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葉桜の季節に君を想うということ 後編

ちょうど20年前のいま頃、鷺沢萠さんの訃報をテレビのニュースで知った。
自分の耳を疑い、緊張で身体は強ばり、いたく狼狽えた。

当初の報道では心不全との発表だったけれど、ほどなくしてそれが自死だったとわかると、ぼくは脳が停止したような気がした。胸は詰まり、膝から崩れ落ちるとはこのことだった。
遺書はなかったらしい。

当時、本業である執筆業はもちろんのこと、舞台演出まで手がけられ仕事に精力的だった。亡くなる1ヶ月前には、ぼくの好きな1冊「ウェルカム・ホーム!」を、さらにその1ヶ月前には「赤い水、黒い水」という絵本も上梓されたばかりで、仕事はやはり順調そのものだったとしか思えない。
そんな彼女の胸中に去来したものは何だったのか。
本当の理由などわかるはずもないけれど、それでも「何故?」と思いを巡らさずにはいられなかった。

「赤い水、黒い水」は、2001年の9.11同時多発テロ事件、その後のイラクとアメリカの戦争とその宗教問題に対するメッセージとして執筆された。
比喩を使い「赤い水」は平和の象徴としてのブドウ酒を、「黒い水」は戦争のきっかけとなる石油として描かれている。つまり、ブッシュ政権によるプロパガンダや戦争の愚かさへの風刺である。

この絵本が上梓されほどなくして亡くなったため、この9.11事件を受け止めきれなかったのではないか、とぼくは考えた。聡明で思慮深いが故に、これからの世界や日本の行く末を憂い絶望されたのではないか、と。

毎日、世界中ではどこかで悲惨だったりや残酷な事件や事故が起きている。
それを知れば誰もが多少なりとも心を痛め、心配や同情をすることはあるけれど、それでもぼくらは他人事、対岸の火事として片づけている。
これは当然といえば当然で、世の中で日々起こる悲惨なことや残酷なことをすべて自分ごととして受け止めていたのでは、きっと自分の心が壊れ、病むことになる。
親しい人などが亡くなった自分ごとでさえ、時間経過と共に人が忘れていくようになっているのは、同様に自分が病まないための自己防衛本能を人間が備えているためだと思っている。
ところが感受性が強くアイデンティティに人一倍繊細だった彼女にとっては、他人事と思えないほど辛くいたたまれない事件だったのではないか、と想像したのである。


ぼくの知る彼女は、エッセイやインタビューなど断片的な情報による人物像でしかなく本当の内面など知る術もない。けれど自身のことを綴ったものはどれも、そこまで晒すか、と思うほどあまりに赤裸々にそれをいつも自虐的に書かれていた。
その経歴や容姿からは一見クールでスタイリッシュな人に見えるけれど、その実はかなりこじらせ気味な人だ。
およそ健康とは縁遠く深酒とタバコを愛し、明け方まで雀荘に入り浸るほど無類の麻雀好きだった。また車はオートマ車よりもマニュアル車を好むという、今の時代にこう書くのは多少憚られるけれど、なんとも男前でどこか退廃的な昭和の作家を彷彿とさせるような女性だった。

それにしてもイメージからは、かなりかけ離れている。
けれどこういった男前で豪快な側面も彼女にとっては繊細すぎる感受性との均衡を保つために必要不可欠な、表裏一体のものだったのかもしれない。だから無頼なエピソードも多い人だけれど、きっと愚直で本当は不器用な人だったのだと思う。
かの作品には生きづらい人たちがよく登場するけれど、それも彼女自身を投影したものだったのだろう。

多くの天才や才能に溢れた人たちがそうであるように、彼女もまた極めて早熟だった。
18歳のときに執筆したデビュー作から大人びた以上の、どこか人生を達観したような老成した感じがあった。その後の作品からもその時々の年齢に不相応な早熟さといった印象を受けた。
今となれば、むしろ生き急いだからこそこれほどのものが書けたのか、とも思えてくるけれど、その生い育った波乱万丈の環境を考えると早熟にならざるをえなかったに違いない。そして、それ故の苦悩や葛藤、孤独もあったであろう彼女は精神的な病を患っていた。

人生の半分を作家として生きた彼女は18歳でデビューし、22歳の若さで結婚、その後すぐに離婚を経験し、そして35歳で自ら命を絶った。
本当に短い人生を駆け抜けた人だった。
20歳の頃に執筆された代表作の一つ「駆ける少年」のあとがきには、奇しくも「やはり私も駆けているのかもしれない」とある。
そんな彼女のことだから若くして死というものを諦観していたのかも知れない。
それでも、成功し生き急いでこの世を去るよりも生きていてほしかった。

2004年4月11日にこの世を去って、もう20年もの時が経つ。

彼女の作品にも「葉桜の日」というタイトルがあるけれど、この時期になるとぼくがまず思い浮かべるのは、「葉桜の季節に君を想うということ 」なんだな。

それは、「葉桜の季節に鷺沢萠さんを想うということ 」なんだけれど。

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