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聖闘士星矢 The Beginning最速上映に行った星矢ファン歴36年男の感想

※このnoteには映画『聖闘士星矢 The Beginning』の内容に触れるテキスト・画像がございます。
画像は公式にて事前に告知されているものである事と、
個人的には聖闘士星矢に関してはネタバレが面白さを損なうとは思わないのですが、気になる方は観賞前の閲覧をお控えくださいませ。

『運命を、超えていけ』

聖闘士星矢がハリウッドで実写映画化!!
今回4月11日の最速先行試写会に当選して一足先に堪能。

私は、4歳位のときに聖闘士星矢を知り、ハマり、愛し、
36年ずっと好きなまま生き続けてきた。
その間にリリースされた様々な星矢作品の全てが好きだ。
原作、アニメ、劇場版、OVA、舞台、ギガントマキア
エピソードG、ロストキャンバス、ネクストディメンション、
Ω、セインティア、Legend of  Sanctuary、Knights of the Zodiac、
車田水滸伝、ダークウィング、海皇再起……
新たな『聖闘士星矢』が生まれるたびに飛びつき、泣き、滾り、
星矢を生み出してくれたことに感謝を捧げてた。

観る手段が無いけれどSMAPの星矢も何とかして観たいんだ。まじで。

そして聖闘士聖衣神話EXはほぼ全て買っている。
さらに好きすぎて自分で作ってコスプレしている。

青銅聖衣はハーデス編が一番好き
箱も作った。今も家にある。
LoSジェミニは最初は好みでは無かったけど、気づいたら作るくらいに好きに。

まだまだ星矢について前フリで語ることは無限に出てきてしまうのだが
ここはハリウッド星矢の感想のみに焦点を当てて書いていこうと。
先に結論から書くならば、圧倒的にアリとしか言いようがない!

トメック・バギンスキー監督の原作愛

 
もうまずはここから語らねばならない。
観終わった後に私はバギンスキー監督に感謝の祈りを捧げた。
聖闘士星矢の世界観を、実に見事に現代へとアップデートしていた。
と言うよりも、星矢を語る上で我々が取りこぼしがちな序盤の展開を
実に鮮やかに再構築していた。
 
どうしても「星矢の好きなストーリーは?」
と問われると「十二宮」「ポセイドン」「ハーデス」
あるいは「北欧編」「真紅」と言ったメインどころが多く出てくると思う。
それに対して序盤の展開はともすれば最終的な星矢の展開からすれば
かなり浮いている。現代パートとのすり合わせの結果と言えばそのとおりなのだが、特にアニメ序盤は顕著で、オリジナルパートとして一輝は鳳翼天翔でヘリを撃墜するし、聖衣を来たままセスナで移動する。そんなある種シュールに見える展開が暫く続く。
十二宮の戦いを90分にまとめ上げた傑作『Legend of  Sanctuary』は
その序盤の展開を可能な限りコンパクトに収め、原作一番人気である黄金十二宮編をメインとしていた。
↓その時の感想



しかし今回の『The Beginning』に置いては、まさにその序盤の展開を実に丁寧に、そしてキャラクターを厳選して描き切っていた。
 
そう、今回の作品に黄金聖闘士は冒頭のアイオロスとシュラのみ。
(今回の作中での正式な名前が不明だが、伝わると思うのでコレで)

アイオロスとシュラ。Legend of Sanctuaryに近い描写だった。


そしてなんと青銅聖闘士も星矢と一輝のみで紫龍、瞬、氷河は出て来ない。
私はキグナス氷河が最推しなのでこれは残念と思った。
しかし、映画を観終えた時に監督の決断は間違っていなかったと確信した。
星矢が聖闘士になるまでの、まさに『Beginning』だったのだ。
 
恐らくは非合法の地下格闘技から始まるストーリー。
星矢はそこのファイターで、チャンプであるカシオスとの因縁が……
そして戦いの最中に星矢から小宇宙の片鱗が……
と原作・アニメ序盤の聖域での修行や銀河戦争のテイストを感じさせつつも
今回の星矢には聖闘士としての修行期間が無い。
子供の頃に姉から受けた武道の型と恐らくは己の天性のフィジカルで勝ち星を上げてきていたのだろう。この辺りで本家の星矢と比べるとハリウッド版の星矢には姉を攫われた記憶や、それから恐らくはなんの後ろ盾もないままに日々を過ごしてきた分の影というかやさぐれている雰囲気が伝わる。
まあ原作の星矢は13歳(改めてすごい話だ)なのだが。
私はハリウッド星矢のキャラ描写に
『原作の星矢が幼少期から聖闘士の修行に出されず、独りで生きていたら』
というイフの姿を見た。己の腕力だけではどうしようもない無力、それでも日々を生きねばならない現実、ロッカールームで姉の写真を見つめる星矢に
その悲しみを感じた。
 
ともすればこの辺りの説明というか世界観やキャラの描写は原作ファンには前提の知識なので「早く聖衣を来て戦ってほしい」との思いを抱かせているかもしれない。何ならバギンスキー監督だってそういう星矢達の戦いに心を熱くした方だろう。
しかし原作ファンである私にはこれが新しい星矢という物語をしっかりと構築するための必須作業のように感じて目が離せなかった。
そう、全ての展開が本当に丁寧だったのだ。
だからこそ例えば星矢を知らない新田真剣佑のファンの方や、むかし星矢が好きだったけどもう内容はうろ覚え、と言ったライトな層にも門を開いていたと思う。
この辺りは私の周囲にどのジャンルにしても濃いめのオタクばかりの為、
本当に抜け落ちている視点なので実に良かったと思う。

原作からの改変はどうなのか?


ハリウッドに限ったものでもないのだが、漫画を別メディアで展開する際に
『元と違う』事を即マイナス評価とする空気を時折感じる。
理解できる部分もあるが、私としてはメディアが変わるのだから
新しい表現方法を見てみたい。という気持ちでいることが多い。

私は観ていないので語る事はできないのだけれど、
前評判としては『ドラゴンボール』的な不安を口にする人が多かった。
確かに要素だけを取ってみるとこの2つは近いのかもしれない。
 
・往年のジャンプの人気作品が原作
・その原作と大きく異なるビジュアル
・壮大なクライシスシーンの予告
・ヒロインとのロマンス(を想起させるプロモーション)
 
なんとなくこんな雰囲気だろうか。(最後のは自信がない)
実際ドラゴンボールも好きな作品なのだが、星矢ほどに全てを受け入れる心が薄かったのと、おそらく自分の中でのドラゴンボールを構成する要素に
『鳥山明の絵』
という要素が絶対に必要だったからと考える。
 
この『作品を作品たらしめている要素』に大きなズレが生じてしまうと
ファンとしては拒否反応を示すし、「なんか違う」「コレジャナイ感」
と言ったワードが出てくるわけで。
逆に言えばその要素さえ守られていればビジュアルや内容が変わろうともOKなのだ。
では自分の中の「星矢を星矢たらしめている要素」は何か?
を突き詰めていくと、原作準拠のビジュアルというのは実はそこまで大事ではないことに思い至る。(もちろん準拠のものも大好きだ。)
そもそもの話として、星矢のビジュアルは初期のアニメからして原作とは別物である。
車田正美の描く男気とパワーを感じさせる原作版星矢
荒木伸吾の描く少年の美しさとしなやかさを兼ね備えたアニメ版星矢

1巻の時点でアニメ化決定ってホントに凄いな。


荒木伸吾さんの画集『光』を引越で無くしたの、今でも後悔してる。

インターネットが無かった当時、果たしてファンはどう考えたのかは知りようがないが、今ではどちらも愛されているデザインだ。

そして聖闘士星矢のスピンオフ1作目にして大傑作
岡田芽武先生が描く『エピソードḠ』は衝撃だった。
全く違うビジュアルでありながら、読めば読むほどに星矢のスピリットを感じたのだ。

後に知ったことだが、
執筆にあたって車田先生が出したオーダーは2つだけだったという。

・アイオリアを主人公に
・聖衣を美術品のように美しく

ここはハリウッド星矢の感想なので深くは書かないが、
私はこのエピソードGに深い星矢への愛とリスペクトを感じた。
個人的にはこのエピソードGが星矢のスピンオフの1作目であったことは
最高に良い事だったと思う。
『全く異なる絵柄でありながら、根本のテーマがブレない』
と感じたからだ。
エピソードḠがあったからこそ、ロストキャンバス、セインティアと
星矢スピンオフの傑作が後に続けたのだとも思っている。


↑全て、作者の皆様の愛と敬意とが無限に詰まった傑作たち。
期間限定で無料の分もあるのでぜひ読んでほしい。

 
ビジュアルとともに今回のアレンジとして特徴的なものの中に
『大人たち』
が挙げられる。
シエナ(アテナ)の育ての親であるアルマン・城戸。
アルマンの元妻で、シエナを危険視するグラード
アルマンの執事マイロック(原作の辰巳)

原作の聖闘士星矢は少年たちの物語だった。
(設定的にどうかというのは置いておいて)年長者の黄金聖闘士ですら
20代前半。教皇サガですら28歳だ。老師という例外はいるにせよ
みな若々しい。そしてその若さを神々との戦いで燃やしていく。
だが本作ではやはり世界観に厚みを持たせるために大人たちの思惑が絡んでくる。それが蛇足かと言えば決してそんなことはなかった。

アルマンが屋敷で星矢に神話への憧憬を語る姿は
英雄譚に心躍らせていた少年時代と、
己はその神話の勇者ではないという微かな哀愁を感じさせる。
そしてアテナを守る事を選んだ彼は
世界の命運に関わる事となった大人の責任と
シエナという娘への親の愛があった。

とにかくダンディで仕草ひとつでもサマになるお方だった。

アルマンの元妻グラードは
幼いシエナがアテナの小宇宙を制御できずに重症を負う。
親の愛よりも、その力への危機感と己の身体を維持するために犠牲になる命から、娘を殺すことを選ぶ。

社会を維持する大人としての責任か、それとも神の力に対する恐怖かは分からないが、暗黒聖闘士を従えてシエナを狙う敵として現れる。
(キャラクターとしては1番オリジナルの枠に入ると思う。
あえて重ねるならシャイナと邪神エリスだが、明確に別物である。
グラードというキャラは男性だがNetflix版星矢に登場し、神の力に対する恐れや暗黒聖衣など、通じる点が多い)
グラードは最後にそれらの大人や人としての判断よりも母親としての心を選択する。

怖さの中に風格と気品のあるお方だった。

アルマンの執事マイロック
原作で言う辰巳なのだが、監督はインタビューで辰巳を強く推している。
忠実な執事の姿と、車や飛行機の運転から格闘に射撃までをこなす超人。
小宇宙の力は無くとも、暗黒聖闘士と時に互角以上に渡り合っていた。

書くと改めてとんでもないと思いつつも、冷静に(無理だが)原作の辰巳を分析するならば、そのくらいの能力がなければ世界有数のグラード財団のトップである城戸沙織を支えることなど出来ないわけだから(少なくとも沙織が13歳である以上、実務的なあれこれは絶対辰巳が指揮を取っていただろうし)
このくらいのキャラクターになるのだろう。
彼は大人としての職務にひたすらに忠実だった。
主人の無茶振りに徹底的にしたがっている。
そして主がいなくなった後も、主従を超えた友情と忠義をもって星矢を戦いの場へ送り届ける。

ハリウッド版・『辰巳流徳丸突き』を見よ!


聖闘士星矢は少年たちの物語である。
極論して、大人がいなくても成立する物語だと思う。
だが本作には、星矢やシエナを支え、見守り、導く大人たちがいる。
無限の可能性を持つ少年は完成した大人になり、可能性は消えていく。
完成された大人も決して完璧な人間ではなく、様々な葛藤や無力感がある。
私は40歳になっても聖闘士星矢が大好きなままだが、
いまこうして星矢の世界に大人達がしっかりと活躍している事が
とても嬉しい。

ハリウッドの中に生きる『定番』


いまのハリウッド映画でも結構多い特訓シーン。
今回はマリン(魔鈴と表記されていないので映画準拠でマリンと書きます)が
原作通りに師匠ポジションを務める。

マリンのビジュアルが良すぎる。

とは言えただの子供を数年かけて鍛えるという原作スタイルではないが。
実際に期間がどの程度だったのかも劇中では不明だ。
(そもそもあの空間がどんなものなのかも分からない)
しかし、姉に教わった武術の特訓を思い出し、長くやさぐれた生き方の中で乱れていた己の『型』が美しく整っていく。

往年のカンフー映画からずっと続く定番の流れだけど、こういうのはみんな好きなのだろうか? 私は好きだ。

この修行シーンは、驚くほどに原作の流れをなぞっている。
まずマリンのビジュアルからして原作の白銀聖衣にかなり近い。

原子を砕くという聖闘士の破壊の根本を語るマリン。
我々がときめいた車田理論を大スクリーンで大真面目に語っている。
まるでこの修行フィールド自体が『原作準拠』の為の結界のようだ。

原作の漫画を音読しているのか?と言わんばかりの超濃密な原作濃度だ。
しかも、小ネタまで原作を拾っている。本当にどこまで意識してるんだ?
例えばマリンが出会いざまに「この石を割って」「無理だ」
そしてしばらくの特訓の後に星矢が再挑戦する失敗。
最後に小宇宙の片鱗を身に着けた星矢が石を砕く。
この流れとかは本当に原作そのままなのだ。
(当然年齢も違うので、カット割とかは違うけど)
 
驚きついでに映画館で声が出そうになったのは、特訓後にマリンが地べたに寝転がるときの姿が、
腕の組み方までまさに原作コミックスのポーズそのままだったのだ。
偶然と片付けるには似すぎているんだが、本当の所どうだったのだろう。

このポーズ。これから映画行く人はちょっと気にしておいてほしいw


マリンの描き方をべた褒めしているが、本当に良かった。
そしてこれは実写化ならではの産物として
 
『仮面をつけていると本当に何考えてるか分からない』
 
のに驚かされる。
当たり前といえば当たり前でも、原作の星矢ならばフキダシの形や
何なら戦慄しているときは仮面で隠れた顔の代わりに首に冷や汗をかく。
だから本当にこの実写のマリンが何を思って星矢を鍛えているのか
ともすれば、もしかして今回のハリウッド星矢のマリンは星矢の姉なのではないか?という、まさかまさかの当時の謎が再浮上してしまうのだ。

新田真剣佑という唯一無二の主人公


新田真剣佑で私が事前に知っていた知識は
・千葉真一の息子
・パシフィック・リム・アップライジングに出てた(観た・良かった)
・るろうに剣心で縁をやっていた(観た・凄く良かった)
くらいだった。
もちろんそれに付随してとんでもないイケメンであることや、アクションもバッチリこなす俳優であることなどは分かっていたが。
もうこのハリウッド星矢において、まさに最高にして究極のキャスティングだったと思う。
・少年の雰囲気すら感じる顔立ち
・一切の無駄なく鍛え抜かれた身体
・長い手足と高い身長
およそ思い描くイケメンの全てを凝縮した結晶のような新田真剣佑。
単体で登場する全てのシーンをポスターにできそうなそのビジュアルに、

「車田正美や荒木伸吾が描く美形を実写にしたらそれは新田真剣佑だった」
 
その位に問答無用で納得させてくれる勇姿だった。
クライマックスで現れる裸体に至ってはもうまさに
『生きて動くギリシア彫刻』と言っても過言ではなかった。

神よ、真剣佑は美しい……


そんな真剣佑が星矢を演じる。人によっては

・裸体の見事さは紫龍だって出来るだろう。
・クールな雰囲気は氷河にこそふさわしい。
・美しいお顔は瞬を演じるのに最適すぎる。
・圧倒的な強さを感じる姿はまさに一輝だ。

こんな感想を持つかもしれないし、きっとその全てが正しいと思える。
だが、星矢を演じているのだ。他のキャラが出てこない今回だからというだけではなく、聖闘士星矢という作品を世界に送り出すにおいてまさに主役に相応しい俳優なのだと心から感じた。
 
ハリウッドでの映画化が決まった時に、私はそれだけで嬉しくて俳優が誰とかは全く気にしていなかった。
だが今は新田真剣佑以外は考えられない位に彼はハリウッドの星矢だった。


打ちのめされて、立ち上がる車田イズム


『偉大なるワンパターン』と評される事もある車田展開。
だが他の作家がこの展開をしても中々スッキリとしない。
(勿論、違う手法で楽しませてくれるのだが)
私が思うこのワンパターンの魅力のひとつは
『安心感』
なのではないかと思っている。
物語を観る時に人は『先の見えない展開』をハラハラ楽しみたい。
最後の一瞬までどちらが勝つか分からないバトル。
主人公のパワーを圧倒的な力で蹂躙する敵。
そういう展開がバトルものの王道のひとつだろう。
だが、それと同じくらいに『コレが来たら勝ちが決まった』
という、不安の無い展開にも楽しむ人の気持ちは曇り無く高まる。
その『確定演出』の決め方が車田先生はとても上手いのだと思う。
黄金聖衣を纏った時、新たな技を使った時、仲間が倒れた時、
何か決定的な『スイッチ』が入った瞬間に、後は多少の緩急はあれど、
フルパワーのノンストップでその戦いは決着まで駆け抜けていくのだ。
(だからこそ、車田先生の『確定演出』が稀に外れた展開の衝撃は凄まじい。
例・タナトスに黄金聖衣が破壊される。)
 
では、この映画における『確定演出』は。
星矢が、過去の姉を守れなかった弱い自分と向き合い、
幼い自分の手を取り再び立ち上がるシーンだろう。
暗く狭いクローゼットから無限に広がる荒野へと進む覚悟を促す。

これは、青年の星矢が少年時代のトラウマを払うだけのシーンではない。
幼い星矢がクローゼットから出た時に、
『勇者』となった己自身の『明日』がそこにいるのだ。

この少年も美形に育ちそうだ……

 
ああ!ああ!
人生で何回聴いたかわからない。
人生で何回励まされたかわからない。 

聖闘士星矢 少年は皆 明日の勇者

まさに歌詞そのものじゃないか。
 
なんて素晴らしいんだ。
なんて素晴らしいんだ。
正直書いている今も思い出して泣いている。
アップ前に最後のチェックをしている今も読んで泣いている。

そして、この後の星矢は真のペガサスの聖衣を纏い、羽ばたく。
(まあ飛行機から飛び降りているのだが野暮はナシだ)
そしてあれだけ苦戦したカシオスを一蹴し、
本作のボスキャラであるフェニックスのネロと戦う。
そしてアテナの覚醒と、まさに星矢の劇場版がこれでもかとなだれ込む。
この展開に燃える心と、監督を始めとする関係者への敬意と感謝とが混ざりあった感情はもう言葉に出来ない。
世界にはこんなにも星矢をリスペクトしている人たちがいる。
そんな人達がこんなにも素晴らしい聖闘士星矢を作り上げた。
涙が止まらなかった。

新たなデザインで新生した聖衣



私の中の聖闘士星矢の最大の魅力を1つだけ答えるとするならば
間違いなく『聖衣』だろう。
(便宜上聖衣と書くが鱗衣や冥衣など含めた鎧全般を指します。)

だから必然的にここを1番長く語ることになる。

子供の頃、初めて乙女座の黄金聖衣の玩具を見たのがおそらく
私の星矢の入り口だったと思う。
凄く格好いい鎧が、脱いだら美しいオブジェになる。
このミラクルに心を完全に鷲掴みにされたまま36年生きてきたのだ。
原作の漫画で新キャラが出るたびにどんな聖衣を纏っているのか?
アニメオリジナルの聖衣はどんなかっこよさなのか?
だから今回のハリウッド星矢の第一報を知った時にまず思ったことは
『どんな聖衣が見られるんだろう』
という期待が本当に大きかった。
そして発表されたのがこの聖衣だ

日本版


海外版

過去のどのデザインとも違う聖衣のデザインに驚きつつも、
彫刻の細かさやペガサスの主張といった部分に、本当の古代ギリシア戦士のイメージで作られたのか?と、乏しい知識ながらに想像を膨らませた。
しかしネットでの評判は大絶賛とは行かなかったように思えた。
確かに、ここにもっと原作に寄せた聖衣のビジュアルがあればもっと初手での印象は良くなったのかもしれない。
実際に最初はもっと原作よりのデザインだったとのインタビューもあった。
ただ、これは車田先生からの提案で、原作デザインから変えていくという事になったようだ。
勝手な想像だが、車田先生は己の星矢のメディア展開をただ作品を残すのではなく、その根幹の魂の部分をメインに据えているように思える。
だからビジュアルが大きく変わろうが、展開が変わろうが、ファンはそこに紛れもない『聖闘士星矢』を感じる。

話を聖衣のデザインに戻そう。
メインビジュアルが一新されたデザインだが、かつてのオリジナルを使いたいという監督のこだわりを感じたのが
『覚醒する前のペガサス聖衣』の存在だ。
修行を終え、聖衣に認められる星矢にペガサスのオーラが現れ…
そして流れる『ペガサス幻想』!

おおらかなペガサスよ 情熱ほど麗しい

そして聖衣を纏った星矢の姿が現れるが……こ、これは!!

アニメ&原作版で修行時代に星矢が来ていたプロテクター!!!

肩アーマーが角度のせいで見えない……

この発想にはやられた。
繰り返し書くが、バギンスキー監督はどれだけ星矢の序盤に真摯かつ、
丁寧に向き合っているのだろう?
もう平伏するしかない。
この状態をペガサス聖衣の第1段階とする事で、星矢の王道展開であり、
私が死ぬほど大好きな展開であるところの
『聖衣のパワーアップ』
を表現することが出来る!
また、この後で星矢は記憶の中でアルマンとの過去を思い出し、
怒りに駆られて生まれた心の淀みで聖衣を纏うことが出来なくなる。
原作でシャイナに打ちのめされた時に魔鈴が言う

「聖衣を身に着けただけで力が出ると思ったら大間違いさ」
「纏った人間の心にわだかまりがあったり、闘志がなければ聖衣はただの重いプロテクターに過ぎない」

このシーンを下地とした展開を思い出す。
返す返すも、原作の展開を本当に大事にしている事が分かる。

真のペガサス聖衣を纏った星矢の拳は空を裂き、大地を割る。
アテナの加護をうけ、人々の希望の象徴だった聖闘士の姿がそこにあった。
あえて私の欲をいうならばここで改めて聖衣の装着モーションを観たかったと思うが、ここまで監督に楽しませてもらって、さらに望むのは贅沢かもしれない。でも観たい。
また、色についてはブルーがかかった色に見えるが、実際に展示してあったペガサス聖衣はやや重厚な銀色だった。
これは、黄金聖衣、白銀聖衣を描いていたので、しっかりと『青銅聖衣』であるという主張かもしれない。

この距離で観れたことに感謝しかない。




そして本作のボスキャラであるネロの纏うフェニックスの聖衣である。
こちらは特徴的なヘルメットの角と3本の尾羽根の為か、かなり異なったデザインであるがアニメのテイストを強く感じる。

実際に重さ8キロあるらしい。

ここで、今回の聖衣を実際の鎧のようにしたアレンジについて
かなりの『正解』という印象を強めた。
新田真剣佑がいわゆる『2.5次元』のビジュアルを体現できるのに対し、
ネロ役のディエゴ・ティノコに感じるのは圧倒的なパワーだ。
少し小柄にも見えるが、分厚い胸板と重量感のあるシルエットはヒールレスラーを彷彿とさせる。
また、アニメの一輝については星矢の仲間になったあたりからはそうでもなくなったが、序盤の敵としての一輝は明らかにパワーを感じる大きい体格で描かれていたようにも思える。
(ところで、バトルもので細身で二枚目のパワーキャラが海外作品だとあまりすぐには浮かんでこない。)
このネロが重厚なフルアーマーのフェニックス聖衣を纏うことで
更に今回の聖衣の説得力が増したと思う。何より格好いい!!


ビジュアルを拾うついでにまた監督の原作愛の深さを知りたいのだが、
このフェニックス聖衣の尾羽根を自在に動かして戦うシーン、
原作アニメでほんの一時だけ行われた演出じゃないか……
(その時は尾羽根が勝手に動いて防御してた。
確か佐々門信芳さんの作画だった気がする)

鍛冶屋が作ったっていうコメントにときめくわけで。



クロスとは違うが、ここでアテナの装備についても語りたい。
というのも、アテナのいつものあのドレスも今回は神の力の象徴として
覚醒した時に纏っているからだ。なので聖衣の枠に。
幸運にも試写会のときに展示があり、上映後にへばりついて撮りまくった。
私の他にも数人同じような人たちがおり、非常に心地よい連帯感を勝手に感じていた。(尚、その時にスタッフの方からインタビューを受けるなどした。どこかで使われるのだろうか)

ハリウッドの造形物が生で観れるって滅多にないから大興奮。
フェニックスの尾羽根はCGなので無い。


原作で定番の腹部の鎧。ここに梟(ふくろう)の意匠が施されている。
梟は知恵と戦いの女神アテナの知恵の部分だ。
星矢作品のアテナに梟をしっかりと絡めたのはロストキャンバスのみだったように思う。
それも、キャラクターとして登場したのみでアテナの装備とは関係がない。
アテナのこの部分の装備に梟を配置したのはまさに盲点だったのではないか。私も過去のイラストで何かあったのではないか?と調べてみたが、見つけられなかった。本当に違和感なく、原作のビジュアルを変えること無くここまで新たな衝撃を与えてくれたことに感動した。
アテナは覚醒した瞬間に髪の色が藤色に変わる演出も実に良かった。
ここで原作デザインに完全に寄せてくるか!と。
オリジナルのデザインや展開を活かすところは活かし、変えるところは大胆に新生させる。この映画からはその選択の巧さを随所に感じた。
そして潘めぐみさんの演技が、これまでシエナという少女だったのが、完全に潘恵子さんが宿ったかのようなアテナになったのも震えが走った。

そして聖衣と言うからにはこれも語っておかねばならない。

『機械化された暗黒聖衣』である。
黄金聖衣を研究して生まれた産物として聖闘士の破壊力を手に入れたというものだ。
(ここ最近の星矢の展開の大本のアレンジは結構共通しているものが多い。車田先生がそのあたりをコントロールしているのだろうか?)
古代ギリシアイメージの青銅聖衣に対し、無機質で無個性な暗黒聖衣は実にわかりやすく『敵』を感じさせる。
『機械の聖衣』というワードにかつてのアニメで登場し、ややネタ枠として今も語られる鋼鉄聖闘士を思い浮かべる人もいると思う。
ただ、『機械の力』というのは紛れもなく人が叡智で生み出した物なのだ。
神の技に及ばなくてもその領域に手を伸ばし続けるのは神話の時代からのテーマであろう。
ロボットやパワードスーツが今ほど現実的では無かった1980年代から2020年代にアップデートするにあたって、そしてハリウッド的なビジュアルとして実に良かったと思う。
映画では言わないが、原作で星矢がカシオスを圧倒する時に「お前は聖闘士の表面的破壊力を身に着けただけだ」と言うが、まさに暗黒聖衣はそれを体現していた。

と、聖衣については想像以上の大満足だったのだが、もし1つだけ惜しかった事を言うならば『破損状態の聖衣』が出てこなかった点である。
覚醒したアテナの小宇宙で木端微塵に破壊される(破壊のビジュアルが原作でポセイドンに新生聖衣を破壊されるシーンとダブって感じたのは流石に私の考えすぎだと思うけど一応書いておく。バギンスキー監督ならオマージュしててもおかしくないくらいに思える。)のだが、その前のフェニックスとの戦いで、亀裂やパーツの脱落があれば最高だったと思う。
ブロークン聖衣はこれまた永遠に私の心に刻まれた格好よさの象徴なので。
(しかし事情もわかる。CGの聖衣でない以上、その為の聖衣を別に作る必要が出てきてしまう)

最後に


試写会で観てから2週間。
映画館での思い出を反芻しながらこのテキストを書いた。
1回しか観ていない状態なので若干の間違いがあるかもしれない。
この後できれば時間の許す限り観に行きたいし、円盤を買いたい。
(頼むからメイキングをてんこ盛りにしてくれ)

だが、最初の感想だけは1回観て感じたことを書き連ねたかった。
改めて自分の人生が星矢に彩られて来たのだなと再確認する。

願わくば、少しでも気になったなら観に行ってほしい。
それがこれからの展開に繋がるのだから。
私は観たい。
バギンスキー監督が生み出す星矢が。
新田真剣佑が演じる星矢が。
紫龍、氷河、瞬が。
黄金聖闘士が。
まだ観ぬ『星矢』がたまらなく観たい。

新しい『星矢』に出会うたびにいつも最後に同じことを思う。
これだけコンテンツが溢れる時代に、なんの不安も無く
ただ喜んで作品を受け止め、楽しみ尽くし、
そして胸を張って一生好きだと言い切れる作品がある。
それはいちオタクとして本当に幸せなことなのだと。

何度繰り返しても足りない気持ちをまたここで伝えたい。

ありがとう、聖闘士星矢。

36年前に買ってもらったコミックス。
永遠の宝物です。


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