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"修業” って、なんですか 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ぼくが料理修業をしていたときのこと。
専門誌に掲載された有名シェフの対談を読んでいると、そこには未だに忘れられない一言が載っていた。

「どうしてフランス料理店が成り立つかといえば、従業員の給料が安いからですよ」

いや、そこは業界的にアンタッチャブルな話題でしょ。正直というか、このシェフも簡単にパンドラの箱を開けちゃう人なんだと、なんだか可笑しかった。

あのころというのは、いまの時代と比べ事業をする側、特に個人店規模にとっては税務や労務も含めいろんな面でゆるく、やりやすかったのだと思う。
それに加え、ぼく自身がそうだったように独立を前提に一時的に繋がろうとする雇われる側と戦力を回転させることでお店を成立させたい雇う側との折り合いが ”修業” という名の暗黙の了解でバランスした、どちら側にとってもある意味幸せな時代だった。

そう考えるとパン屋さんやお菓子屋さんなども含めた飲食業というのは、「回転(独立)を前提としたコストの低い若い子たちが定期的に働きに来てくれることで成立する」という極めて脆弱なビジネスモデルだったことになる。
それが成立しなくなれば機能不全になるのは当然で、いまがまさにそういった時代になったのだと感じる。

本来、修業というのは技術や知識の習得、また師匠の思想などを学ぶ機会を指していたはずだと思っているけれど、それを雇用する側が労働条件と混同させ恣意的に使ってきたことがそもそもの誤りだったと思える。
だから本来の修業は大切だし必要で残すべきだと思うけれど、それと労働条件や労働環境といったものを雇用する側が切り離して考えるようにならない限り、お店や業界は凋落の一途を辿ることになる気がする。

ぼくが最初にお世話になった料理のお師匠さんは、とても口が悪いけれど正直な人で、先輩とぼくに面と向かってこんなことを言われたことがあった。

「お前らはワンルームマンションみたいなもんや。マンションは入居者が入れ替わったら礼金が入ってくるやろ、だから回転してくれた方がありがたい。
家賃と違ってオレは給料を払う方やけど、お前らもある程度で回転してくれて若い奴が入ってきてくれた方が人件費が安く済んで助かる」

なんて馬鹿正直な人なんだろ・・・と驚いたけれど、別のお店のオーナーシェフもこんな話をされていたことがあった。

「うちは店が2軒あるので合わせるとポジションが6~7つあるんです。スタッフにはそのポジションを3~5年間ほどで一巡させます」

「すべてのポジションを回られたスタッフさんは、どうされるんですか?」

「『うちではすべて教えたから後は独立するなり、他所でシェフを目指しなさい』と言います。それ以上うちにいてくれてもお給料も上げれませんし」

ぼくのお師匠さんのような暴言か否かはさておき、本質的には同義なんだと思った。そしてこれを “肩たたき” と呼ぶと先輩から教えられたとき、これが個人商店の限界なんだとぼくは認識するようになった。
いま思えば、ぼくの事業拡大志向が芽生えたのは、このときだったかもしれない。

約30年前、ぼくが20歳の頃の話。



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