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答えは、監督の頭の中 2.

撮影直前になって変更されたときには、いや、いや、そんな急に言われてもパン生地は粘土じゃないんだし・・・と言いたくなるものの、数を重ねる度にこういったことにも慣れてくる。
「監督は、こう言い出される可能性もありますよね」と先を読み、助監督と相談をしながら準備しておくけれど、いざ撮影が近づくと監督は予想した斜め上を行かれたりする。

これ、恐らく事前の打ち合わせを監督とぼくが直接やり取りしていても結果は同じだったと思う。つまり助監督経由が問題なのでなく、これは ”監督の属性” によるものなんだという結論に行き着いた。

誤解ないように書いておくけれど、このときの監督は、とても穏やかな人柄で優しい方だった(それと、こだわりは別ということ)。

2年前のお正月スペシャルで大きな製パン工場をお借りしての名古屋ロケの際には、助監督、美術さんらとテストキッチンに準備しておいたホワイトボード、あちらこちらに貼ったパンの配合表、小道具といったものの配置が監督の一声でまったく違う位置へと変更になった。
アンディ・フグを倒したフランシスコ・フィリォの右か、はたまたそのフィリォを一撃で失神させたジェロム・レ・バンナの左を彷彿とさせる一撃、いや一声。
K-1会場の観客が騒然となったように、ロケ先の美術スタッフさんやぼくも「急げ、急げ」と騒然となった。

華やかな世界に見えるドラマの制作現場は、縦社会、叩き上げ、修業、職人といった印象が食べもの屋さん以上に残る旧態依然とした業界のようにもぼくには映った。
店をやっていた人間からすれば、もっと合理的に効率良くしないのかとつい思ってしまうし、疲弊漂うスタジオのスタッフさんたちを目の当たりにすれば、やはり改善しようとはならないのかなと思ってしまうけれど、きっとこれは一般人であるぼくの愚論に違いない。

才能が突き抜けている人は往々にしてわがままや気分屋と誤解されたり、ときに一般人には理不尽に感じる言動や行動もあったりするけれど、それは凡人には理解が及ばない、理屈では説明仕切れない感性があるが故だと思っている。
古くは、その細部までのこだわりを狂気とさえ呼ばれた小津安二郎監督や黒澤明監督の現場は想像を絶するものだっただろうし、いまならその最たる人が庵野秀明監督な気もする。

そもそもここは創作の現場であり、浮世離れしたエンタメの世界。
こうして脈々と受け継がれてきた哲学や手法があるからこそ、人々を感動させることのできる名作も生まれてきたのだと思うと、ぼくの愚論など、きっと監督からすれば「そんなこと、慣れろ」なんだと思う。

つづく

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