最後の日を決めて、その5日前にたった1人にだけ、その日付のことだけを話しました。何となく。
今思えばSOSだったんでしょうね。


その友達は静かに落ち着いて話す僕の声を聞いて、水気の混じった震えた声で
『生きてよ。』
『たくさん良いところがあるんだし、羨ましい特技だってあるよ。』
『だから生きてよ。』
と言いました。


その言葉を聴いてから電話を切って、僕は最後の日まで淡々と過ごしました。
部屋の片付けをして、友達と美味しいご飯を食べて、遊んで、



『またね』
だけは言わずに。






余談ですが、
最後だと決めれば、やり残しがないように予定を遂行する不思議パワーがみなぎってくると僕は思っていたんです。
けれど、5日間のうち2日はだらだらと過ごしてしまい、やりたいなと思うことを予定通りにしませんでした。
そのとき僕は、『これは怠惰とかじゃなくって、僕自身の特性なんだ。共存して行かなければならなかったものだったんだ。』と気づきました。










最後の日の夕方18時になりました。








友達から電話がかかって来ました。
また
『生きて。』
と言われました。
『何があなたをそうさせているのか話してよ。』
と言われました。

だから僕は、かいつまんで自分の中の無力感や絶望感、不安、劣等感を話しました。
この時、最後に僕の思いを、人間をこの世界に残して、誰かに届けばいいなと思って、話しました。
語り部が欲しかったんです。誰かの役に立てればいいなと思っていたんです。








けれど、途中から僕はきっと言葉が出てきていなかったと思います。泣いていたから。









5日間で初めて感情が奮い立ちました。
涙が止まりませんでした。
あんなに冷静に淡々と5日間を過ごしてきたのに、悔しさの感情が溢れてしまいました。

たぶん本当はまだ生きたかったんです。
ありきたりで捻りもない話ですけどね。

初めて、死にたくないなと思いました。







色んな心の病気や治療について自分で勉強して来ましたが、ほんとによくある感じだったんです。



『生きてよ。』



たった一言で無責任だけど、とても力強い言葉でした。



その後、その友達は僕の家に来て、飼い猫のルネとルキオと一緒に遊び、僕が用意していた道具たちを持っていきました。

こうして、僕はまた生きていくことになりました。
少しだけだけど、自分のこと、理不尽なこと、苦しんでいる人がいること、どうしようもないこと、諸々のそれらを受け入れてまだ生きています。







さて、
僕が1番好きなアーティストを挙げるならおそらく
Mrs. green appleです。
詞曲を担当している大森元貴さんの、心の一片が小さく綺麗にまとまって、花開いたような芸術になっている。そんなところが好きです。


ちょうどその折、『soranji』という唄がリリースされました。
『生きて』と繰り返し訴えかけてくる唄です。







無責任だなと思いました。
生きていたって、どうにも出来ないことがたくさんあるのに、苦しいのに、辛いのに、顔も知らない誰かに『生きて』という言葉を投げかけているんです。



なにも解決してないじゃない。
苦しいままじゃない。
どうしようもないじゃない。
そう思いました。




けれど、一方で、この唄を創った大森さん自身も
きっとそんなことはわかっていて、無力感も感じていて、絶望だってしたことがあって。
無責任だとわかっていても、それでも『生きて』という真っ直ぐな言葉で伝えるべきなんだと感じている。
その後のことには干渉できないし、上手くいく保証ができないもどかしさや悔しさもあるけれど、伝えるべきだと感じた。
そうも思いました。

これはあくまで僕の主観であり、僕自身の心象の投影な可能性も大いにあるけれど、僕はそう感じました。





他人の人生の責任を追うこと、それは裏返すと操作すること、支配すること。
良い方向にも悪い方向にも、そうすることは不可能なんだと思います。
生き物に自我があり、対等である限り。



だからこそ、自分の人生の舵取りは自分でしなきゃいけないし、幸せになれる方角を見定めて進んでいけるのもまた自分だけなんだ。そう思います。





だからあなたも、どうか、どうか生きて。
生き延びて、自分自身で幸せを見つけてください。
それは小さなことでもいい。
自分の力だけで実現できないと思うなら、誰かを頼ってもいい。
それがまた失敗しようとも、それでも生きて、
またもう一度、さらにもう一度、新しい方角に進んでください。





全ての物ごとには終わりがきます。
虐められても、仕事が辛くても、社会的なマイノリティとして孤独を感じていても、自分を許せなくても、不安が絶えなくても、はたまた毎日が楽しくて仕方がなくても、たくさん友達がいても、お金があっても、家族がいても、夢が叶っても、
いつかは必ず終わりがくる。これは絶対的な現実なんです。


わざわざ自らの可能性に溢れた未来を捨てて、心を、世界を閉ざす必要もないはずです。







小さな幸せにすがる毎日でも、今いる場所から逃げたとしても、きっと生きて進んでいさえすれば、苦しみが和らぎ、不安な気持ちとの付き合い方も知り、自分を受け入れられる瞬間がきて、幸せを素直に感じられる日が来ますから。

『生きて』





つらいことはたくさん起こるし、ただ平然と生きていくのだってとっても難しいけれど、一緒に生きましょう。

ね。







それではまた。


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