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郷土偏愛主義

昨日は大阪の人について独断と偏見な考察を述べたけれど、実際には関西以外の人からすれば、関西人=こんなイメージと一括りなのかもしれない。
けれど、先述したようにその象徴となるのは大阪だと思うし、京都も人気の都市だから独特なイメージがあるかもしれない。

関西といっても2府4県あり、その特性にはやはり濃淡がある。
だから大阪府民、京都府民、兵庫県民、滋賀県民、奈良県民、和歌山県民それぞれが「あんなとこと一緒にすんな」と、お互いのことを疎んじるといった地元愛で溢れている。これはきっと関東も同じだろう。面白いなぁ。

滋賀県の人が京都や大阪の人にからかわれた際に言い返すお約束の「琵琶湖の水止めたろか」。
これを最初に言いはじめた人は本当にセンスがあって、さすが関西人だなぁと感心することしきりだった。
また、神戸の人が出身を兵庫県と言わず神戸と言うのは、横浜の人が神奈川県と言わず横浜と言われるのときっと同じで、人の心理は東西問わずなんだと思わずにはいられない。
こういったローカリズムな話題は本当に面白いし、いずれにしてもそこからは地元愛、郷土愛を強く感じる。
東京など大都市に出てきた同郷の人たちが集まり、〇〇(都市名や地名)会と称してワイワイされているのもその象徴だろう。個人的には特に大阪や福岡の人にその傾向が強い印象があるけれど、出身地がどこであれ郷土偏愛主義な人は多い。

ぼくが最初の店をやったとき、場所柄もあってアルバイトをしてくれていたのは、ほぼ大学生の子たちだった。京都の大学は全国からやって来られるので出身地もそれぞれだけれど、中には生粋の京都人の子もいたので尋ねてみたことがある。

「ずっーと、京都なんでしょ。東京の大学に行ってみたいとか、就職は京都から出てみたいとか、思わなかったの?」

「めっちゃ東京へ遊びに行きたいとは思いますが、京都から出ようとはまったく思いません。京都が大好きですから」

何人かの子に訊いてみたけれど、みんな同じような感じだった。生まれ育った場所というのは、おしなべてそういうものなんだろうな、と思う。

東京にいると、稀に生まれも育ちも東京という人にお会いすることがある。
そういった人の中には「他に地元があるのが羨ましい」と話される人もいて、言わんとされることはわかるけれど「へー」と思うだけで、「いいでしょ」といった感覚が、実はぼくにはまったくない。

東京や大阪、京都、神戸など、情報や娯楽も含め文化的な面で一定以上満たされた環境で育った人たちは、そこで暮らしていて不自由を感じることもないから特に地元を出る理由もないんだろうな、と思う。
ところがぼくのように地元ではやりたいものがなかったり、見つからない人間は出るしかない。もちろん、地元に残る人や一度は出たものの戻る人も結構いるので、それはやはり地元愛なのかなぁ、と感じる。だけど、ぼくにはこれが完全に欠落していて、ほぼ共感されないであろう話になってしまうけれど、この地元愛や郷土愛といったものがぼくには皆無と言っていい。

18のときに京都市内に出てきたので、もう地元で暮らした倍以上の時間を京都市で過ごしたことになる。それだけ住んでいれば地元のような感覚にもなるかといえば、正直それもない。住めば都というくらいなので慣れ親しんだ場所であり、サイズ感的にも良い街だなとは思うけれど、生粋の京都人が抱かれるような感情はやはり湧かなかった。

そんなぼくは土地に対する執着心がないため、「あんなとこと一緒にすんな」といった地元愛ゆえの思いもやはり起きることがない。
それがどこのことであれ、自分ごとと捉えることがないから単純に面白いと感じるのかもしれないな。






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