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キルフェボンさんから学んだこと

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ぼくが自分のやってきたことを飛び道具と呼ぶのは、邪道だと自覚していたからに他ならない。
キャリアは料理の方が長く、パン職人としては修業期間が短かった上に唯一お世話になったお店では落ちこぼれだった。
そのためパン屋さんをはじめたはいいものの、いつまで経っても自分のやっていることに確信を持てず、またそれは取材やお客様が増えはじめそれなりに認知と評価をしてもらえるようになっても変わることがなかった。

そんな当時のぼくに「店としてはこれもアリなんじゃない?」と思わせてくれたお店がある。
それがタルトで有名なキルフェボンさんだった。

キルフェボンさんはお菓子屋さんで一応ぼくはパン屋さんといった違いもあるし、もちろんキルフェボンさんがぼくのように邪道といった話を書こうとしているわけでもない。

大手企業のお菓子屋さんは別として、ぼくにとってお菓子屋さんというのは街場の個人店のことであり、もっといえば長年修業を積まれた職人さんによるお店のことであり、もっと厳密にはフランス菓子やドイツ菓子を作られているパティスリーやコンディトライのことを指した。
そういった観点でキルフェボンさんは、やはりぼくには異質なお菓子屋さんに映った。

昔、そんなキルフェボンさんのタルトが大ブームとなり隆盛した時代がある。
正統なお菓子屋さん、技術の高いお菓子屋さんが既にたくさんある中で新興勢力とも言えるキルフェボンさんのタルトがとても売れ、そして店舗を拡大されていった。
勝因という言葉が適切かどうかはわからないけれど、あの時代のキルフェボンさんがそうだったとすれば、それは職人さんによる技術云々ということよりもブランディングの成功に尽きると思った。
当時キルフェボンさんが包装に使用されていた箱は、フランスの郵便局が小包に使う箱を模したもので目の付けどころが巧いなと思ったし、その発祥が静岡の雑貨屋さんだと知ったときには、ブランディングの巧さも腑に落ちた。

語弊があると申し訳ないけれど、キルフェボンさんのされていることは「美味しい生地+美味しいクリーム+美味しいフルーツ = めっちゃ美味しいタルト」だとぼくは思っていて、素材にはかなりこだわってられるけれど、いわゆる職人さんたちのこだわる技術的な部分は、恐らくそこまで重要視されていなかったのではないかと思う。

昨年、パネルディスカッションに登壇した際、こんな話をさせていただいた。

「ぼくが子供のころは、あそこの〇〇は不味い、あそこの〇〇屋さんは不味いだの言っていたように昔は不味いと思うお店が実際にあった。
ところがいまの時代、何屋さんであっても不味いお店を探す方が難しいほど日本の食はレベルが高く、それが安価なものであっても価格相応かそれ以上に美味しい印象がぼくにはある。
だから作り手が意識しているわずかな味や技術的な差が本当に伝わっているお客さんがどれだけ存在するのだろうと思ってしまう。
もちろん中にはそういったわずかな差がわかる方もおられるけれど、それはごく一部の食通やマニアと呼ばれる方々に思える」

そのわずかな差が作り手のこだわりといったこともあるだろうし、職人としての矜持も大切なことに違いないけれど、そこに引っ張られ過ぎるとお店としては意外と上手くいかない気がする。

当時キルフェボンさんの躍進を見ながら、ぼくは技術の高い職人さん同士がわずかな差を競い合っている間に異業種から参入してきたキルフェボンさんにかなりの需要を持って行かれたのではないかと思えてならなかった。
キルフェボンさんの大ブーム以降、“なんちゃってキルフェボン” が雨後の筍のように現れたことを思うと、既存のお菓子屋さんからシェアを奪ったというよりキルフェボンさんが新しい需要を掘り起こしたとも考えられる。

ぼくも取材をしてもらったことのある女性ライターさんが昔、専門誌の中で「オーボンヴュータンが宇多田ヒカルならキルフェボンはモーニング娘。」と書かれていて言い得て妙な例えに唸らずにはいられなかった。
どちらが正しいといった話でもなければ、みんながモーニング娘。になる必要もない(恐らく職人さんの多くは、宇多田ヒカルさんを目指すだろうけれど)。

だけどこの出尽くした感のある厳しい時代には、技術や腕に自信があるといった業界視点だけでなく、キルフェボンさんのようなアウトサイダー的な視点もとても大切で必要なんだと感じた。

またぼく自身は、このときに「それでもやり方、方法はある」といったことをキルフェボンさんから教えられた気がする。




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