雑文

 僕はどこにでも行くことができるし、どんな本でも読むことができる。僕の世界には色々な書物や大地が浮いている。たとえばそれは竹取物語かもしれないし、あるいは聖書かもしれない。そこはフィレンツェかもしれないし、あるいはハバロフスクかもしれない。書物から書物へ、大地から大地へ、歴史から歴史へと僕は飛び回るのだ。


 僕はとにかくどこから物語を始めればいいのかということがわからない。わからないのだ。でも「わからない」という言葉が禁句であるということぐらいは知っている。みんながみんなその「わからない」にうんざりしていて、他人が「わからない」などといって嘆く姿など見たくもないと思っているのだ。


 だから僕は嘘でも「知っている」といわなければならない。「何を」知っているのかということはどうでもいい。とにかく何でもいいから「知っている」と僕たちは言わなければいけない。キャベツの千切りの仕方でも、ズボンの穴の補修の仕方でもなんでもいいから、とにかく「知っている」といわなければいけない。「知らない」と言って嘆くことは他者を冒涜することである。なぜなら「知らない」ことを嘆くことができるのは人間だけであり、自らが人間であるということを高らかに宣言することは他者の「唯一性」を毀損するのに等しいことだからだ…

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 もっと柔らかい文章がないものか、僕はいつだって探している。

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