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葉桜の季節に君を想うということ 中編

鷺沢萠さんは、美人女子大生作家との触れ込みで華々しく文壇デビューを飾った。上智大学外国語学部に現役合格という才色兼備で東京都世田谷区の出身、それもかなり裕福な家庭で生まれ育ったらしい。

上智大学へ入学して間もなく文學界新人賞を最年少で受賞(当時)し、その後も「少年たちの終わらない夜」「駆ける少年」「海の鳥・空の魚」「スタイリッシュ・キッズ」「葉桜の日」と毎年のように上梓され、芥川賞候補作には4度、三島由紀夫賞候補作にも2度選ばれ、「駆ける少年」では泉鏡花文学賞を受賞されている。それに加えエッセイもかなりの数を書かれていて、その容姿の良さもあってか当時テレビでもよく見かけた。

きっと傍からはトントン拍子に売れっ子作家になったように映っていただろうし、実際にかなりの売れっ子作家だったと思う。そんな彼女はスタイリッシュな都会人というイメージで、どこを切り取ってもぼくには眩しい存在だった。
どんだけ当たりガチャを引いとんねん、というほど華やかな人生だと勝手に思っていたけれど、実際はかなり違っていたことがエッセイなどによって徐々にわかり始める。

小説はフィクションだけれど、エッセイは現実に見聞きしたものを著者の主観によって基本的には描かれるため、完全ではないにしてもその人となりが感じられるものだと思っている。
そんな彼女のエッセイは軽妙で、とにかくおもしろおかしく綴ったものが多かった。また彼女の交友関係も知ることができ、それがきっかけとなって群ようこさんや原田宗典さんの作品も当時ずいぶんと読んだものだった。
ずっと後になって、交友関係の中に今は亡き藤原伊織さんがおられたことを知ったときには本当に驚いた。一番好きな作家さんは誰か、というのは映画や音楽のそれと同様に愚問だと思っているけれど、それでもあえて1人だけを挙げるとすれば、ぼくは藤原伊織さんかもしれないな、と思うほど大好きな作家さんだった。

恵まれた家庭で育ち才能もあって、誰の目にも華やかで順風満帆に映っていたであろう彼女だけれど、高校生のときに父親の会社が倒産し、それ以降家族は困窮することになる。
高校の学費もアルバイトで稼ぎながら上智大学に現役合格し、あの受賞へとなったのだから相当な苦労と努力があったことも想像に容易い。またその後も彼女は筆舌に尽くし難い、波乱万丈に満ちた人生を送ることになる。

あれもこれもここで述べることはできないけれど、高校生のときに亡くなった父親のことをテーマに執筆するため戸籍を調べていた際、祖母が韓国人であることを知ったのは彼女にとってとても大きな出来事だったに違いない。
それまで純粋な日本人だと信じて疑うことなく生きてきた彼女が、繊細な年頃になって知った事実に対しどのような心情だったのか、本当のところは誰にも推し量ることなどできないだろうし、想像が及びもつかない。

その後、彼女は韓国の大学へ留学をされる。
きっと自身の中で駆り立てるものがあったのだろうけれど、それにしても行動力のある強い女性だと思った。
この韓国留学のときのことを綴ったエッセイ「ケナリも花、サクラも花」を20代中頃に上梓されている。またそれ以降、小説にもそのときの経験が色濃く反映されるようになった。個人的には、この頃を境に彼女の作風に変化があったという印象を持っているのだけれど、ともすればセンシティブで重くなりそうなルーツの話題でさえ努めておもしろおかしく、楽しそうに描かれていた。

自身の出自を知る以前から彼女の作品にとって重要なテーマが、アイデンティティ探し(と家族)だったことは明白だった。そう考えると彼女の行動力も腑に落ちる。
自分が何者であるのかを考え、問い続けた人だったような気がしてならない。

結局、ぼくは彼女の作品をデビュー作から新刊が出るたびに購入し読み続けた。
それでもぼくの語学力の低さは現在も進行形なんだけれど、もう彼女の新作を読むことはできない。最期の作品は、藤原伊織さんと同じく未完のまま終わっている。

彼女が藤原さんと違ったのは、35歳という若さで自ら命を絶ったという悲しい現実だった。

つづく


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